18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

純粋培養

2021-08-27 13:25:00 | 
とある仕事で、お客様から「この設計をお願いします」と言われる。

当然ながら、設計の前提となる「要件」が必要なのだけども、それを「確定」するのは、「設計」を依頼したお客様の仕事のはずだけども・・・


たまたま、その会社ではずっと設計を内製していて、ふんわりした要件を元に設計しながら要件を確定させる仕事のやり方を続けきた。

だからそのお客様には、「要件確定」が設計の中にあるというのが「常識」だった。


まさかそこでもめるとは思わず。


「いえ、お客様に要件確定していただかないとこちらは設計を進められません」

「そんなことないでしょ」


とらちがあかず。





このお客様の仕事のやり方がいいとか悪いとかではなく、


一般的な品質保証のプロセスを考えると、要件を確定させる仕事と、設計する仕事は別であり、それぞれの仕事の区切りできちんと「検証」して要件の正しさ、矛盾のなさ、無駄のなさ、重複のなさ、妥当性を評価されなければならない。




たまたま、それを正当なプロセスと考えている側と、そんなことを知らずにこれまでやってこられたお客様とでこの問題が起きた。




仕事として対価をいただき請け負う限りにおいては、責任の線引きをおろそかにしてはいけない。当然のことながら、この話は曖昧にせず協議して、結局お客様は自社で設計までを引き取られた。



さて、この仕事のやり方、世間一般で通用するのかなぁとお客様のことが心配になった。



一つの企業に長く勤める、定年まで勤め上げるのが美徳というのも否定はしないが、一方でその企業でしか通用しない純粋培養された職業人、いや会社人間を作っているのではないかと懸念する。



世間知らずで定年になって世間に放り出されて果たしてたくましく生きていけるのだろうか?
























メンタリストの発言と誹謗中傷

2021-08-16 16:04:00 | 
「メンタリスト」としてテレビに登場した、ある人がYOUTUBEでの差別発言で誹謗中傷を浴びているということがニュースになっている。



そのニュース。誹謗中傷していることを非難するわけでもなく、どちらかといえば、誹謗中傷され続けている本人の言動を取り上げて、何が問題なのかを問うている内容が殆ど。



いつからニュースは「誹謗中傷」を「炎上」という言葉に置き換え、その行為を全て発信した”本人の人格”に問題があるかのように報じるようになったんだろう。



行われているのは誹謗中傷なのに、ニュースはなぜそれを非難しないんだろう? 誹謗中傷はいけないことなんじゃないの?



誹謗中傷を非難しないで、ニュースを流しているって言うことは、つまり煽っている側って事なのだろうか?


そしてそのニュースが「止まらない炎上」なんてタイトルをつけていたりする。

笑える位におかしい。もはや異常だ。




それとも、単なるアクセス数稼ぎ?









ちょっと昔、2ちゃんねるというインターネット掲示板が注目されていたとき、書き込まれた内容の削除責任をめぐって裁判がおこなわれたが、書き込む方が悪いのか、書き込みを制限しないほうがわるいのかということが議論になったことがある。



その話題を聞いたとき、どちらが正しいのかという話ではなく、ネット掲示板って人間社会そのものが「見えて」るだけなんだなと感じた事がある。





SNSのコメント欄も本質的には掲示板と同じだ。





全くの赤の他人による誹謗中傷。根拠があろうがなかろうがそれが公然と行われる。

ネットなどが無い時代までは、狭い範囲で陰口で済んでいたが、ネット社会は、その陰口を表に浮き上がらせる。




陰口はそもそも人間の性。

そして、ネットでの炎上やら中傷も、陰口と同じ人間の性だ、だれにでもそういう感情はある。

だけどもいくら性とはいえ、普通の感覚ならば陰口などは醜悪な部分と捉えている。

その証拠に、もし実名でなら中傷コメントも躊躇するだろう。



しかし、誹謗中傷を平気で行える、実名がでない環境を与えられていることが理由なのか、
誹謗中傷が日常化していて、ただ実名がでないだけでもはやその行為自体を醜悪だと感じてないことが恐ろしいと思う。

行っている事は、本人で変わりないのに。




そもそも、人なんていうのは善意もあるし悪意もあり、善悪両面を持っているが、この醜悪さをさらしながら善意を示されても、
その善意が真意だったとしても、容易には信じられない。

でも、誹謗中傷を書き込む時には名前を出さず、善意を行う時には名前をだせば、他人には「善意の人」と映るだろう。



「バレなきゃいいじゃん」



という感覚なのだろうか。



けど、そういう行為を続ける自分自身はそんな自分をどう感じるだろう。



「ふつうでしょ?」



という感覚なのかも知れない。



そして、きっと自分が誹謗中傷される身になってはじめて気づくんだろう。



「なぜ、そこまで誹謗中傷されなきゃいけないんだ」「何を知っているというんだ」



そしてその誹謗中傷している人たちが仮に善い事を進んでする人だったとしても



「信じられない」

「偽善者だ」



と感じるだろう。



それまでは



「ふつうでしょ?」



と捉えていたのに。



「偽善者だ」



と。



いや、その偽善者は、あなた自身。











このようにして自分の善意を毀損するのが、他人への誹謗中傷。
つまり、誹謗中傷は、結局は自分自身の醜さを露呈し、自分自身の持つ人間としての誇りを毀損するもの。







もし、それを全て分かった上で、なおも続けるというのは、もはや感覚麻痺状態。





千と千尋の神隠しで、本能のまま食べ物にがっついて、決して食べることをやめられない豚になったのと同じだ。











あなたは、豚か?