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自衛隊

2019-08-18 23:49:00 | 社会・経済
前回のブログエントリーで、国際問題解決のために武力は用いませんと書いた。

一方で、ホルムズ海峡を通るタンカーを守るべきという動きの中で、自衛隊を派遣することに異論を唱える声が多い(とマスコミがいってる)ニュースがある。


まず、「国際問題を解決する為に武力は用いません」は、言うまでもなく趣旨を説明したもので、、憲法原文では以下の通りである。


第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



まず、戦争、武力による威嚇、武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

ここまでなら、国際紛争を解決する為には、武力による行使も威嚇もしないし、戦争もしないとわかる。
憲法学者らは、これをどう解釈するか様々な議論を戦わせているのでお任せして、庶民の考え方といsては、「紛争」は国語辞典的には「もめ事」なので、戦になってなくてももめ事レベルも対象と理解していい。
だからもめ事を解決する為に、武力は使わないし、戦争もしないと言い換えられる。

続く条文には、陸海空軍その他の戦力は保持しないし、交戦権も認めないとまで書いている。




これまずい。このままだと自衛隊は憲法に違反している。




憲法に違反していても罰条がないから、そのままなのだろうけども、アウトなパターンですね。

話はそれるが、だから安倍政権では9条を改正して、自衛隊について条文を追加したいと言ってる。
そりゃ、政府ならそうしたいでしょう。


    こんなことを書いていて一つ気づいたことがある。
    よくニュースで弁護士団体らが一票の格差が憲法違反だと裁判をやっているが、
    自衛隊は憲法違反だと、弁護士らがなぜ運動を起こさないんだろう。
    どっかの政党に雇われた弁護士じゃダメ。政治的となるから。
    弁護士会も立ち上がるべきでしょ?
    なぜやらないのだろう・・・疑問。


話を戻すと、憲法9条では。

もめ事は武力、戦争を用いて解決するような行為は永久に放棄と言っている。

たとえ殴られても、たとえ火をつけられても、たとえ親戚や知り合い、家族が蹂躙されてもである。

加えて、自衛隊は違憲。交戦権も放棄なので、領海侵犯しても、不正上陸しても、不正に特定の島を「自国」と叫んで当該国の国旗をはったりしたとしても、政府間の話し合いでしか解決を求めないとも言っている。



めちゃくちゃでしょ?

こんなのでどうやって国民や国を守る事ができるのか? 
ずっと米国の核の傘の下で、何かあったら米国に守ってもらうしか方法はない。



それでいいんでしょうかね。



日本が、せめて日本国民の平和と安全を「守る」為だったら、武力による威嚇ぐらいはいいんじゃないのか?

陸海空自衛隊は認めるのはいいんじゃないか。

交戦権は認めてもいいんじゃないか。



そうしないと、国民の生命・財産は守れないでしょ。




もし9条改正に反対している人がいたら、否応なしにとあるX国が日本に何の予告もなく上陸し、「今日からここは我が国の領土だ」と言い出したらどうしますかねと問いたい。しかもその土地には、あなたの家族が済んでいるとしたら?




竹島もあんな状況で上陸をゆるしてしまわざるを得ない例をみれば、憲法9条のおかげで日本という国が何も出来ないってわかるでしょ。




本当にいいんでしょうかね。




ホルムズ海峡のタンカーを守るのは「揉め事解決」とは思わないが、これも問題視する人も居る。



じゃあ、何もしないのか? それでいいのか。反対する人たちは「9条があるから仕方がない」と言う。


それ、結構無責任だし、他責、じぶんのせいじゃないんだもん感がいっぱいなんですけどね。
そんな、いつまでも子どもじゃないんだから、さっさと大人な国になりましょうよ。





あ、あともう一つ。


9条は平和憲法と言うレッテルを貼るのは自由だけど、消極的平和の条文ですよね。

積極的に平和を作ろうなんていう憲法じゃないのだから、平和憲法というのはちょっとな、レッテルだな。


個人的には、憲法から9条がきえてほしいと思っている。
















靖国神社

2019-08-18 08:40:00 | 社会・経済
いろいろといわゆる著名人らが、靖国神社参拝や靖国神社に祀られている第二次世界大戦の日本のA級戦犯について議論を交わしているが。

そもそも、この問題は海外からとやかく言われる問題ではないと考えるか、海外へ「配慮」すべきものなのかというところから議論が真っ二つになっている。

個人的には、海外諸国からとやかく言われる問題ではないと考えている。



なぜか? そもそも靖国神社という一つの神社の話であり、またそこに「東京裁判」という異例な国際裁判でA級戦犯だと「戦勝国」が勝手に決めた結果に左右された御霊が祀られている事に、なぜ海外、特に中国や韓国から言われなきゃいけないのか理屈がとおってないから。



日本は、二度と戦争はしません、国際問題の解決手段として武力は用いませんと、憲法に定めている。


これだけでも、国際的には異例中の異例な話。本来ならこれで日本という国がどれだけ戦争について反省しているかわかりそうなものである。



であるのに、内閣があるいは国会議員が靖国神社に参拝することについても文句をいう。

さらにやれ南京、竹島、日本海、やれ慰安婦、やれ尖閣と経済力を得た隣国は次々に文句を言い出した。




長い目で見ていれば、隣国たちは、結局「経済力」を傘にきて国際発言力を得たとし、歴史の検証を経ずあるいは無視して日本を辱め憂さ晴らしをしている様にしか見えない。



つまり、相手にするようなものではないというのが本質なのだと思う。



戦争を、軍力を笠に着ていた時期があったのは事実。それによって多くの命が犠牲になったことも事実。そこで得たことは戦争はだれも幸せにしないということ。「多くの犠牲」の代表例として戦死者が祀られている靖国神社に参り二度と戦争はしませんというのはもちろんだが、そこに眠る軍の指揮官らに日本は二度と戦争はしないと誓うことも意味があるのではないだろうか。それが我が国のメンタリティであり文化である。そこに対して文句をいうのは、拡大解釈からもしれないが我が国の文化に対する間接的な誹謗中傷でもあるように思う。



靖国に立つと、いまの日本は多くの犠牲によって成り立ってきた事を胸に、戦争放棄の精神は守っていくべきだと思う。




一方で、万が一にも家族が身内が何らかの理不尽な暴力で命の危険にさらされるならやはり戦わなければならないという価値観も有している。




一見矛盾しているように聞こえるかもしれない。だがこれは本音と建て前というものでは決してない。

共になくしてはならない精神的価値観の話である。

愛する者を守る、守るべき人、家族がいるなら立ち上がらないのはおかしいと思う。

これが最も自然な姿である。だからこそ、戦争は起こしてはいけない、戦争放棄という精神が必要なのだ。



内面への深い考察があればわかる話だが、多くの政治家は相手批判の道具としてこの話を用いる。だから矛盾が露呈しやすんだが・・・。




戦争により命をなくした人からもしあなたが「いま日本は幸せですか?」と尋ねられたら、戦争のない時代に生きる我々は何を大切にしなければならないかを考える事になるかもしれない。