ヒデ坊!の?つれづれ道草(´ω`;)

memories & ... そこはかとなく書きつくれば

大連・旧満鉄本社

2009年10月29日 | 中国旅行ですけど。

旧南満州鉄道株式会社(旅順~ハルピン)の本社、現在大連鉄路事務所。
凹型の建物で、向かって右側の手前に出っ張っている部分の2階に総裁(初代後藤新平)室があった。
社長室への玄関は特に時代を感じさせる。
関東軍とともに、実質満州を支配した特殊会社だ。
一応、歴史を振り返ってみると、1926.JAL、大阪-大連間初海外定期航空路開始。1927.吉田茂奉天総領事、中国に対してゴネる。1928.昭和天皇即位。1929.世界恐慌。1930.日本政府、呼称を支那から中華民国に変更。1931.満州事変。1932.武装移民団416人満州へ。1933.国際連盟脱退。1934.愛新覚羅溥儀、満州帝国皇帝に即位。・・・
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大連の路面電車

2009年10月29日 | 中国旅行ですけど。

日本時代に使っていた車両が、観光用も兼ねて運行されている。
座席は中国で言う硬座で、運賃1元でどこまでも行けるそうだ。
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金州・南山古戦場跡

2009年10月29日 | 中国旅行ですけど。


小高い丘の上にその場所がある。
ここら辺で、乃木将軍の長男勝典(慰霊碑は建っていない)が戦死した。
乃木将軍の有名な詩「山川草木轉荒涼・・・・・・金州城外立斜陽」が刻まれた大きな記念碑が建っていたらしいが、文化大革命の頃に撤去されたらしい。
(その山川草木の詩を中国の方が掛け軸にして、水師営会見所に飾ってある)
金州城(城壁に囲まれていた)は現在跡形もないが、その方面、旅順方面等をその当時を想像しながら眺めてみる。
かろうじて残っている台座のそばに、「南山日俄戦争(日露戦争)跡」のプレートがある。
日と俄という表現から、その後の友好関係の歴史を想像してしまった。
中腹にロシア人墓地があり、その入り口前に大きな慰霊塔が建っている。
日本人墓地はなく、日露戦後すべて日本に移送されたらしい。

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大連のテレビ塔

2009年10月28日 | 中国旅行ですけど。

海抜170mの山の上に建っていて、展望台は海抜288mの高さにある。
塔内には今年の干支の牛の張りぼてが鎮座していた。
展示パネルを見ると、中国の主要都市にこのクラスのテレビ塔がそれぞれ建っているようだ。
オプションツアーの夜景鑑賞で登ったものの、建物の灯りが乏しい上に、ガスがかかっており、何が何だか気分。
こんなんだったら、空気の澄んだ昼にリフト(昼運行)で来て眺めたほうが良いだろう。
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大連・星海公園、星海広場

2009年10月28日 | 中国旅行ですけど。

きれいな海で、冷たくなく、しっかりワンピースの水着を着て泳いでいる人がいた。
夏でもそんなに暑くならないらしいので、慣れているのかな。
公園の手入れも行き届いていて、小学生が団体でハイキングに来ていた。
元「貝の博物館」のお城の左側に写っているマンションは、大連一価格の高い(4,000万円~)マンションらしい。
この広場には、記念の足跡のモニュメントがあり、纏足の足型を初めて目にした(指先の方には負担をかけられないため、かかとに集中的に重心がかかるらしい)。
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