8月6日の広島原爆の日
主催してくださった田中千晶さんと永照寺ボランティアグループマイトレーヤ
開催にあたり、千晶さんと打ち合わせを兼ねてお話ししたこと、そのままチラシに載せました。
歌語りの打ち合わせをしている時、主催をしてくださる方の生き方や死生観に触れることがよくあります。
今回は初めての試み、その話を残したくて掲載しました。
過去に「生きるちから」と言うコンサートをシリーズで3回しました。
教会に日蓮宗の高橋栄斎住職やホスピス協会の横山先生、私立高校の名物山口校長先生をゲストにトークと歌のコンサート。
それぞれの生き方やその人を知るシリーズでとても良かったから、いつか再開したいと考えていました。
車椅子の千晶さんが歌語りを主催したいっておっしゃったのは1年前の「万歳峠」を聴かれたその日でした。
嫉妬するくらいの美人さん(笑)
話してみると、勇気ある美人!
「生きる力」コンサートを思い出しました。
田中千晶
1972生まれ
甲府市在住 夫・息子・両親の五人家族
病気によって車椅子生活になり12年
晴美 千晶さんが歌語りを「主催」したいと言ってくれたこと、本当に嬉しかったんですが、なぜ主催したいと思ったのですか?
千晶 正直、明確な理由は、あの時の自分にありませんでした。昨年、「万歳峠」を聞いた時、ただ心が震えて、誰かに伝えなければという気持ちが湧き上がり、次の作品「広島~すずめ~」はどんなメッセージがあるんだろう、心の底からうねる最大限の言葉が「主催したい」だったんです。
晴美 ありがとうございます。声をかけてくださったあの瞬間のことは今でも覚えています。万歳峠は山梨県から出征し、九州鹿屋で特攻隊として散った青年の話、「広島~すずめ~」は広島で原爆孤児となってい生きてきた一人のおじさんの話、1945年の日本は戦争一色で、毎日が「生きる」ことで必死だった時代です。その時代を知る事で、平和である事に感謝をしたり、「命の尊さ」を感じたり、そこから謙虚に今を反省をしたり、今の時代だからこそ、生きる道標になるのだと思います。
千晶 その通りだと思います。広島すずめを観た時、歴史的な背景を知り、原爆への憤りはもちろんですが、人の持つ力強さみたいなものを感じました。晴美さんの作品から伝わるものは、生きる…ということでした。大変な思いの中から立ち上がる力を人は持っている。人が生きるとは力強いものなのだと…そんな思いが心の中に落とし込まれました。
晴美 歌語りはストーリーを聞く事で時代背景を知る事ができるけれど、それ以上に伝えたいことはこの瞬間を大切に生きるということ。戦争を伝えるって大切な取り組みだけれど大変です・・・車椅子の千晶さんがコンサート開催への取り組んで下さった事でたくさんの事に気付きました。ものすごい「勇気ある笑顔」にも出会えました。それぞれの人が自分らしく生きられる時代とはいえ、車椅子の生活をされている方が、こんなにも生き生きと心を開いてお話をされるとは思いませんでした。千晶さんにとって自分らしく生きるってどんな事?
千晶 自分を知ることでしょうか。自分を知れば最善の選択ができるし、人生って選択の連続だったりしますよね?自分らしい選択の延長線上に自分らしく生きることがある気がしています。 車椅子になり「なぜ私が?」と、どん底の時期が長く続きました。自分らしく生きるなんて事とはかけ離れた生活をしてたんです。でも沢山の方々が支えてくださいました。その思いが少しづつ力になり、車椅子の自分も、紛れもなく自分なんだなって思えるようになったんです。生き方は様々でみんな違う。だからこそ、まずは自分を知ること。弱いところも強いところも、ダメなところも良いところも…自分を知り、相手を認める。これが、私にとって自分らしく生きるという事です。
晴美 千晶さんが見ている車椅子の社会と私が見ている圧倒的多数のそうでない社会の間にバリアフリーと言う言葉がだいぶ浸透してきたと思うけれど、実際にはいかがですか?
千晶 両方を知る者としては複雑だけど、まだまだバリアを感じます。ノーマライゼーションという言葉があります。マイノリティー(少数派)であっても、暮らしたい場所で普通に暮らすことができる。そんな理念のことをいいます。この理念を実現するためには、みんなで助け合い、支え合う社会でなければなりません。これをなし遂げる事は現実問題大変な事です。けれど、思いをつなげていく事はできると思うのです。一つ一つは小さいものでも、繋がってゆけば、社会を動かすうねりになりうると信じているのですが!…難しい問題です。まずは知ってもらうという事も大切な事なので、私を通して車椅子の世界を知ってほしいと思います。それが、私のできる役割かも知れないとも思っています。
晴美 車椅子の世界を知るためにも、目に見えるバリアと心のバリアに気づく事が大切だと思います。心のバリアは見えないから、お互いの意識の中で培われていくもの、気づいた時から変えてゆく事ができますね。私は歌語りの活動を通して「人は一人じゃ生きられない、ありがとう」って感謝の気持ちで溺れそうになる事がよくある幸せ者です(笑)千晶さんのまっすぐな眼力にもそれを感じます。日々、心がけでいる事を教えてください。
千晶 吉田永正先生からいただいた色紙に「無一物中無尽蔵」という言葉があるんです。持てるもの全てを放てば、自分の中は満ちているというような意味です。つまり、ないという事はあまりあるという事です。心の的になっています。とはいえ、忘れる事もあるので(笑)朝心の中で唱えることにしています…それも忘れる時もあります(笑)それと「美しくありたい」です。それは心根のことで、まとう空気感がそうありたいと思います。これまた非常に難しい事ですが、せっかく与えられた人生です、努力は一応してみたいです(笑)逆に質問しても?晴美さんの日々心がけている事は何ですか?
晴美 「一途に」です。私は、生き方を選べる時代に「音楽」を選び、自分の仕事は自分で責任を取るフリーランスという生き方が気に入っていて、この年齢になっても、先がわからない不安に勝る楽しみを感じています。一途に生きる、あとは「直感」(笑)。千晶さんのまとう空気感!とても美しく輝いているけれども、積極的に外に向かう源になっている楽しみはありますか?
千晶 ボイストレーニングです。リハビリのために始めました。最初は息切れしてしまって歌うどころじゃなかったんです。最初の2年は夜ひっそりと家族に聞こえないように練習しました。去年からレッスンを受けるようになって3年かけて、フルコーラスを歌えるようになりました・・・うまくないけれど(笑)。若い頃はスキューバダイビングが大好きで海の中で生活したいって思ったくらいです。一度潜ると丘に上がりたくなかったです。前世は魚だったかもしれません…(笑)
晴美 まぁ!人魚姫を想像してしまいました。素晴らしい「絵」を描かれるので、絵画とおっしゃるかと思いましたが、ボイストレーニングですか!?「声」を出すって確かに気力がクリアになったり、歌にはストーリーがあるので、短い時間に様々な人生を体感できたり伝えたりできる不思議な魅力がありますよね。
千晶 そうなんです!歌うことが好きです。今の身体機能的に、上手に歌える日は来ないかもしれません。それでも続けていきたいです。続けていれば、上手く歌えるという夢が叶うかもしれませんから!(笑)そんな想像をするだけでワクワクします。
晴美 「勇気」って他人からもらうものより、自分で苦しんだ末に歩み出した一歩から生まれるものだから、千晶さんの「勇気ある笑顔」は本物で美しいのだと思います。当然、奥深くにあるこらえきれない思いは誰にでもあると思うのですが、同じ目線で生き方を語れる事こそ、バリアフリー、平安な時間を感じます。千晶さんが私のことを「愛の人」って表現してくれたことを誇りに感じます。出会ってくれてありがとうございました。
千晶 晴美さんと出会えた事は奇跡の様な出来事だと思っています。私の人生に光を当ててくれました。前に出る勇気が湧きました。感謝しきれない思いです。私はペイフォワードという言葉を使いますが、晴美さんは恩送りという言葉で表現していましたよね。頂いた思いを次へかえしてゆく。私も「愛の人」晴美さんから頂いた思いをそんな形で返してゆけたらと思っています。
主催してくださった田中千晶さんと永照寺ボランティアグループマイトレーヤ
開催にあたり、千晶さんと打ち合わせを兼ねてお話ししたこと、そのままチラシに載せました。
歌語りの打ち合わせをしている時、主催をしてくださる方の生き方や死生観に触れることがよくあります。
今回は初めての試み、その話を残したくて掲載しました。
過去に「生きるちから」と言うコンサートをシリーズで3回しました。
教会に日蓮宗の高橋栄斎住職やホスピス協会の横山先生、私立高校の名物山口校長先生をゲストにトークと歌のコンサート。
それぞれの生き方やその人を知るシリーズでとても良かったから、いつか再開したいと考えていました。
車椅子の千晶さんが歌語りを主催したいっておっしゃったのは1年前の「万歳峠」を聴かれたその日でした。
嫉妬するくらいの美人さん(笑)
話してみると、勇気ある美人!
「生きる力」コンサートを思い出しました。
田中千晶
1972生まれ
甲府市在住 夫・息子・両親の五人家族
病気によって車椅子生活になり12年
晴美 千晶さんが歌語りを「主催」したいと言ってくれたこと、本当に嬉しかったんですが、なぜ主催したいと思ったのですか?
千晶 正直、明確な理由は、あの時の自分にありませんでした。昨年、「万歳峠」を聞いた時、ただ心が震えて、誰かに伝えなければという気持ちが湧き上がり、次の作品「広島~すずめ~」はどんなメッセージがあるんだろう、心の底からうねる最大限の言葉が「主催したい」だったんです。
晴美 ありがとうございます。声をかけてくださったあの瞬間のことは今でも覚えています。万歳峠は山梨県から出征し、九州鹿屋で特攻隊として散った青年の話、「広島~すずめ~」は広島で原爆孤児となってい生きてきた一人のおじさんの話、1945年の日本は戦争一色で、毎日が「生きる」ことで必死だった時代です。その時代を知る事で、平和である事に感謝をしたり、「命の尊さ」を感じたり、そこから謙虚に今を反省をしたり、今の時代だからこそ、生きる道標になるのだと思います。
千晶 その通りだと思います。広島すずめを観た時、歴史的な背景を知り、原爆への憤りはもちろんですが、人の持つ力強さみたいなものを感じました。晴美さんの作品から伝わるものは、生きる…ということでした。大変な思いの中から立ち上がる力を人は持っている。人が生きるとは力強いものなのだと…そんな思いが心の中に落とし込まれました。
晴美 歌語りはストーリーを聞く事で時代背景を知る事ができるけれど、それ以上に伝えたいことはこの瞬間を大切に生きるということ。戦争を伝えるって大切な取り組みだけれど大変です・・・車椅子の千晶さんがコンサート開催への取り組んで下さった事でたくさんの事に気付きました。ものすごい「勇気ある笑顔」にも出会えました。それぞれの人が自分らしく生きられる時代とはいえ、車椅子の生活をされている方が、こんなにも生き生きと心を開いてお話をされるとは思いませんでした。千晶さんにとって自分らしく生きるってどんな事?
千晶 自分を知ることでしょうか。自分を知れば最善の選択ができるし、人生って選択の連続だったりしますよね?自分らしい選択の延長線上に自分らしく生きることがある気がしています。 車椅子になり「なぜ私が?」と、どん底の時期が長く続きました。自分らしく生きるなんて事とはかけ離れた生活をしてたんです。でも沢山の方々が支えてくださいました。その思いが少しづつ力になり、車椅子の自分も、紛れもなく自分なんだなって思えるようになったんです。生き方は様々でみんな違う。だからこそ、まずは自分を知ること。弱いところも強いところも、ダメなところも良いところも…自分を知り、相手を認める。これが、私にとって自分らしく生きるという事です。
晴美 千晶さんが見ている車椅子の社会と私が見ている圧倒的多数のそうでない社会の間にバリアフリーと言う言葉がだいぶ浸透してきたと思うけれど、実際にはいかがですか?
千晶 両方を知る者としては複雑だけど、まだまだバリアを感じます。ノーマライゼーションという言葉があります。マイノリティー(少数派)であっても、暮らしたい場所で普通に暮らすことができる。そんな理念のことをいいます。この理念を実現するためには、みんなで助け合い、支え合う社会でなければなりません。これをなし遂げる事は現実問題大変な事です。けれど、思いをつなげていく事はできると思うのです。一つ一つは小さいものでも、繋がってゆけば、社会を動かすうねりになりうると信じているのですが!…難しい問題です。まずは知ってもらうという事も大切な事なので、私を通して車椅子の世界を知ってほしいと思います。それが、私のできる役割かも知れないとも思っています。
晴美 車椅子の世界を知るためにも、目に見えるバリアと心のバリアに気づく事が大切だと思います。心のバリアは見えないから、お互いの意識の中で培われていくもの、気づいた時から変えてゆく事ができますね。私は歌語りの活動を通して「人は一人じゃ生きられない、ありがとう」って感謝の気持ちで溺れそうになる事がよくある幸せ者です(笑)千晶さんのまっすぐな眼力にもそれを感じます。日々、心がけでいる事を教えてください。
千晶 吉田永正先生からいただいた色紙に「無一物中無尽蔵」という言葉があるんです。持てるもの全てを放てば、自分の中は満ちているというような意味です。つまり、ないという事はあまりあるという事です。心の的になっています。とはいえ、忘れる事もあるので(笑)朝心の中で唱えることにしています…それも忘れる時もあります(笑)それと「美しくありたい」です。それは心根のことで、まとう空気感がそうありたいと思います。これまた非常に難しい事ですが、せっかく与えられた人生です、努力は一応してみたいです(笑)逆に質問しても?晴美さんの日々心がけている事は何ですか?
晴美 「一途に」です。私は、生き方を選べる時代に「音楽」を選び、自分の仕事は自分で責任を取るフリーランスという生き方が気に入っていて、この年齢になっても、先がわからない不安に勝る楽しみを感じています。一途に生きる、あとは「直感」(笑)。千晶さんのまとう空気感!とても美しく輝いているけれども、積極的に外に向かう源になっている楽しみはありますか?
千晶 ボイストレーニングです。リハビリのために始めました。最初は息切れしてしまって歌うどころじゃなかったんです。最初の2年は夜ひっそりと家族に聞こえないように練習しました。去年からレッスンを受けるようになって3年かけて、フルコーラスを歌えるようになりました・・・うまくないけれど(笑)。若い頃はスキューバダイビングが大好きで海の中で生活したいって思ったくらいです。一度潜ると丘に上がりたくなかったです。前世は魚だったかもしれません…(笑)
晴美 まぁ!人魚姫を想像してしまいました。素晴らしい「絵」を描かれるので、絵画とおっしゃるかと思いましたが、ボイストレーニングですか!?「声」を出すって確かに気力がクリアになったり、歌にはストーリーがあるので、短い時間に様々な人生を体感できたり伝えたりできる不思議な魅力がありますよね。
千晶 そうなんです!歌うことが好きです。今の身体機能的に、上手に歌える日は来ないかもしれません。それでも続けていきたいです。続けていれば、上手く歌えるという夢が叶うかもしれませんから!(笑)そんな想像をするだけでワクワクします。
晴美 「勇気」って他人からもらうものより、自分で苦しんだ末に歩み出した一歩から生まれるものだから、千晶さんの「勇気ある笑顔」は本物で美しいのだと思います。当然、奥深くにあるこらえきれない思いは誰にでもあると思うのですが、同じ目線で生き方を語れる事こそ、バリアフリー、平安な時間を感じます。千晶さんが私のことを「愛の人」って表現してくれたことを誇りに感じます。出会ってくれてありがとうございました。
千晶 晴美さんと出会えた事は奇跡の様な出来事だと思っています。私の人生に光を当ててくれました。前に出る勇気が湧きました。感謝しきれない思いです。私はペイフォワードという言葉を使いますが、晴美さんは恩送りという言葉で表現していましたよね。頂いた思いを次へかえしてゆく。私も「愛の人」晴美さんから頂いた思いをそんな形で返してゆけたらと思っています。
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