会場の関係でエレピや音響機材のセッティングが慌ただしく、理事さんたちみんなにお手伝いいただいて最短30分でセッティング、呼吸を整えながら音決めとリハーサル。
音を作るのもOKだすのも自分(笑)
リンが来てくれたので、手元ではなく音響席を作り、音量の調整を頼んだ。
だんだん要求も増え、リバーブにも挑戦。
SE入れにも挑戦。
追い込まれたとは言え、若いっていい、やってしまうから。
ママの一大事だし(笑)
今日は「声」に挑戦。
映像もなし。
大好きな写真3枚と一緒に立つ。
しみじみと聴いて下さるってこんな感じかもしれない。
「語りうた」は決して自分の演奏披露ではない。
そう、同調、共鳴。
さまざまな形で「いのち」と向かい合う皆さんの想いは深い。
丁寧にことばに気持ちを込めるしかない。
DVD研修やグループセッションを経て、「がん」という病気と闘ってる現場にはたくさん問題があって、生き方があって、「運」があって。
情報不足による不安や病院や医師との巡り合わせ、そして経済状況によって差別されてしまう「いのち」だってあること。
今、この時を闘う人たちの声はなまなましい。
ここで「死」を語ることは忌まわしい事ではなく、むしろ「生き方」にかかわるプロセス。
そのプロセスのひとつに自分が納得のいく治療が受けられる事が難しい現実の問題が。
今日は女性議員の方も来ていらっしゃる。
平等な医療を受けら得る国家的システムで、そんな「運」を背負ってしまった方たちの、せめて「生きるちから」の支えが確立されてほしいと思った。
私だって他人事ではなく、いわゆる「がん年齢」なのだ。
早期発見のための検診の普及や緩和ケアやターミナルケアの周知、ホスピス協会の担う役割はどんどん広がる。
そんな場所に自分の役割をいただけ事と今後に微力ながらやりがいを感じる。
練習の調整がうまくいったのか?一曲目から声はのびた。
そのかわり、今日までにだんだんとしゃべり声がかすれてしまって、トークはしゃべりにくいし、きっと聴きにくかっただろうね。
早口だったみたいだし。
面白かったのが、「樹より」や「道」の時に共鳴してビリビリ言い出したのは大好きな「写真」たちだったこと。
限られた時間を思い、ライナーノーツを配っていただいた。
曲についての想いやコメント。
はじめての試みだけれど、これはいいね、次回もそうしよう。
11月の六斎さんの予約の声をたくさんいただいた。
チケットを持ち歩く習慣が身についていないのは失敗。
協会の理事さんがまとめて下さることに。
さらに、大きな目標をいただいた。
本気でがんばろうかな・・・。
ホスピスライブ、出会いに感謝を込めて・・・
病と共に毎日を過ごされる皆さんとご家族が少しでも穏やかな時間が持てる事を心から祈ります。
harumiさんの歌語りに出会えた、ホスピスの方々はラッキーでしたね。
以前、がん難民も経験して、いろいろと考えさせられました。
西洋医学から見放されたがん患者の方は、経済的に余裕のある方は、無認可の治療薬を数百万もかけて個人輸入したり、西洋医学に限界を感じた方は、生き方そのものを変換することで新しい人生を手に入れたり、「死」と向かい合った時に初めて「生」と向かい合った方々も少なくないようでした。
がん化した細胞は自分の分身です。
身体は必死にメッセージを発信しているのですから、そのメッセージをそのまま受け取れば、がんは役割を果たし元の細胞に還って行きます。
「がん呪縛を解く」千島学説との出会いでした。
素敵だな~と思いました。
誠さんが不在でも、感動的なライブができるのは、リンさんが有能なパートナーだからでしょうね!!
お疲れ様でした!六斎さんでのライブ楽しみにしています!!
「生きる力」はわたしの音楽活動の道標です。
外に向かった音楽活動をはじめてからいろいろな人生に出会い、気づく事もいっぱい。
どんな人生を歩みたいかと考えた時「死」のあり方は忌まわしい事ではなくおっしゃるとおり、「生」と向かい合う事でした。よく噛むように、よく生きる、がんばるだけじゃなくて、緩むことも含め、一日一日を大切に自分を生きようねってライブでした。
後半は「がん」という具体的な共通テーマの研修でしたので、今日は「おばぁちゃんの手紙」とは違う流れで、お好きな空気に浸っていただけるよう、ささやかだけれど平穏な時間を考えました。
誠さんは不在だったけれど写真は本人そのものだし、ライトアップされた写真は映像とは違う本来の良さがありました。
六齋さんは音職人のROKUさんが入って下さるし、もちろん誠さんも一緒、サブでリンもいてくれるし、あの場所で、のびやかに皆さんと共鳴できたらいいなって思っています。
makoさんへ