18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

ジョブ型、メンバーシップ型

2022-03-31 17:16:48 | 社会・経済

今日のニュースで、富士通がジョブ型の人事制度を導入したと報じられている。

従来の人事制度は、入社してから配属部署が決まり、就く仕事が決まる。そして会社、経営環境の理由などから配属部署が変わり、就く仕事も変わるというスタイル。

本人の適性や希望がけっしてないがしろにされてきたわけではないが、時々「慣れない仕事」について大変なんて話しも聞く。

このような会社都合の人材配置や仕事のサインは、終身雇用が前提であり、定年までの40数年間の雇用が保障されているのだったら、まあ会社の言う事を聞いておこう、会社の為にみんな頑張れば、会社も成長するし給料も上がるだろうというある種の共同体意識があって、それが当然と受け止めてきた。

 

社歌があり、朝の体操があり、制服があり、社員食堂で同じものを食べて、仕事に直接関係ない行事がありなどと、実際に一体案や共同体意識を高めてきた。

アフターファイブの飲み会なんて典型的。

 

これを、メンバーシップ型とは言い得ている。

 

 

 

 

一方で、ジョブ型は、入社前から担当する職務や業務が決まっていて、そこで能力を発揮してもらおうという雇用。

人事制度といえるかどうかは不明だけども、欧米で一般的にある仕事に就く方法。

 

ところがこの2つは、対比する形で並べられるが、実はメンバーシップ型の対局にあるのはジョブ型ではない。

 

ジョブ型は、その対象のジョブで成果を上げるという働き方だけども、本質は、「自分でキャリア形成する」働き方の事である。

メンバーシップ型のキャリア形成は、配属先で仕事の成果上げる。成果の上げ方はその配属先のメンバーと協調する中で、リーダーシップを発揮したり、業績に貢献することで行われる。

一方のジョブ型のキャリア形成は、決して自分の「やりたいこと」や「専門性」で業績を上げるのでもないし、「専門性をより磨く」のでも無い。ジョブ型のキャリア形成は「専門性を付加価値ある形で提供できるようになる」事。

そして、そのためには、一つの企業でだけではなく、様々な企業で実績を積み上げて、自分の付加価値にすること。

 

 

これがジョブ型は、メンバーシップ型の対局にあるものではないという理由である。

 

 

ジョブ型を、専門家として働く働き方と捉えてはいけない。ジョブ型の働き方は、学者になることではない。ジョブ型は、自分の専門性を常に最新の状態にし、かつ必要とされる形にして届けることで仕事をする働き方なのだ。だれからも必要とされない知識や専門性では働けないしポジション(働き口)はない。例え専門性を持っていても、それを企業が「欲しい」という形で提供できなければ、ポジションを得ることは出来ないだろうし、提供できる人が見つかれば簡単に置換えられる。

 

ジョブ型の働き方とは、自分の付加価値を高め続けるという働き方なのだ。

 

 

メンバーシップ型の方が楽に思えるかも知れない。でも楽ができるメンバーシップの場合、いざその会社組織から出たときに、自分自身の付加価値を認めさせることが難しくなる。特に中高年になるとそれは顕著だ。

若い人たちの転職が比較的難しくないのは、「若くて、やる気とエネルギーにあふれていて、学ぼうと言う意識がつよくて、ある程度賃金を抑えられる」から。

そこそこ経験をつんで、いい給料をもらっているひとが、同条件で転職できるのは、30代半ばぐらいといわれている。

40代、50代での転職は、明らかに”チャネル”が期待されている。簡単にいえば強い人脈。

 

メンバーシップ型で働き続けるなら、上のポジションを獲得し、業界内である程度有名人になり良い人脈を作ることを目指すべきだろう。そうしたら会社を辞めてもある程度の付加価値は自分に残る。

多くの大企業の社員たちが、転職した先で使い物にならないといわれたり、大企業というだけでは再就職が難しいのは、結局その人の「付加価値」が不十分だからだ

 

 

 

ジョブ型は、いくらでも自分に付加価値をつけられる。その分大変だが、チャンスはたくさんある。どこでも通用する付加価値、より貴重で真の意味の「即戦力」足ることが出来るというキャリアを作ることが出来る。

そう考えて、自分自身にとっての仕事というものを考えることは案外面白いかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親ガチャ

2022-03-15 11:53:00 | 社会・経済
親ガチャという言葉があるらしい。

どんな親の元にうまれるのかは、いわゆるガチャガチャと同じ。自分ではどうにもならない「不公平感」か、「金持ちの家に生れなかった不満」をいう言葉として使うらしい。



情けないね。



アホですな。この発想。



勝負する前から言い訳してる。




こういう発想をしている限りは、おそらく勝負に勝つことは出来ない。




うまく行かない壁にぶつかる度に、言い訳に終始し、みずからの努力の時間を放棄する。




この言葉を使ってる本人たちはさしたる自覚はないだろうね。





さらにひどいのは「親ガチャってあるよね」





という連中。





そんなことに関心があること自体が情けない。






日本人に生れたこと、韓国人にうまれたことを国ガチャとでもいうつもりだろうか?



アメリカ人がよかった、日本人に比べてチャンスが多いとか?







あっそ。





くだらない、取るに足りない、まったく価値のないものが頭の中に存在すること自体がもったいない。






別にポジティブになれとはいわんが。せめて言い訳するなよな。







結局はだれもあんたのことなど助けない。


現実は助けてくれるだろうが、それはあなたがしっかりやろうとしているからよ。


自ら立とうとしないのに、過剰なおせっかいなどしてくれるわけなどない。


それともかまって~とばかりに泣きつくか?

そんな連中の言い訳が「親ガチャ?」


笑わせやがる。




親からすれば、そんなこどもなど「子ガチャだよ」



現実に親からそう言われないのは、その親にはどんだけバカでできが悪くても、言い訳に終始して努力しなくても、自分のかわいいこどもだから。


あんたは愛情に救われているだけなのよ。




親ガチャ言う前に、おまえ自身は子ガチャじゃないか点検すれば?






親の愛情に鈍感になって、親ガチャと自分の不幸を語り、かまって欲しいアピールをやり、生きていく中で言い訳をくりかえしてればいい。



きっとあなたの人生など、その程度。








親ガチャという連中の情けない理由はそこ。








そんなことないと言うなら、いますぐ「親ガチャ」などというクソみたいな発想も言葉もつかうな。




言い訳しないと自分にやくそくしてみろ。






どうやって生きるかなんて自分次第なのだ。自分が無力だとか金がないとか発想している連中ほど、金があっても何もたいしたことはしない。せいぜいいい物買う、かっこいいモノを買う、うまいモノを食うという消費しか思いつかない。





学校にいくというだけなのも消費。





自分の人生を作る為に何が必要かを真剣に考えれば金は二の次だという事が分かる。


分からないウチは金が無いことを言い訳にしてそこで停滞していればいい。

真剣な奴は金が無くても前に進む。そんなやつらに追い越されていけばいい。




出来ない言い訳に終始している、究極が「親ガチャ」に象徴されているようにおもう。






そんな発想も言葉も、口にするな、耳にするな、頭からいま直ちに消せといいたい。


あなたの人生を棄損するだけ。もったいないだけ、無駄な時間を使うだけだから。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアのウクライナ侵攻2

2022-02-26 16:56:00 | 社会・経済
戦争は嫌だ。

戦争は反対だ。

ロシアのプーチン大統領が「他に選択肢は無かった」などと兵力による侵攻と各地の攻撃を正当化しているが、こういう人たちこそ憲法九条にある「武力をもって紛争を解決することを放棄する」というのを自国憲法に入れることを考えるべきだろうな。


ま、そういう発想はないんだろうけど。


もし、仮にこの案を受け入れたとしても、自国の軍隊は持つことに不整合は生じないし、攻められれば兵力で対抗するだろう。


でも、それが本来の国のあり方だし、当然だと思う。






ロシアの侵攻で、様々な人たちが「戦争反対」を訴える。

それは賛成だ。

戦争は反対。




しかし一方で、ウクライナがロシアに空爆されたことを、戦争反対を訴えている人たちはどう考えているのかを発信すべきじゃ無いかと思う。


されるがままでいいというのか、防衛措置をとるのか、対抗措置をとるのか。


個人としての意見はもちろん、自国政府にどんな対応をとってほしいか、自国政府はどのような対応を取るべきかを発信して欲しい。


でなければ、「戦争反対」の言葉が霞のように消えるだけだろう。







いま、日本の政治家も国民も、ウクライナへロシアが侵攻することに対して国際社会も国連も何も出来なかったことを見ている。


もちろんこれから先、領土問題や民族紛争を抱えている中国もこの様子を見ている。
中国などは、経済力があればあそこまでやっても大丈夫なんだなと見ているだろう。



そうなれば、もはや日米安保も怪しくなる。米国が中国に遠慮するというよりも、中国という経済圏の世界経済に対して及ぼす影響を考えると、自国に影響する問題でもあるからだ。



日本はどうする?

日本政府はどうする?

同じ事が、尖閣で起きたらどうする?


南シナ海で人工的に陸地をつくり基地をつくった中国を相手に、


日本は何ができる??

米国に何をしてもらいたい?

国連は何をするだろう?

アジア諸国は、中国の経済力の前に無言を貫くのでは無いか?




危うい。




極めて危うい。




ロシアに対する制裁が甘ければ甘いほど、すでに甘々な制裁措置の姿勢だが、中国は自信を深めるだろう。





そういう意味において、ロシアを潰す勢いで対抗しなければならないはずだが、
残念だがそんな勢いはなさそうだ。




ウクライナとロシアが会話をし始めると、きっと周囲はほっとするだろう。




そして中国は、同じようなことをもっと狡猾にやるだろう。




静かにその日はやってくる。







中国が行動するのは明白だろう。いつかはわからないが、かれらは国が転覆しないかぎりまちがいなくその選択をする。






我が国は、きわめて危険な状態にあるということを共有しておきたい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアのウクライナ侵攻

2022-02-23 19:17:00 | 社会・経済
おそらくこんな心配をしているのは、自分だけだろうとは思うが、自分が考えることぐらいだれかも想像しているとも思うので、ロシアのウクライナ侵攻のニュースに触れて感じた事を少し書いてみたい。


ロシア、いわばソ連だけども、かつて不可侵条約を無視して終戦間近の日本に侵攻して北方領土を奪った実績がある連中。

あえて、連中と呼ぶのは、「国対国」の約束を守らないからだ。

社会主義国家というのはまあおおよそ身勝手に見えるが、ソ連のやったことは侵略以外のなにものでもない。

さて、同じようなことを社会主義国家はいまだにやり続けているが、その手口は狡猾である。

今回のロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナ東部をウクライナから独立させてその手助けをするというスタンスでやってくれた。

ロシアにとってはいい「口実」ができた。正当な理由である。ウクライナ東部に独立したい地域がある。そこに対して独立しろとそそのかすロシア。そそのかすのは何も問題ではない。独立しろ、ロシアがその後経済支援をするからと様々な支援をする。そして独立を決意する。しかしウクライナは面白くない。独立を「軍事力」か「政治力」か「経済力」で押さえ込もうとする。抑圧に対して当然反抗する地域。ロシアはその支援をするという名目で、ウクライナと戦う。うまくすれば、ウクライナ全土を奪い取りたい勢いである。


こんな、時代錯誤の国土拡大をやりたいと考えていること自体が信じられないが、国土が広がれば経済圏を広げられる。海洋資源、鉱物資源なども手に入る可能性が高い。資本主義国と比べて、国会経済が相対的に弱い国はなんとかして経済的裕福さを手に入れたいからいつもいい手は無いかと考えている。だから当の国にとっては真面目な政策のつもりである。


この様子を見ていて思ったのは、中国が沖縄をそそのかして同じようなことをしないかということである。



沖縄は琉球国だ。君たちは倭国ではないだろう。なぜ倭国の属国になっているのだ?文化的にも地理的にも近い。いまや中国は世界№2のGDPを誇る経済大国だ。そのうちNo.1になるだろう。沖縄の経済はどうなっている、日本政府からの支援だけではないか?経済発展については我が中国を見よ、1国2制度を実現し経済成長率は日本の優に2倍はある。この中国とともに沖縄の経済を成長させて、県民の所得水準を上げて、社会福祉も大きく改善しようではないか?中国13億人の仲間になろう。


などとそそのかして、沖縄をその気にさせ、独立を蜂起させないかと。
万が一にもそのようなことが起きたら、日本政府な何が出来るだろう?
そのような運動を、警察力で押さえ込む事が出来るのだろうか?

沖縄の一部の人には、琉球民族であることを守りたいと考えている人たちもいる。
米軍基地を押しつけられていることに不満を持っている人たちもいる。
教育水準や経済水準が相対的に低いと感じているひともいる。

そんな人たちをそそのかし、活動させて独立運動などが仮におきたら、日本政府はどんな手立てをとるのだろうか?

そして沖縄が「沖縄国」として独立するなら中国は大きな経済支援を行うなどとなったら、沖縄VS日本という図式から、中国沖縄VS日本という図式になり、国際紛争になってしまう。

中国は狡猾にも軍備を沖縄に配備する口実を得るだろう。そうなると事実上支配が、尖閣やら南沙諸島やらで起きてしまう。安易な軍事衝突は避けなければならないなか、日本は打つ手無く、中国に沖縄と持って行かれてしまうだろう。


そしてまんまと、尖閣諸島、沖縄は中国のものとなり、中国は経済水域を拡大させ、海洋資源をごっそり奪い去るのである。




ありえないだろうか?





沖縄の人の中に、日本でも中国でもどっちでもいいという感覚はあるのかないのか? むしろ中国のほうが生活が豊かになるんじゃないかと考えてたりしないだろうか? いや中国が、沖縄に対して、いまの2倍のあるいは3倍の予算を投じるとか、さまざまな魅力的な提案をひっさげてきたら、沖縄は最初は無関心であったとしても、そのうち揺らぎはじめるのではないか?





可能性は決してゼロではない。





武力ではなく、経済力でねじ伏せるのは日本政府でなくていい。琉球国さえ手中に収めれば、中国が喉から手が出るほど欲しい太平洋の資源は手に入るのだ。





きっとやる。いやもう誰かがやっているかも知れない。





これがロシアのウクライナに対する動きをみて、感じた事。





日本政府がすでにしっかりとした策を持ち、活動していることを願う。






















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憲法改正すべきだとおもう理由

2021-04-14 18:47:00 | 社会・経済
わざわざ、いまさら言うほどのことはないが、憲法九条を改正して、自国を自国で守れる国にすべきだと思う。


普通に考えてみれば、「紛争解決の手段として武力による威嚇も行使も永久に放棄する」なんて条文は、日本国民の生命財産をどうやって守る?ってことを実際論として考えてないから掲げられるんじゃないだろうか。



紛争相手が、武力を使わないとでもいうのだろうか?




もし、そう考えている人がいるなら、「アホですか?」と素直におたずねしたい。





現に、砲台を載せた、武力行使できる中国海警局の艦船が日本の領海侵入を繰り返している。




「海警局は、警察みたいなものだ、軍隊ではない!」とおめでたい事を言ってる人がいるならば、中国という国の「法」と日本の「法」の意味合いの違いをしっかり勉強した方がいい。






苦しい戦争体験をした人たちは、「戦争は嫌だ、駄目だ、同じ過ちを繰り返してはいけない」と叫ぶ。


それは否定しない。



戦争などない方がいいに決まっている。戦争はしちゃいけない。戦争は人の命を奪う。多くの不幸を生むのは間違いないのだ。



だから戦争はしちゃいけない。大賛成だ。



じゃあ、訊くけど、戦争をしかけられて、もっと現実的に言えば武力で日本の領土をぶんどられたとして、武力による紛争解決をしないとしたら、それで不幸を生んでないですか?


武力で、尖閣だけじゃなく、対馬や沖縄に上陸して、武力で住民らを威嚇し刃向かう者に対して武力で制圧する状況が起きたとして、まるごしで対応するしかない日本政府は、不幸を生んでませんか?


日本は日米安保条約によって米国に守られることになっている。でも米国が思いのほか中国に配慮して、武力制圧が遅々として進まないとしたら、日本国民はどう思うだろうか?


日米安保条約では、尖閣諸島も安保の対象としているが、具体的に米国はどんな風にして日本の領土を守るのかなど条約上で詳細が決まっているはずもない。


戦争は駄目だ!沖縄を犠牲にした日本政府を許さない!憲法九条をまもれ!とか言ってる人たちが、本当は一番、武力を必要としてたりしないだろうか?


日本共産党なんて、もし他国が日本国土に爆弾を落としたら、日米安保が脆弱だ!とかまた政府に文句をいうだろうが、議論はそこじゃない。





日本人って、結局どうしたいのか?






例えば、千と千尋の神隠しを上回る大ヒットになった鬼滅の刃。





思いっきり「武力」肯定してるよね。笑っちゃうぐらい相手を斬り殺してるよね。





千と千尋とはまったく違う、血みどろの戦いだ。なのに誰も文句を言わない。

朝日新聞とか日本共産党とかメディアとして、党として意見の一つでも言ったか?

エヴァンゲリオンでもそうだろう。明らかに未成年を戦闘マシンに搭乗させて戦わせる。

宇宙戦艦ヤマトなんて、そもそも「戦艦」だし。



もちろん、アニメだ。表現の自由だ。だから許されていい。



でもね、武力に対して武力で応じるって、人間としての本音なんじゃないだろうか。



むかしから、だれも別に武力否定してないよね。相手が武力で来てるんだから、自分たちを守る為の武力ってだれも否定してない。いや、むしろ礼賛してるふしすらある。









もっと、本音でいいじゃん。







「戦争は否定する、戦争はしかけない、戦争は反対だと叫び続ける事。平和主義だという事」と




武力で自国民を守る、自国民の生命財産、国土を守ることは、両立していいんだと。



どっかで、すっごく「きれい事」を全うしたい「純粋主義」的な発想があると、自らの行動に一点の「やましいこと」があってはならないと聖人君子を目指し、このような「矛盾」に見えることを受け入れられない人がおおいみたいだが、



現実論でいえば、




どれだけ崇高な理想を掲げていたとしても、自国民を守れない憲法を金科玉条のごとく守りこだわり、武力行使すらしないような政府って、単に『無能』なだけよ。





平和主義である事と、武力による防衛は両立する。






という事は、憲法学者のような憲法バカに訊くまでも無く分かるはず(いや、むしろ憲法学者は邪魔ですらある)。











中国はでかくなった。中国をもっと言い方変えれば経済発展した北朝鮮と言ってもいい。

北朝鮮も朝鮮民主主義人民共和国などといいながら一党独裁。

中国も、中華人民共和国といいながら、やはり一党独裁。





その中国が経済力を持ったのだ。






想像してみよう。あの北朝鮮が中国並みの経済力を持って、軍隊を持ったら?

日本はいまのままのんきに構えていていいのか?

どんな守り方をしてくれるかを含めて、すべて米国に依存しまくってていいのか?






日本は、もっと真剣に憲法九条改正を考えるべきだ。





時代は変わったのだ。






議論を、こわがるな与党。


日本を守れる議論をしろ、野党。

























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする