子どもの頃から、にんじんとピーマンが大すきだった。味だけでなく、色もとてもキレイ!
緑のつやつやのピーマンの美しさは、わたしを少し、しあわせにしてくれる。
にんじんとピーマンがきらいという子どもは多いようだけれど、わたしには理解不能。
で、わたしの玉ねぎが嫌いというのも、人には理解されない。
好き嫌いではなく、アレルギー反応もじんましんも出ないけれど、拒絶反応が出る。拒絶反応の説明はめんどうで、聞いた人の気分を悪くするかもしれないようなもので、そして説明しても理解されず、ただの好き嫌いだとしか思われないので、説明はしない。
が、以前、食についてのエッセイを募集していたのを見て、衝動的に書いて送ってしまった。
そして冊子になったものが届いた。
応募のほとんどが冊子に収録されていた。
げっ、まさか採用されるなんて思ってもみなかった……。ただ、知ってほしかっただけ……。(誰かに)
目次と最初に載っていた嵐山光三郎さんの寄稿しか、未だに読んでない。
……怖くて、開けない……。
きっとほとんどの人は、食の楽しさ、素晴らしさ、喜びを書かれているんだろうと思う。
わたしの書いたものを読んでしまって気分を悪くしている方、すみません。
幼稚園、小学校、中学校とずっと給食だった。
毎日、玉ねぎが入っていた。
毎日、毎日、毎日、毎日、わたしには拷問だった。
「給食は残さず食べましょう」とか、「世界には飢えて死んでいく子どもたちもいます。残飯はゼロにしましょう」と、クラスごとに残飯の量の少なさを競う、残飯ゼロ週間というのもあった。
小学二年生の時には、帰りの会で、「今日、給食を残した人は立ってください。明日は全部食べられるようにがんばりましょう」と、毎日立たされた。
別に、だれにも迷惑かけてないのに……。
となりのクラスの若い先生は、残してもいいって言ってるのに、なんでうちのクラスは……?
なんだったか忘れたけど、「先生これ、残してもいいですか?」って生徒の十数人が聞きに行ったら、めんどくさそうに「はい」「はい」「はい」と答えて、その日だけ残してもOKになったり。
教師の嫌いなものが出た時は、近くの席の生徒に「お前これ好きだろう? やる!」と生徒の皿に入れたり。(わたしは、見た。)
教師っていいなぁ。早くおとなになりたいなぁ。と思っていた。
自分のルールは自分で決める、とも思った。
学校なんてくだらないと、ずっと思っている。