18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

受験・・・それぞれの思惑

2006-10-28 12:39:06 | 風景
 高校の必修履修科目問題が世間で騒がれている。どれもこれも大学受験の為だそうだ。受験問題に対して、なんら議論がきちんと出来ずに、何年経っても改善できない日本人は本当にバカだと思う。

 暮らしに困らない生活の為には良い企業へ就職することが必要、良い企業への就職は、良い大学、良い大学に入るには、良い高校、良い高校は、良い中学、良い中学へは良い小学校、良い小学校に入るためなら、良い幼稚園、良い幼稚園に言えるならその前に習い事、もっとさかのぼれば、良い遺伝子をもった配偶者が必要・・・。
 
 結局そういうことを、国民全体でやってるのだってことに気づかなければならない。
 
 よい暮らし=よい企業への就職(で、所得が高い…)

 というのは、必ずしも間違いではないが、実はちょっと違う。

 本質的な視点で見れば、よい暮らし=充実した(自己実現できる)生活というのが正しい図式のはずである。その為にはお金は必要かもしれないが、逆は成り立たない。自己実現したいものが無い状態で、お金があるからといっても、それは充実した、よい暮らしにはならない。

 想像すれば分かる。たとえば湯水のようにお金を使えるとする。毎日好きなブランド品を買いあさり、友達よりも先に入手困難なバッグやアクセサリーを手に入れ、有名人との食事に出かけ、高級車に運転手を付ける、自家用ジェットで海外に遊びに行く。世界中を超豪華客船で旅をする。なんだっていいが、そこには消費は存在しても生産は存在しない。

 生産しないということは、何も生み出さないということ。つまり存在意義が無いと言うことに繋がる。

 人は、生まれたからには、やはり、生まれた意味を求めたいものだし、生まれた意味を自分なりに見つけてそれに向かって動くものであるはずだ。そうでなければ、「いったいわたしは何のために生まれてきたの?」という事になる。

 人それぞれ、遺伝子が異なり、生まれも育ちもみんな違うように、見つけるべき目的がそれぞれ違って良いのだ。

 良い暮らし=充実した、自己実現できる、自分の夢、自分の存在価値を認めるあるいは求める生活とすると、良い暮らし=良い企業への就職、ではなくなるのである。そう考えればその後の図式も成り立たなくなる。良い生活→よい遺伝子なんてエゴも甚だしい。

その為の教育なんて全然なされていない。家庭でも、もちろん学校でも。

 例えば小学生に、「銀行は何で儲けているのでしょうか?」と訊ねればいい。あるいは「花屋さんをやるのには何が必要?」と聞けばいい。まともに答えられる小学生がいったい何人いるのだろうか?

 欧米のある小学校では、以前にも書いたと思うが、社会科の授業で、経済の成り立ちを疑似体験学習で学ぶ。授業の中で、銀行をやるひと、花屋さんをやる人と、それぞれの仕事や役割について勉強するのである。そうすると事業をはじめるにはお金が必要で、そのお金の調達先として銀行があることを学ぶ。教科書で書かれている文章を勉強するのではないのがミソだ。こういう教育を受けていると、自分で事業をはじめたいと思う学生が多くいても全く不思議ではない。

 こういう話がある。いまや世界のパソコン販売のナンバーワンといえばDELLコンピュータだが、その創始者のマイケル・デルが、大学時代にいまのデルモデルといわれるビジネスモデルを、教授に提出したか、説明したときに、その教授はその内容に不合格の評価をしたのだそうだ。しかし、マイケル・デルは自分のビジネスモデルを信じて、行動し、いまの地位を得た。

 ビジネスモデルを描き、新しいビジネスを考える。多くの企業が生まれ、多くの企業がつぶれていく。それが当たり前の世界なのだ。

 つまり、欧米ではかなり若いときから、例えば中学、高校生辺りから自分の目標や夢を持つことを意識させられ、その実現の為に大学で学び、そして新しい自分の夢を実現するのだ。金融についてやりたいことがあり、その為に大学で学び、証券会社や銀行に入るひともいるが、それは単に高給だからではなく、やりたいことの為である。

 日本人は、一般にそういう面で成熟が遅すぎる。だから「とりあえず大学ぐらいはいかないと…」と「どうせ行くなら良い大学へ…」になるのだ。目的がないのに大学に行く。だから入学することが目標となる。卒業したかどうかは関係なくなる。

 人生になんら目標もなく、とりあえず大学は出ておく…、大学が目標になるから必修履修科目が軽視される。大学入学が目標になるから、入ってから何も勉強しないでいる。

 親はもっと子どもに伝えなければならない。若いときこそ自己実現に一番近い時期なのだと。だから、しっかりと夢を持つこと、目標を持つこと、社会のしくみ、経済の仕組みなど伝えなければならない。そしてその子どもが持つちいさな可能性をみつけてやりそれを時間をかけて育てなければならない。これが親の役目なのだ。だからといって子どもは子どもの人格があるから、親の言うとおりに行かなくても、それはそれでかまわない。子どもが自分で見つけた目標を優先すべきなのだ。


 そういう親子の関係の中で、初めて大学へ行く意義を見つけるし、1つ1つの教科の意味も理解できるのだ。

 日本全国、先生も教育委員会もみーんな、大学を出てる”賢い”人たちの筈なのに、なぜこういう議論にまでならないのかと思う。”ことなかれ主義”は生きる知恵であるかもしれないが、自己実現の知恵では決してない。そういう論理の中に子どもを巻き込んで子どもを被害者にしてはいけないのだ。

 今回の問題の根底には、そういう親や教育関係者たちの怠慢が横たわっている。



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ん?と思うモノ

2006-10-22 19:52:34 | ショッピング
 99ショップというお店がある。税抜き99円でいろんなものを売っているのだが、たまに「え?」なんていう商品が並べてある。

 99ショップの場合はどうか解らないが、こういう形態の店は、大抵本部にバイヤーとよばれる仕入担当者が居て、仕入の量や仕入れ値を決めている。だから基本的には店舗側で何を仕入れるかは決められない。

 この99ショップは、日用雑貨から、食品、酒類に至るまで基本的に99円で販売しているが、もちろん例外もある。牛乳などは160円だとか、酒類も140円ぐらいで販売している。買い手としては、メーカー品が99円で手に入るのならありがたいが、なかなかそうは行かないようだ。

 さて、この99ショップで以前「ココナツ」が売っていた。まったくそのままココナツの実が置いてあって、99円。そもそもどうやって食べるのか?そして何を食べるの?もしかして食品として売ってるんじゃないとか?思ってみていたことがある。

 ココナツの実を必要としている人がいったい何人いたのだろうか?とか売れたのかなぁとか思いながらも、何日か経つとココナツは店から無くなっていた。まあ完売はしてないのは間違いないだろう。

 そして最近、また奇妙なものを見つけた。”大学芋のたれ”である。見て思わず「はぁ?」と関心した。そもそもそういう商品があったということと、それを店に並べたということに対してだ。

 安売り山積みで有名なドンキホーテは敢えて商品だらけの店にして、「発見」の楽しさを演出しているのだそうだが、いやはや99ショップも負けてない。


▲大学いものたれ タレだけを食べるわけにもいかず・・・
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ここにも野球が大好きな男がいた

2006-10-11 23:41:19 | スポーツ
 2006年のセ・リーグ優勝を決めた中日ドラゴンズ監督落合博満。普段は”どっかのおっさん”のように振る舞い、ジャイアンツの原監督のような、熱血漢風でもなく、どちらかといえば、楽天監督の野村のような、パ・リーグの”野球職人”の雰囲気いっぱいの男が、優勝を目前にしたところから涙が止らなかったようだ。

 人は、男も女も、これ以上無いくらいに打ち込んで必死になってやり遂げた後は、なぜかしら涙があふれてくるものだ。言葉では表現しきれない何とも言えない感情。達成感と充実感と、安堵感と、それまでの道のりを乗り越えてきた苦労が報われたという感覚が混ざり合った上に、もうひとつか二つ、何かが加わったような感情である。

 どちらかと言えばクールだと想われている落合監督だが、この人も野球を愛する人の一人である。道具を大事にしない選手は認めない。グラブを丁寧に扱わない選手は絶対に大成しないという考えを持っていることからもそれがよく分かる。

 テレビで放映される落合語録は、どちらかと言えば、クールで冷めた人的な発言が目立つが、実際は野球が好きで好きでたまらない、純粋な人なのだ。

 そして、優勝して、流れる涙を隠すこともなくペナントレースを振り返った。ペナントレース終盤の阪神の猛追をかわしての優勝だからこそ、そういう戦いを乗り越えての優勝だからこそ、思わず涙が流れてきたのだろう。

 ちょっと早いけどプロ野球選手、監督、コーチは144試合大変お疲れ様でした。そしてまた新しい戦いに向けて、選手、監督は進んでいくのである。


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出生届が拒否されること

2006-10-08 00:29:16 | ニュース
 タレントの向井亜紀さんと格闘家の高田延彦さんが、体外受精卵での代理母による出産で子どもをもうけたが、品川区が出生届の受理を拒否、その後の裁判の判断で受理を認めるような判決が下されたことに、法務省が、品川区に対して上告を奨めているというニュースがあったが、開いた口がふさがらない!とはまさにこの事だ。

 法務省のコメントとしては、最高裁による判断が必要とのことらしいが、品川区が上告するかどうかは品川区が決めればいい。

 そもそも、「出生届の受理を拒否」というのが信じられないのだ。

 法律は、国籍も住民票も持てない子を作るのか?法律は私たちの生活を守るために存在しているのではないのか?

 どこかの法律バカは、法律が法律がと、すぐに法律を盾に取りたがる。いや、もしかしたら自らが判断できないから、出来る能力がないから、「法律」で言ってることを適用することで、「わたしには責任はありません。だって法律できまっているんだもん。」という責任回避をはかろうとしているのかもしれない。

 そもそも、個人的判断、私的判断が入ってはならない行政手続きというのがあるから、ある程度はそういう考えになるのも認めなければならないが、困るのは今回のようなケースである。

 つまり、品川区も、「受理すると法律違反になるかもしれない、法律がそういってる」から認められないと言っている。これはすなわち「品川区は区として区民を守る前に、法律がそういってるから仕方がない。それを越える権限が品川区にはどうも無いように思います。」ということを言っているのだ。区民を守れない区。アホまるだしである。

 では結局だれが判断するのか?ということになるのだが、それが裁判にまで広がり、今回の法務省のバカな対応にまでなるのだ。

 品川区は、判決を不服としてというのなら上告するのもいいが、もともと「自らの判断」が存在せずに、他人に任せたのだから、今回の判決通りに出生とどけを受理するべきだ。それを上告して法務省のいうとおりに最高裁の判断を・・・などというのは区がやるべきことではない。

 さて、これがもし最高裁にまで進んだとして、万が一「受理の拒否」が支持されたとすると、いったいこの子ども達はどうなるのか?最高裁の判断を得て国民がよろこぶのだろうか?ええ加減にしろ!と言いたい。法務省!いったいおまえらは何のために存在しているのだ?法律のために存在しているのか?国民の方を向いた仕事ができないのならそんな省庁は解体再編しろ!

 そういう法律はいったい誰のために存在しているのかを考えるべきだ。なぜダメなのか?を合理的に説明できたとしても、それは何のためになるのか?そんなことをして、住民票がない子どもつくって何になるのだ。

 こういうことは絶対におかしい。あってはならない。なぜ人よりも法律が優先されるのか?法務省も、品川区も行政だし立法府に近い存在だから”法律の範疇”でものごとを考えざるを得ないのだろうが、そういうところが、”お役所仕事”いわれるゆえんである。一般に暮らしている人が、困るような法律などとっとと改正すればいい。

 今回のことでも、明確に法律で問題ないとなっていれば品川区も法務省も何も文句は無いはずだ。つまり法律を盾にして一般市民をこまらせていることになっているのだ。こまるのが分かっていて、法律を適用させ、出生届けを受け付けないというのはバカもいいところだ。そんな行政区が存在してそれが国民の為なのか?

 法務省は、品川区にそういうばかなことを奨めているひまがあったら、法律改正をすべきだ。法務省の怠慢で、こどもが不幸になるのだ。そういうことがあっていいはずがない。国民の生活を守る為に法律が存在している。法律はもっともっと時代に合わせて改正されてゆかなければならないはずなのに、さぼっている怠慢な法務省の犠牲に、一般市民がさらされている。

 そういう法務省こそ訴えられるべきである。


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永遠の野球少年

2006-10-01 00:15:02 | 
 北海道日本ハムファイターズがレギュラーシーズン一位となった。そして新庄剛志が、グラブを置いた。その背中は、まるで野球好きの少年が、日が暮れて暗くなってみんなとの野球を終わって家に帰るときの後ろ姿のように見えた。

 日本のプロ野球もたくさんの優秀な選手を輩出してきた。

 しかし、ことしの新庄ほど、全てのプロ野球選手の原点である『野球少年』らしさを見せてくれた選手はいない。

 はじめて米国メジャーリーグに挑戦し堂々と成績を残した野茂英雄、同じくメジャーで活躍するイチローも、野球が大好きな人たちであるが、一方でプロとしてのストイックさが目立つ選手達である。

 長島も、いろんな”珍プレー”が愛嬌を呼ぶが、かれも野球バカの一人。すべては野球の為に・・・すべてはプロ野球発展の為にという信念が徹底されているプロだ。どんな取材にも笑顔で応じる、プロ野球選手だ。

 王は言うまでもなくストイックの第一人者だし、野村にしても”ぶつくさ”が目立つけども、野球に関しては徹底したストイックさで勝ちに拘ってきた人である。

 その野村から、”あいつは・・・”と顔をしかめられることもしばしばだったのが新庄である。

 とはいえ、そこには、野球少年である新庄に対する”うらやましさ”もあったのでは無いかと思う。

 日本ハムに移籍した新庄は、徹底してファンを楽しませることを追求した。「だって野球は楽しいんだもん」という彼の思いがそのまま実現したものばかりだ。そういう選手のユニホームに脱ぎ方は、こういう方法しか無かったのかも知れない。

 彼の姿に、それぞれの世代の人たちはきっと何かを感じるだろう。

 みんなもかつてはどろんこになりながらボールを追いかけたり、日暮れをすぎても部活に熱中していたり、何かに夢中になっていたものが合ったはず。そして大人になるにつれて、お金を持つことができるようになるにつれて、何かを捨てて、何かをあきらめて、”大人として”振る舞うことで社会に適合することを覚えて、毎日の仕事に追いかけられる生活を選択してきた。

 新庄もプロ野球選手だから、プロとしての力がなければ活躍出来なかったはず。それまでの間はもちろんしっかりと練習も積んだだろう。しかしかれはいつもどこか「少年らしいわがまま」を覗かせていた。

 ちょいわるオヤジもいいけども、「少年の目の輝き」をもった大人も悪くないなと、新庄の姿を見て、ちょっとだけうらやましく、ちょっとだけ懐かしく感じた。

 ”楽しむ”とはどういうことか?を新庄は見せてくれた。そして大人達に「もっと楽しもうよ」といってひとりグランドを後にした、その涙ぐんだ横顔を忘れない。



 
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