18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

北朝鮮

2017-09-05 18:48:00 | ノンジャンル
2017年9月5日 北朝鮮が繰り返し行っているミサイルや水爆実験。

アメリカは北朝鮮が早くアメリカか日本の領土内にミサイルを落とさないか待っているに違いない。

それなしに、北朝鮮をたたいたらそれこそ非難集中。

同盟国の日本の領土に落とされたり、自国の領土内に落とされると間違なく「宣戦布告」である。

そうなれば、徹底して叩くでしょう。ベトナム戦争のような事は起こさない必要はもちろんあるし、とち狂って周辺各国にミサイルを降らせるかもしれない北朝鮮、最初ですべて破壊するというのは当然の方法論。



北朝鮮もわかっている(はず)だから、実験を繰り返すのみ。



さすがにじれる。だから「斬首作戦」だのが考えられていたのだ。





仮に、北朝鮮が愚かなことに米国領土、日本国領土内にミサイルを落としたとする。
たちまち1000倍返しを行ってほしいが、それで北朝鮮の中枢を破壊したとする。
そのあとどうなるだろう。



ロシア、中国はどうする? 韓国は? 米国は? 日本は?



既に各国の首脳は北朝鮮後を考えているだろうね。








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やばいよね中国

2017-08-23 10:21:00 | ノンジャンル
中国がイギリスケンブリッジ大学に、天安門事件に関する論文を中国からのネットアクセスから遮断するように要請、同大学はこれを受け入れたという、言論統制のニュース。

なぜケンブリッジ大学はそんなバカな要請を受けたのか?言論弾圧に屈する程度の大学だったのか?理由はケンブリッジ大学の教育メディアが中国で大きく売上を伸ばしており、遮断しないとこれらの販売を一切禁ずると言われたからだそうだ。

この件、ケンブリッジ大学は直ちに撤回して、中国の横暴さに不満を持っている多くの人たちの溜飲を下げたが、もし撤回がなかったら、「ここで商売がしたかったら、”つまらんもん”は目につかないようにしとけ」というヤクザと同じ脅しに負けたってこと。


中国のヤクザまがいの行動は、例のAIIBも同様。


発展途上国に対して個別で融資をしてきた中国は、通常国際間支援で想定される以上の金利負担を要求し、甘い経済見通しの上であるにも関わらず国家間で投資を合意。いざ当該国が返済できなかったら、その投資によって整備された港湾は中国が専用で使うというもの。

つまり「お金の返済見通しの甘い人に金を貸し付けて、借金のかたにその借金した人の家に我が物顔で住み着く」というこれもヤクザの手口。

そのうち中国国民が住んで生活しているという「既成事実」を作り領土としてしまう算段なのであろう。

AIIBでは、これをより大規模に行うものである。日本のADBとは理念が全く違う。AIIBでは高金利で甘い審査で貸し付けを行う。つまり大々的にこのヤクザの手口を広げてあちこちに中国を作ろうというもの。

中国は12億人とも言われる国民の腹を満たさなければいけないから、海洋資源を特に集中的に自分たちのものとしようとしている。

ガラパゴス諸島近海で数千匹のサメの違法漁が行われているのももちろん、紅サンゴの不法漁もそうだ。


中国という国は、自国民というより、自国が、自らの権力が全世界に及ぶことをよしとするまさに覇権国家。

そのためには既成事実やヤクザまがいの狡猾な手口で相手の国や地域に脅しをかける。
中国は、そんな国であることを絶対に忘れてはいけない。


中国だけでなく韓国も同じ。

盗み、嘘をつくことが、国の為という旗印の元では正当化されるのだ。

我々日本もかつてはそういうことをしてきた歴史がある、もちろんそれは二度とやってはいけない。
多くの左翼系メディアが日本政府をそれこそ狡猾に、大げさな報道だったり、誤解を誘う報道をしているが、それらメディアがもっと酷いことを”今でも”繰り返している中国や韓国に対して批判的な報道をしないのには首をかしげる。



こう考えれば、メディアも中国並みにヤクザな存在だ。









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トランプ大統領

2017-01-21 09:35:00 | ノンジャンル
世界経済の中心的存在であり、世界の軍事パワーバランスの重要な役割を担っているアメリカ合衆国の大統領に、政治未経験のトランプ氏が就任した。

批判も期待もあり、株価やパワーバランスに就任前から影響を及ぼしているのを見ると、今後の4年間でどうなるのか見続けていきたい。

御多分にもれず、多くのマスコミはトランプ非難の論調が圧倒的に多い。

しかし、イギリスのEU離脱にしろアメリカ第一主義を掲げて当選したトランプ氏にせよ、自国民をどのように守るのかというテーマに対する回答という意味では大変興味深い。

これらの動きを「保護主義」と位置付けて問題点を提起するのは、マスコミの役割の一つであるがそれよりも深く踏み込んだところまで進んでいるわけではない。
であれば、我々日本はどうなのかとシミュレートしてみるのはどうだろう。





もし、日本に大量の移民が流入し雇用を奪い生活保護費を消費していったとしたら?





日本は、保護主義的政策を打つべきだろうか?

現象として起きていないから想像しづらいが、日本の人口が減っていることに対して政府は移民を検討したり、特別な条件を満たせば永住権を1年で認めるという法改正も進められている。つまり、人口をある一定規模までもっていかないと、税収も国内経済も成り立たないと想定しているということだ。

しかし、一方での懸念はすでに起きているとおり生活保護費の不正取得の問題がある。勝手な見方ではあるが、文化も価値観も違う国民が日本でさまざまな理由をつけて休業し休職し働かないとする。一般的な日本人の感覚からすれば、本当に働けない人の為の生活保護が、働かない人の為に遣われる。

だまってみていられるだろうか?

それが、数万人、10数万人となっても、そのほとんどが働かない、日本の文化とは違う価値観をもった国の人だったとしたら?






イギリスは、我慢の限界を越えたという国民がEU離脱を支持した。

日本は、日本人はそこまで明確に行動を起こさないかもしれないが、当然問題視するだろうし、不満を感じるだろう。そして外国人排他が市民レベルで起きてしまうかもしれない。

これは保護主義か?はたまた最低限の良識を守れという文化的価値観の同一性を求めるだけのものなのか、排他主義か、人種差別か?






今のところ、自ら積極的に来日して、日本に住む多くの外国出身の人たちは、日本の文化が好きでいてくれるから、問題は起きていないだろう。しかし、いざ移民となれば話は変わる。金の為に母国に残した家族の為の出稼ぎだって今以上に増えるだろう。

生活保護の手厚さに胡坐をかくかも知れない、働く気もないのに家族をたくさん呼んで生活保護を食い物にするかもしれない。

多少の法改正をしてもそのまま受け入れるか、もう勘弁してくれと法によって規制するか。

いずれにしても、日本の財政を守らないといけなくなろうだろう。はたしてそれは保護主義か?







イギリスやトランプ氏の考える点はそこではないだろうか? 表現や発言はともかく、トランプ氏の言ってることは分かりやすい。TPP離脱を表明したが、米国人の雇用が増えるTPPなら賛成していただろう。いま発言しているアメリカ国内に工場を作れ!なんていうのも結果として米国民の雇用が減るとしたらそういう発言はしないだろう。


日本もいずれそういう事を議論しなければならなくなる。日本人は建前がすきだから、保護主義を声高には言わないかもしれないが、議論は避けて通れないはずだ。





「アベ政治は許さない」なんて、騒ぐことが目的のおバカな運動をするのとはわけが違う。

真剣に考えて結論をださないといけない。日本がアジアで重要な国であり続けたいなら、大騒ぎしたりデモをやっても意味はない。政治家に直接会って意見を言い続ける。あるいは自ら政治の場にでて行動を起こすしかない。





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ブラック企業

2017-01-04 10:03:00 | ノンジャンル
エイベックスの松浦社長が、法律を改正しろと言っていることで注目されている労働基準法。

そもそも、これは労働者を使用者からの一方的な搾取から守る法律として労基法が存在していることを認識しなければならない。

労働者は労働の対価として後払いでお金をもらう立場、使用者がお金を支払う義務を負うはずが、難癖つけてお金を支払わなかったり、お金を握っているという優位な立場を利用して、労働者に規定にない無理を強いることができてしまういわゆる強い立場であるからこの法律ができた。

もし、この立場が逆だとどうだろうか?

労働者が仕事を選び、勤務時間も選び、もらえるお金も決められる。

こんなことは現実には起こらないだろうが、使用者は言うなればこういう想像力を持つべきだ。

つまり、自分の自由にならない部分、誰かが自分の行動を制約する要素をつかんでいる状態。

こんなストレスなど使用者には想像できないだろう。




松浦氏の発言は、言うなればこういう感覚を無視するものだ。





使用者は、労働者のおかげで仕事が回っている。使用者全員が、自分の夢の実現のために働いているなんていう甘えを捨てるべき。
幼稚な労働の搾取、やる気の搾取を行なっている限り、優秀な経営者とは言えない。

たとえ、キーのメンバーが職場を去ったとしても、会社としてきちんと従来通りのパフォーマンスを出せる。

そんな組織を作ることが経営者の仕事の一つ。それを労働者のやる気に乗っかっているだけで何も施作を講じないならそれはサボりでしかない。




松浦氏だけではない、かのすき家を展開していたゼンショーも同じである。使用者が労働者に強いるものなど何もないはずである。労働者の犠牲の上に成り立つような商売は世の中から淘汰されて当然である。
労働者の自己犠牲、超過勤務の上に成り立つオペレーションを考えている管理職や経営者は単なるサボり。優秀どころか無能である。そんな連中が経営幹部だと笑わせる。そんな会社は解散させるべき。



かと言って、働く側が何の努力もしないでいいわけではない。しっかり成果を出すために学ぶべきこと、習うべきことは山のようにある。それこそサボっていられないはずだ。




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学歴

2016-12-30 11:56:00 | ノンジャンル
Yahoo!の記事で、学歴に触れたものがあったので、思うところを一つ。

いわゆる学歴は、中卒、高卒、大卒といわれる、卒業実績によってその本人の就学歴をいうものと、大学卒ならば、どの大学なのかという学校歴を言うものとがあるらしい。

ところで大学とは何を学ぶところなのか?

タイトルは覚えていないが、ある本に「大学は普遍性について学ぶところ」であると書いてあった。つまり学問的なアプローチから、ある特定の物事や思想といったテーマについて「普通」だとか「一般」だとかというものは何なのかを学び探求するものだそうだ。

それまでは、大学に行くと専門知識が身につく、専門家になり研究家になり博士になるといったようなイメージを持っていた。

きわめて高潔で純粋でそのテーマについて極めに極める為に大学に行くのだと思っていた。なので自分自身でも進学を考えたときに、何について極めたいかを考えて大学を調べていた記憶がある。


さて、話はそれたが、現代の大学進学事情はどうやら違うようだ。


就職のしやすさ、生涯所得、早い出世といった、就職の手段に成り下がっている。
人によっては、高卒と大卒じゃ人生が大きく違うなどという価値観を持っていたりする。


これらは現実


でも、これらはすべてではない


高卒でソニーに入社して、有名なコンサルタントとして活躍して年収数千万円という人もいるし、有名国立大学を卒業しても年収数百万の人もいるというのも事実だ。


多くの人は「それって少数でしょ?」
というが、なぜ少数なのかという問いには答えられないでいる。
その人たちには特別な能力があったから?その人たちは性格に問題があったから?


果たしてそうか?


少なくとも、高卒で成功している人は、目の前の事について全力で挑む。挑めるようなメンタリティを持っている。そのメンタリティとは"挑むことを楽しむ”というもの。


このメンタリティはいわゆる学歴には全く関係ない。


目の前の事を「くだらない」「俺のやることじゃない」「私がこんなことやるべきじゃない」というメンタリティだとまず、うまくいかないし、そういう人は、周囲から見抜かれているから、まあ適当な仕事しか回ってこない。本人は楽かもしれないが、研鑽を積むべき時に詰めないまま就社年数だけ重なっていると、権限をふりかざすだけの先輩になるのがおち。



また、もう一つあるのは「他人のせいにする」「言い訳する」というのもダメなパターン。これもやはり学歴には全く関係ない。任された仕事は自分が責任をもってやるという責任感とは、もちろんきちんと仕事を全うするという事なのだけども、そこには少々の予期しない事情があっても言い訳せずに仕事をやり遂げるという意味での責任感もある。



仕事がうまくいかないときに誰かのせいにした瞬間、周囲からは「仕方ないな、でもそれくらい気が付かないかな」と思われる。仕事がうまくいかず、叱られるのを覚悟のうえで自分が至らなかった部分を謝ると、「仕方ないな、今回のことで注意すべき事がわかっただろう」と思われる。



この差、実はとても大きい。これができるかできないかって学歴よりも自分自身というものに対する厳しさやプライドの問題なのだ。




学歴を価値観としてとらえ、その上に乗っかるという意味でのプライドではなく、仕事をやるにあたっての自分自身の覚悟、プライドである。




こう考えれば、学歴と仕事の間にはさして違いが無いように思える、一方で学歴が仕事に影響する場合もある。



例えば、入社選考では「少なくともこのランクの大学に入るための勉強はしたのだ」というものだ。同じ年齢で同じ条件を与えられながら、身体能力に違いがない前提で、マラソンを5時間かかっても走った人と、完走できなかった人を見たときには、事実はともあれ、少なくとも完走した人は練習はしたんだろう」と考えるのが普通だ。


これを単純理解してしまうと、大学受験しなかった人がまるで勉強しなかった様に聞こえるから、注意しなければならない。ある人の事が白じゃなきゃ黒だねと考えるのはあまりに単純すぎる。世の中も人間もそんな単純にできていないはずなのに、往々にしてそういう理解をする人にである。残念だが、そういうロジックを持っている人が人事には多いし、選考担当者に多い。深く考えない、採用を選考をまるで作業であるかのように考えている。こういう現実を考えると、やっぱり大学受験しておかなきゃ、大学でもより良いと言われる大学に進まなきゃと思うだろう。それも一つの解。でも、人の幸せはそれだけじゃないのも事実。


さて、話はそれにそれまくっているが、さらに大学進学、それもそこそこいい大学に進んでかつ卒業した場合のメリットがもう一つある。これは大学時代にどれだけ友人関係を構築するかによるが、やはり人脈づくりに大きく影響がでる。


いわゆる有名大学出身者は、いわゆる一流企業に進む。そこで5年、10年して順調に出世していれば、社会人としても優秀な働きをしているのだろう。そういう人たちの相互のコネクションは10年を過ぎ、20年、30年の間で公私に役に立つ場合がある。互いに状況を理解して人をつなげたり、情報を共有したりなどがかなり深部にわたって可能だったりする。


これも、単純に高卒だったら人的コネクションがつながらないかといえばそうとも言えない。ただ、そういうケースが多いか少ないかである。毎年大卒者が300人なり400人なり入社する企業でも、いわゆる部長クラスと言われる肩書がつくのは1%程度と言われているのだから、あなたが築いてきた友人関係が必ずしも、コネづくりに役立つとも言えない。


むしろ、早くに社会にでてより広く人的コネクションを構築する事が出来る高卒の方が、確率的に考えれば、小さな会社の役員だったり、世話役だったりするわけだから、案外いろんな人とつながりやすいかも知れない。



さて、ここまで両論併記のように書いてきたが、学歴についていえば、少なくとも就職に有利だとかというこざかしい理由で進むのはやめた方がいい。私学なら毎年100万円以上かかるわけだから、それ相応の事を身につけられないのならもったいないだけである。人生のなかで500万円ほどをかけた差が、どれだけ人生そのものに差をつけるかなど気にしていること自体が間違いである。



データ的にいえば、高卒者の生涯賃金と、大卒者の生涯賃金では1億ほど違ってくるらしいが、それがどうした。人間の幸福はそれこそお金だけではない。お金があれば幸せを感じる事が多いかも知れないが、それは限界を知らない無限の欲望を満たしてくれるという面である。お金がないから不幸かといえば、確かに我慢が多い人生となるだろうが、絶望するほどかといえばそうでもない。



要は、自分の人生をどんなふうに使うつもりかという事に尽きる。

朝から夜まで、何しろ働くことに人生を使うか、

湯水のようにお金を使う生活に人生を使うか、

さぼって、やるきなく、毎日すごす人生を選ぶか、



その為に、今何が必要か? その一つが学歴なり大学卒業という肩書ならそれを選べばいい。

自分自身の人生において、学歴よりも大切だと思うことがあるのなら、学歴ごときに時間を浪費するよりも、ほかの事に時間を使えばいい。




社会のなかで生きることにおいて、必要なのは、当たり前のコミュニケーションと相手への気配り、思いやりである。あなたが、周囲から気配りができる信頼できる人物だと評されることが人生でなにより大切なのだ。なぜかと言えば、それは間違いなくあなたを救うことになるから。



長々と書いたが、間違いなく言えるのは結局「人は人を見る」という事である。
入社選考で学歴はたしかにみられるが結局は人は人を見る。

人を磨かないまま有名大学に入学して、犯罪を犯して人生を棒にふっては意味がない。
人を磨かないまま、社会にでて、うまくいかず、自暴自棄になって人を騙したり刺したりする人生に何の意味がある。


人の人生は、人の生き方と書くとおり、問われているのは生き方なのだ。



より良い生き方の為に、必要なことをやればいい。


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