18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

「可能性」

2016-05-29 23:58:00 | 音楽
テレビを見ていてふと耳に入ったラップで歌う若い人たち向けと思われる歌の歌詞のなかに「可能性」という言葉あった。

「かのうせい」というアクセントからすれば、とても韻を踏みやすい。



でも、なんか簡単に「可能性」を押し付けてほしくないと思った。



可能性を信じたいと思って頑張って挫折して、「あぁ、やっぱり自分には可能性は残されていなかった」と思っている人に対する応援ソングの歌詞のつもりだろうが、とことん挫折しきった人には、トゲのように自分の壊れそうな心にとどめを刺す音でもある。



しかも、ラップで歌われてもなぁ。













可能性という言葉を信じなければいけない時とはどういう時だろう?




余裕をもって何かに臨んでいて可能性が高い人に、「可能性~♪」とうたわれても何の意味もない。





本当に応援してもらわなきゃいけないほど挫折しつくした人には「可能性」なんて言葉はいらない。




可能性なんて言葉は、「おまえの努力はまだ足りない」とも聞こえる。





そうじゃないはず。





可能性なんて無責任な言葉よりも、目の前の事をまず認めよう、そして自分を点検しよう、努力の方向が間違っていたら修正しよう、人と話をして気を楽にしてみよう




でいいではないか?






とことん疲れてしまった人には「可能性」という言葉はいらない。


まずは、ゴールの再点検、そしてそこに向かって進む方向を確認、それに加えて、どんな努力を重ねればよいかを周囲に素直に聞くことから始めるしかない。

どれだけ努力していても、方向が180度違っていれば永遠に目的には到達しない。最初からゴールと方向が分かっているような起用な人ならいいだろうが、多くの人たちは、それらを理解していない。それが証拠に目的を持たない大学生がうじゃうじゃいるだろう。


ゴールと方向性を再確認しよう。

それから、たとえ成果が出ていなくても、自分がこれまで積み重ねてきた努力を誉めてやろう。

自己否定ではなく、自己肯定である。

そして、冷静になってからゴールと方向の確認。間違っていれば直せばいい、間違っているかどうかが分からなければ、周囲に素直に聞けばいい。


素直になることが、何より大事なのだ。




それを、ラップ詞で「可能性~♪」だなんて歌ってほしくない。




あまっちょろい、嘴の青い連中が人の人生の可能性について無責任に語るな。可能性は個々の本人が試すもので、周囲がうどうたらこうたら言う問題ではないのだ。
















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広島、長崎こそが核抑止力である。

2016-05-28 08:54:00 | ニュース
2016年5月27日

この日を、日本の人たち、世界の人たちは忘れてはいけない。

そして同じく、

1945年8月6日

1945年8月9日

この両日も、世界の歴史の中で永遠に消えてはならない日である。




今回のアメリカの現職大統領による広島訪問は、日本にとって大きな意義のある事はもちろん、アメリカ、世界中の人たちにとっても意義のあることだと認識しなければならない。




様々な国が、核を持っている。


核を「抑止力」として持っている。


しかし1945年8月9日以降、世界中の誰も殺戮の為に核のボタンを押したものはいない。


それはなぜか?


お互いに核での戦いで国を滅びさせないという抑止力ももちろんあろうが、
核の使用は、広島で起きたこと、長崎で起きたこと、いやそれ以上に悲惨な破壊を起こすということを突きつけるからでもある。



核の使用により、なんの罪もない一般人が一瞬にして大量に殺される。いや、「消される」のだ。


熱線で一瞬にして消えてしまうのである。



広島、長崎での原爆投下の事実は、それを世界中の指導者に突きつけているのである。



日本人は、広島、長崎の原爆投下を学校の授業で習う。なぜ授業でそれを習うのか?



アメリカを憎むためか?



いや、そうではない。




戦争が招く悲惨な結果、兵士でもない市民が、生まれたての赤ん坊、いやお母さんのおなかの中で誕生を待っていた子も、その母親も、誕生を待ちわびていた家族たちを容赦なく殺してしまう戦争というものと、核というものについて、真正面から「なくさなければいけない責務が今の時代を生きる人たちにはある」という意味で習うのだ。



しかし、海外の核を保有している国ではどうだろうか?我々は知る由もないが、少なくとも人類の起こした戦争の中で、世界中の唯一の被爆国が日本で、何十万人もの一般市民が一瞬にしてころされた事実ぐらいは知られているであろう。



間接的であれ、核がどういう結果をもたらすのかその結果はすでに出ていて、知られている。




もし、だれもその事実を知らなかったら、もし、世界中の核保有国の誰一人として、実際に核を戦争で使用された経験も事実も知らなければ、果たして核の抑止力は、今ほどの効果があっただろうか?




核を実験でしかその能力をしらず、実際に核を使用したことがない場合と、核による悲惨な結果を事実として知っているのとでは、大きな差があろう。





広島、長崎という二つの原爆投下の都市を持つ日本は、今後も核使用の結果がもたらすもの、それによる普通の人たちの生命が蹂躙されることを、世界中に伝え、広げてゆかねばならない。


それが我々日本人がなすべき事である。


これは、決して、広島、長崎が悲惨でかわいそうだ、という内向きの話ではない。





世界中に向けて、核使用が何をもたらすのか、何を奪い、何を残すのかを発信し、核を持っている国が、ボタンを押すことは、悪魔に魂を売ること、いや悪魔自身になることに他ならないことを認識させなければならない。









今回の現職大統領の広島訪問とスピーチは、世界中に発信された。

もちろんそのことに大きな意味があるが、これはまた新しい核抑止のための第二のスタートである。

核を持つ国々のリーダーが広島、長崎を見ること、直接知ること、そして知った後それを発信し、国に持ち帰り各国でそれを伝えること。

我々日本人と同じように事実をわかったうえで発信し続ける事。




2016年5月27日はようやくそれがスタートした日である。






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STAP騒動から2年

2016-05-25 09:35:00 | ニュース
婦人公論に小保方氏と瀬戸内寂聴さんの対談が掲載された。
この件について「STAP騒動から2年」と言うタイトルをつけた記事をメディアが発信した。

ちょっと待て。マスコミは「騒動」とよく言えたものだ。
騒動にしたのは他の誰でもなくマスコミ自身では無いか?

騒動のポイントを整理すると大雑把にはこうだ。

1. iPSより優れている / 見るからに可愛らしい女性研究者がと言う点でマスコミが飛びつく。

2. 海外から論文に疑義
それを受けて、危うい研究成果では無いか?
またネットでの何の裏付けも持たない根も葉もない情報からこの成果はどうやら怪しいのでは、
無いかと噂が立った。
主要研究メンバー若山氏のリークでマスコミが疑惑報道に自信を持った。
マスコミによる小保方氏の過去追及。
自称科学ジャーナリストや、理系に自信のあるジャーナリストが個人批判を連発。
それに乗っかったテレビ取材と主要メディアの報道。
学会や大学も事実関係に重きを置かず、風潮に乗った発言や裁定。

3. 芸能マスコミによる小保方氏バッシングが小保方氏が理研を追われるまで継続

4. ネット民の根拠なき中傷が現在も続く。

この経緯を見てもわかるが、マスコミが大きな失態を犯している事がわかる。

一つ目は、若山氏のリーク情報を鵜呑みにした事である。裏付け取材の弱さ、若山氏のリークの理由や根拠の確認が不十分であった。なぜ研究チームの主要かつ重要なメンバーだった若山氏がリーク側に回ったのか?気づいて当然だったはずである。

二つ目は、小保方氏がなぜ「研究成果を捏造せねばならなかったのか?」が報道された形跡が無い事。弱冠30歳の彼女が捏造せねばならなかった理由は何なのか? これだけおお騒ぎになりながら、未だどのマスコミも報道していない。
これは取材のイロハではないか?そのイロハをすっ飛ばす程の確固たる自信があったとしたら、それはSTAP研究チームの主要メンバーである若山氏の関与以外には考えられない。

三つ目は、このような新発見に対するマスコミ自身のリテラシーの弱さである。研究はどのように行われるものか? 研究成果はどのレベルまで確証性がとれた段階なのか? また論文発表の持つ意味は何なのか?と言った事に関する基本的な知識と理解であるがそれが驚くほど弱い。山中教授の研究チームによるiPS 細胞の研究成果の取材でこれらの事は分かっていて当然だろうと思うのだが、残念だがそう言う面にフォーカスしたマスコミは皆無だった。

四つ目は、このような世界が驚く発見に対してマスコミは、視聴率と部数の為の意図的な取材方針と報道を繰り返した可能性が相当高いと思われる点である。また、誰かを吊るしあげる事でセンセーショナリズムを煽り、到底個人的な追及がふさわしくない場合でも個人にフォーカスするところ。





直接取材は一切していないが、自分からは次のように見える。


1. STAPが予想をはるかに超える注目を浴びた

2. 当時ベテランであった若山氏は自分にスポットライトが当たると踏んでいた。当然である。過去に何の実績もない小娘と学会でも名を知られている自分では比べものにならないはずであり実際のSTAP幹細胞生成のキーを握っているのは自分以外に他ならないと信じていた。名が知れて、研究環境も良くなる。理研との契約も続くかもしれない。ベテラン研究者としては極めて美味しい話である。逃す手はない。

3. ところがマスコミは、若い女性研究員である小保方氏にスポットライトを当てた。同じ取材を受けても自分自身と小保方氏のテレビでの扱われ方が大きく異なったことで徐々に不満が募り始める。多くのマスコミが研究成果の取材に訪れる。研究成果の説明を時間を割いて丁寧に行なった。にもかかわらず若山氏がテレビ画面に出た回数は小保方氏の足元にも及ばない。持っていきようのない不満が募ってもおかしくはない。

4. 海外から論文に対する疑義が上がってきた時。自分自身に火の粉がからないよう距離を置きつつ、記者に小保方氏の悪口を言った。最初はそんなつもりではなかった「まだ若い研究員だったので、周囲のサポートが必要だった。」と言う程度から「色々大変だった」となり「研究のイロハもわかってなかった」「適性が…」と、マスコミに誘導される形で発言が拡大した。また主要メンバーだった自分に対する疑義を避けるため「詳しい手順は彼女しか知らない」となり「ES細胞の混入」まで広がってしまった。これもおそらくマスコミ誘導であろう。

若山氏が主要メンバーだった事で若山氏からの情報の信憑性は高いと考えられるようになり、より高い確証を得られる取材対象は若山氏以外にはいなかった事からマスコミ若山氏の発言を最大根拠とした。

5. STAPの研究関係する若山氏は理研との契約期間中に研究が全て終わらない事を理解していた。STAP現象には自信があった若山氏は、理研での契約満了後の自分自身に必要な研究成果を持ち出し理研から早々に離れた。


こう考えれば、マスコミはいち早くセンセーショナルなニュースを取り上げることにのみ血道をあげ、肝心な事実の裏付けを怠った事は明らかである。

研究はすべて小保方氏の主導であろう、ろくな論文でないだろう、うまく取り入って理研に入ったのであろう、、、このレベルではネット民のなんの根拠もないたわごとと何ら変わらない。その憶測というか妄想に沿うように用意された過去のデータ。マスコミはまさに自ら騒動を作り上げたのだ。

一連のマスコミによるSTAP騒動の結果、未だに個人攻撃をやめない連中もいる。研究のけの字もや知らない連中ほどそれを続ける。知識があろうがなかろうが、みんなが誰かを吊るし上げれば、一緒になって吊るし上げに参加する事に何ら躊躇がない。自分のストレス発散で、やってることは武蔵小杉の事件の犯人と何ら変わりない。

われわれの様なマスコミの情報を受け止めるだけの立場としては、特にこの様な加熱する報道があった場合には、マスコミが冷静さを欠いていないか? 一方的な報道になっていないか? 信憑性十分と言えるか?と言った点に注意すべきである。

少なくとも、一連のSTAPの報道で小保方氏が捏造したと言う報道があった時に、彼女が捏造せねばならない確固とした理由が示されない限り、どれ程の報道があろうと信用すべきではない。



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間違った報道で失ったもの

2016-05-22 22:45:00 | ニュース
最近連続して、STAP細胞関連のニュースがネットに上がっている。一つは、ハーバード大学の特許のニュース、もう一つはドイツのハイデルベルク大学のニュース。

これらのニュースを見て思うのは、日本になぜ報道の冷静さがなかったのかという事。

欧米のマスメディアがどれくらいの誤報、どれくらいのゴシップをするのかわからないが、
小保方氏を徹底的に悪者にしたマスコミ報道は異常だったのは間違いない。
大した期間もなく、毎日新聞社の須田桃子記者が「捏造の科学者 STAP細胞事件」という本すら出版している。

この出版が2015年1月。論文発表は2014年2月。1年も満たないうちにこの出版をした「執念の恐ろしさ」はすごいものである。何の躊躇もない小保方氏のみを中傷する著書を出版したこの記者は何をしたかったのだろうか?

また、小保方氏を昼夜、場所に関わらず追いかけ倒したNHK取材班やNHKスペシャルでの報道も異常である。小保方氏に対する敵意すら感じる。そして、報道された内容には、情報を受け取るものに対して冷静で公平な判断ができるとは思えない「思い込み取材」と「思い込み報道」しかない。もはやこれは犯罪といっていいのではないだろうか?

「報道」にはある一定の保障がある。それは報道活動を委縮させてはいけないという社会のなかの合意があるからだ。

意図的でない場合の誤報などの誤りは「基本的には許される」もので、マスコミ報道はそういうある種の「特権」のようなものの前提で「報道の自由」が保障されている。

しかしながらこの保障は「ウソを報道してもいい」と言ってるわけではない。

意図的なウソ、誰かを貶める為のウソ、個人を攻撃することが目的の報道が行われた場合は、しっかりと「ごめんなさい、間違ってました」と言わなければ、マスコミがマスコミ自身に保障さされている特権を自ら放棄することにもなりえる。

報道の恐ろしさは、加熱し始めると「他社より先」が至上命令となり、断片と思い込みでスキャンダラスな内容のみを追いかける点にある。

事実がスキャンダラスなら報道してもいいのかもしれないが、ろくでもない取材、誘導した質問、どうとでもとれる証拠をならべ、自ら進みたい報道の方針にあう証言のみを採用し、合わない証言は報道に含めないというような、あきらかな誘導報道の場合は、新聞全面一面を使って謝罪するべきである。

これは、マスコミがマスコミ自身を守るために必要なのだ。


いわゆるネット民と呼ばれる連中のなかのアンチ小保方は、なんら事実も知らないで単なる一研究者に対する個人的憎悪感情をまきちらしているのだ。この連中がとんでもなく知能レベルが低かったとしても、まき散らした誹謗中傷には情報品質を表すタグはついていないから、事実と虚偽が等価に扱われてしまう。

これはネットの特性であるからそれはそれで結構だが、問題はそれをさらにマスコミが信じ込み明らかに取材が足りない部分をネット情報で補っている点である。

結果何が起きたか?

日本からSTAP研究の芽が消えたのだ。ハーバード大学、グーテンベルク大学が冷静に検証したような冷静さを日本から奪ったのだ。



マスコミのやった事による損失の大きさは計り知れない。


マスコミは報道の自由が保障されている。
だからこそ、思い込み、スキャンダラスなバリューを狙っての報道は徹底して排除しなければならないし、一度間違いを報道したならば、相応の「謝罪」をすべきだ。


「事実として信じた、若山教授の証言が・・・」などと言いそうだから付け加えておくが、証言する人物の背景(ウラ)もとらずその言葉を信用するなんていうのは、素人取材以外の何物でもない。

またこの一連の研究の実態を明らかにせず、すべての責任は小保方氏にあるかのような報道も、やはり取材が素人レベルでしかないと言える。実際の研究の肝心なところは若山氏が行っていたということが冷静に報道されていれば、小保方氏への一方的な誹謗もなかっただろうし、あれほど異常加熱した取材はなかったはずである。



マスコミは早々にこの姿勢を改めないと、日本の化学技術が世界から遅れること、若い研究者を潰すこと、マスコミ自身の保障を損なう事、報道の自由が脅かされること、報道があてにならず、ネット情報をあてにする人が増え、マスコミ自身の価値を自ら貶めることにつながる事など、とんでもない損失につながることを知るべきである。


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会社で出世する方法

2016-05-18 21:59:00 | ノンジャンル
5月病にさいなまれている人も増えているのかもしれない今日この頃。
あ~あ、このまま会社にいてもなぁとか、先輩を見ていると何となく将来が~とか、
だんだん仕事や会社が分かってくると、何となく入社したころの気持ちも失せてくる。

そんな気力をなくしつつある人たちもこれを読んで少しは気持ちを切り替えてもらえばと思います。


先輩や上司を見ていると、何が面白くてそんなに必死に仕事頑張ってるんだろう?と映るときもある。先輩や上司は、いまのそんな気持ちと同じ時期を仕事のハードルを一つ一つ乗り越えながら、仕事の面白さに変えてきた人だと考えた方がいい。

ただ、一方で気になるのは、将来どれくらいの肩書の役職につけるのかという事。

会社に無事就職したとして、部長になれる人は数%なんて数字があるとかないとか。
肩書なんて興味ない人も、出世こそ高所得の為に重要というのも事実。
だから会社の中で出世する方法をここに紹介しましょう。

出世とは何か?

分かりやすく言えば、会社組織の中で、「こいつは会社に必要」というフィルターと言える。
平社員のままの人は、「いてもいなくてもいい」と思われていると考えておおよそ間違いない。
でも早く出世するからといって必ずしも将来も安定しているとは限らないから厄介。

会社に入って一通り仕事を覚えて、まあ独り立ちできると認められると「主任」級。報告連絡相談ができる。一人で抱え込まないで支援を受ける、学ぶ姿勢があるなどの条件をクリアしていれば「会社にいていい」人になる。ただし会社に長くいるわりには「主任」のままというアンバランスさがある場合、それ以上の仕事は「不安だよお前の場合」と思われていると悟った方がいい。

そして「係長」「課長」といういわゆる肩書になっていくんだが、係長~部長なんていうのは、仕事の実力はもちろん必要なんだけども、徐々に社内でのふるまい方が影響してくる。

実力があって、部下の信望も厚いだけで出世を続けられるほど世の中甘くない。
部長が近くなってくると他部署との調整、対外調整能力が問われる。他部署との調整がうまいか下手で部長になれるかなれないか、部長どまりかそれ以上に進むかが決まってくる。


肩書が上がるにつれて、社内政治に汲々とするのは、これが原因だったりする。


「あいつうまくやりやがって」というドラマにあるような、同僚を出し抜いて上司に評価される行動や実績を残す奴というのは本当にいる。おおよそそうやって「振る舞い」で出世してるのが7割ぐらいとみていい。


真に実力があって部長をやっている人が2~3割。


だからもし、平均的な仕事能力しかないという自覚があるなら、さっさと社内でのふるまい方を学んだ方がいい。「おまえ、いつまで青臭いこと言ってんだよ」なんてたしなめられるような振る舞いでも許してくれるような会社は、風土そのものが寛容か、社長に気に入られている場合かどちらかだと心得た方がいい。
そしてもし、あなたが平均的な仕事能力以上なら、部長になれる確率は高くなるから、そのままの路線でバリバリ仕事を続けるのも一つである。


が、しかし、ここで大変な落とし穴がある。


ぎりぎり部長になったような連中が、バリバリ仕事ができて社内のふるまいにさして注意しない部長の足を引っ張りにかかる。
根も葉もないうわさをまことしやかに並べる。
実力ぎりぎりってことは知っているから、あとは社内でのふるまい方と相手の失脚しか自分がさらに出世するには方法がないのだ。


また、これが本当に簡単にうまくいってしまうから厄介だ。男の嫉妬ってみっともないとは思うがこれが現実。


自分には実力がある、社長とおおよそ歩調が合ってる、評価されているから大丈夫なんて思っているとある日突然、路線から外されることも珍しくないから注意だ。
そこまでして、部長クラスの人たちは自分の肩書や社内の評価が気になるのだ。情けないがそれが実態。もちろん、まだまだ会社そのものが若いような場合はこれに当てはまらないだろうし、会社規模がそれほど大きくない場合も、当てはまらないだろう。


しかし、上場企業や企業規模が大きい場合、少なからずそういうものが存在していることを覚えておいた方がいい。


同期入社で出世頭、本当に分かり合ってる仲間同士なら安心だろうが、そうでない場合は注意が必要だ。



会社の中で出世したければ、

1.もちろん仕事の実力をつける
2.社内でのふるまい方に注意する


それがたとえ自分の価値観に合っていなくても、出世したいならそれを選ぶべきだ。
もしあなたがとてもラッキーで、よい組織、よい上司、よい同期や部下に恵まれていたら、仕事の実力だけに注意していればいいだろうが、そんなのは稀。そういう環境があったとしても時代も組織も環境も変わっていく。決して恒久的なものではないから、注意したほうがいい。


こう書いている自分自身も、思わぬところで誹謗中傷。またそれを簡単に信じる役員連中。


もうそれを知ったときは「そんな集団の中にいたくない」とその会社を辞めた。腐ったミカンは周りも腐らせる。そんなところにいるのは危険だと感じた。案の定、その会社はIT企業でありながらここ10年間売上が全く伸びていない。社内のモラルもひどいと聞く。


出世ばかりに気を取られているとこの話のような腐ったミカンに成り下がる可能性がある。
だから仕事ができる事に重きを置いてまずは進むこと。社内のあれこれはまっすぐに仕事をやっていれば誤解はすぐに消える(消えないときもあるが)し、かりに辞めることになっても培った実力はほかでも通用するから心配しなくていい。


やっぱり出世は基本的には仕事の力のみであるべきなんだな。でも振る舞いも大事だからね。




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