18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

ディープインパクト

2006-04-30 21:30:32 | 風景
 第133回天皇賞(春)の優勝は、武豊騎乗のディープインパクト。久方ぶりに、馬券でも買うかと思ったけども、結果は順当な線だった。

 しかし、競馬というギャンブルというかスポーツというか、本当に深みがあると感じる。馬と調教師とジョッキーの組み合わせが名馬を作るのではないかと思う。厩舎を見学した訳でもないし、普段乗馬をやっている訳でもない、単なる傍観者の浅はかな知識では殆ど何もわからないが、少し、ほんの少しだけそういう”関係”を知ることが出来る映画がある。

 ”シービスケット”という映画がそれだ。

 1930年代後半のアメリカが舞台の実話に基づいた、競走馬”シービスケット”とそのシービスケットが結びつけた3人の男の話だ。ジョッキーと馬の関係、レースと調教師の関係、馬と調教師の関係など、想像の域を出ないが、馬が単なる馬ではないことを感じさせてくれる。

 そして今回”ディープインパクト”が10戦9勝という圧倒的な強さを見せて、この馬に対する”夢”がまた一つ大きくなったと、騎乗した武豊騎手も言うとおり、馬は”夢”を乗せているというのも、”シービスケット”にもつながる。

 1930年代後半、アメリカでの大恐慌で多くの人たちが財産や家を失い、どん底に落ちた時に、シービスケットの活躍は多くの人に夢と希望を与えた。

 次代も、背景も何もかも違うが、”夢”を乗せているというのは変らない。これは競馬というものが単なるギャンブルだけではないことを物語っている。

 シービスケットは、2004年に公開されたが、公式サイトもまだ残っているし、レンタルDVDもあるので是非ごらんになることをお勧めする。

 ところで、戦果はどうかって?それは訊かない、、、ちなみに今夜の夕食は粗食でした。


シービスケット
主演:トビー・マグワイア、ジェフ・ブリッジス、クリス・クーパー



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プロの仕事

2006-04-29 20:18:55 | 風景

▲豊島郵便局

 先日、ある用事があって日曜日だったのだが郵便小為替が必要になったので郵便局へ出かけた。

 以前からインターネットでの郵便サービスの検索は充実しているが、最近は、土日の営業をしている郵便局の検索、もちろん営業時間などもわかるようになっていて大変便利だ。しかしさすがに土日の営業をしている郵便局は、簡易局も含めて少ないのだが、たまたま池袋には、西武百貨店内の池袋西武簡易郵便局と、豊島郵便局があったので、「近いしたすかった」と思って出かけた。

 もちろん、駅に近い池袋西武簡易郵便局へ行って、順番待ちをして「郵便小為替を・・・」と話すると、にべもなく「ここでは土日はやってません」とひと言。確かに土日もやってくれていて、西武百貨店のような人が多くくるのだから仕方ないが、あまりに事務的というか、つっけんどん(という言葉は関西の人だけに通じるのか?)な対応に、「もうちょっと言い方があるやろうに。」とちょっと腹を立てそうになったが、「まあ、大きい局へ行けばいいか」集配局である豊島郵便局へ足を運んだ。

 そこの窓口では、「郵便小為替は、貯金と同じ扱いになるので、土曜日と日曜日はお取り扱い出来ないんです、申し訳ありません。」という丁寧な対応。

 池袋西武簡易郵便局で、そう言って説明してくれてたらわざわざ足を運ばんでも済んだのにと、接客の違いにおもわず叫びそうになった。

 どっちも郵便局、どっちが公社の人間で、どっちがそうでないのか知らないが、利用者からみれば、どっちも同じ郵便局。簡易局かどうかなど気にとめない。だれかの対応がすべての評価につながる恐ろしさが伝わらないので平気なのは、悪評判の怖さを知らない、あるいは知りようがないかのどちらかしかない。

 最近は、新幹線の切符も定期券も窓口で買う機会がすくなくなって、JRの窓口の対応がどうなっているのかは知らないが、今回の池袋西武簡易郵便局の対応は、かつての、接客マナーの悪いJRを思い出させるシーンだった。


 なぜかを考えてみると、接客のとらまえ方が根本的に違うのだろう。接客を学ぶのにホテルや百貨店、航空会社の客室乗務員の研修を受けたりしていても、「簡単やん」とか「自分にもできる」と言えそうな表面的な事しか理解されていないのでは、ないだろうか?


 例えば有名な話。佐川急便の運転手は、荷物を運ぶ人ではなくて、”セールスドライバー”なのだ、つまり”営業”する運転手。気持ちよく対応して、「あ、これもお願い」とお客様に言ってもらって1つでも荷物を増やす、「こんなのお願いできるかな?」と言われた時の対応次第で、「あの佐川の人いいよね」につながる。これを普通に物を運ぶだけの”運転手”と定義すると、「俺は運転して、荷物運ぶだけや、なんでニタニタせなあかんねん」とか「一つぐらい荷物もらわれへんでも、年間1億個も荷物あるんやから」とか言い出すと、評判はがた落ち、悪評は悪評を呼び、ペリカンさんにとか、クロネコさんに荷物をどんどんもっていかれてしまう。

 事業家達は、このような”アリの一穴土手をも崩す”という怖さを知っているから、教育を徹底する。だから社員の行動規範の定義を、”運転手”から”営業”にし、”セールスドライバー”という呼称にも変え、本来の目的に合った呼称を使うことを内外に徹底し、少しでもそれに合わせないのであれば、資格なしとして、再教育するか、退職を促される。

 さて、話は戻って、この局員の対応の違い。「民でできることは民」の裏返し、「官のままだと変りようがないでしょ」ということにつながるように思えてならないがどうだろうか?


郵便局のホームページはこちら


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なぜ中学生や高校生が・・・

2006-04-27 23:43:20 | 風景
 相変わらず、痛ましい事件が繰り返されている。70代のええ年した大人が、50代の十分分別付いているはずの大人が、40代のそれこそ働き盛りが、30代のこれから人生充実しようかという時に、そして20代の自分の未来にワクワクする年代でさえ、さらにはなんと10代の子供でも、自分の感情をコントロールできずに、殺人をおかしたり、子供を虐待したり、簡単に人を刺したり・・・こんな世の中を豊かと表現してもいいのだろうか?

 もう、何をここに書いても、きっと伝わらないだろうが、何よりも生きることに対する一所懸命さが無くなってしまっていることが気になって仕方がない。それは贅沢な日々を過ごしてきたからか、衣食住に困らなくなったからなのか、楽してお金儲けしてるヤツを見て、自分がそうでないことを嘆いているからなのか、、、生まれや学歴に左右されて、一般論としての成功、不成功に左右されるあまりに、成功できる人のパターンにはまらない自分に嘆いているのか、、、事実として起っていることがあまりに幼稚で、単純、しかも感情だけで動いているのが気になってしかたない。

 人と自分を比較して自分の存在価値を他人の価値観ではかってみたりする、そしてそうでない自分や自分の親や子供、あるいは恋人を手にかけてしまう。
 あるいは、力さえあれば、なんでも自分の言うとおりになるものだと思って、すべてを力で押し付ける、言うこと聞かなければ、虐待する。あるいは自分で死ぬ勇気がないのに、人を殺すことは何とも思わない想像力の欠如。

 いったいどんな教育や躾をうけてきたらこんな価値判断ができるようになるのだろう。

 罪を犯した当事者は当然罪を償わなければならない、自分のやったことの重大さを身にしみて(税金をつかって)教えてもらって、自分の心の弱さに向き合って、その弱いこころと付合う方法をわかって少しずつ大人になる。

 一方で、そういう人が育った環境、つまり親などが一番影響力があるのだが、その親も同じように罪を償わなければならない。何を教えたか、何を教えなかったか、何が大事か、また人の心は弱くもろい物であること、簡単に壊れるということ、また子供にとって親は子供の世界観のすべてであるということ、つまり親の存在は子供にとって絶対であることをわからなければならない。

 こどもという肉体的にも精神的にも弱い存在を守るのが親。そしてその体と心の育成に責任を持つのが親。けっして良い学校に入れることが親の責務ではない。そういうことを知らなければならない。

 この日記でも書いた神戸の少年Aとその両親と家族もその長くつらい償いをしているはずである。誰にどれだけ謝罪しても消えない事実がある。それと同じく、どれだけ周りがゆるしても、自分の心の中に残り続ける罪を犯したという事実。一生逃れられないのだけども、受け入れるしかないのだ。それは子供を失った親が一生、失った子供に会えないのと同じつらさだ。

 子供を育てる前に、育てる側の大人が自分自身の価値観を持っているのか、善し悪しの判断や、幸不幸の価値を何に見いだしているのか、人間の心の弱さもろさにどうつきあうことを教えるのか、自分自身にもう一度問いただしてみるべきではないか?

 以前、一億総白痴化という言葉があったが、いままさにそうならんとしている様に思える。

 一億総幼稚化、気にいらなければ刺す、殺す。価値観は他人に決めてもらってそれで判断する。その価値観から見たときの自分が及第点なら人をいじめてもいい。落第点なら、人生やけっぱちになって、どんどん罪を犯す。

 これが白痴化、幼稚化でなくて、なんなんだろう。



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ノーサイド

2006-04-26 02:16:23 | スポーツ
 ラグビーワールドカップアジア地区予選を2戦2勝で通過したジャパン。しかし欧州、オセアニアなどの海外勢にはまだまだ実力もすべて遠いままである。

 Jリーグの成功を受けて、さまざまな社会人スポーツがプロ化、あるいはセミプロ化、選手のプロ契約という様に発展しようとしているが、なかなか成功しないままでいる。もちろんJリーグもすべて順風満帆に事が進んできたわけではなかったが、しかし結果からみれば、理念とそれを貫く信念とそして用意周到さをきっちりとこなしてきた、関係者全員の思いが一つになってきた結果だろうと思う。

 一方バレーボールのVリーグなどは、オリンピックでの栄光を知っている人たちが牛耳っているのか、そういう一体感は無い。そう考えると日本サッカーリーグはバレーボールよりもマイナーだったのが良かったのかもしれない。せいぜいメキシコオリンピックでの銅メダル(でも十分誇れるのだが)ぐらいしか無いのはバレーボールからみれば隅っこにおいやられてしまわざるを得ないのだろう。

 陸上や体操、スキーやスケート、卓球は個人競技。あと団体といえばバスケットボールとホッケー。これらもやはり海外で戦う機会が圧倒的にない。ワールドカップという冠が付くその他のスポーツといえば、やはりマイナーなラグビーになる。

 ラグビーというスポーツもちょっと変った存在で、大学選手権や日本選手権などでは国立競技場を満席にするぐらいのスポーツなのに、普段はあまり目立たない。少し昔のことだが、ちょうど毎年成人の日である1月15日に日本選手権が行われる試合には、晴れ着姿の女性もちらほら目立つこともあり、ラグビーファンの女性には美人が多いなどと言われてきた。 最近でもおおよそその傾向は残っていて、ラグビー観戦にくる女性は結構おしゃれである。どことなくサッカー観戦に来る女性たちとおしゃれ度が違うように思える。

 また、ミュージシャンによるサッカーをテーマにした楽曲は全く記憶に無いが、ラグビーには、ユーミンの”ノーサイド”がある。ラグビーにはそういう歌にできる、あるいは歌にしてみようと思わせる、人間くささというか、スポーツの背後にある人間の生き様を感じさせる物があるのだろうと思う。

 近年関係者の努力のおかげと、世界でのラグビーに対するプロ化の波を受けて、スポンサーをつけた試合をやれるようになったり、日本代表選手のユニホームにスポンサー名が入ったりと徐々に資金力を上げるようになってきた。こんなふうに徐々にラグビー人気が上がってくることはとても嬉しいことだ。

 サッカーとはまた違った秩父宮ラグビー場での歓声、どよめき、拍手。何とも言えない雰囲気はラグビーならではである。

 次回の秩父宮での試合は6月11日リポビタンDチャレンジ2006 対イタリア戦である。
ラグビーを知っている人と是非見ることをお勧めする。

ラグビーのルールに関するサイトはこちら
日本ラグビーフットボール協会のサイトはこちら


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あと一ヶ月!

2006-04-22 21:10:52 | 映画
 いま、ちょっとだけ楽しみにしている映画がある。世界同時公開される「ダ・ヴィンチコード」だ。

 原作は、文庫本になってから読んだ。ハードバックは高もんねー。本は文庫か図書館に行って借りるに限る。ん?そういえば図書館で本を借りるのにその地区の住民でなくてもよかったっけかなぁ?まあ、こんど調べよう。

 さて、この原作。あっという間に3冊とも読めるぐらいテンポもいいし、面白くてワクワクさせられる内容だった。キリスト教や、シオン修道会などの知識があるとなお楽しめる。

 結婚式を教会で挙げたとしても、あるいはクリスマスがイエス・キリストの誕生日だと知っていても、殆どの人は、なかなか聖書の中身まで読むことは無いのでないだろうか?
布教活動ではないけども、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ聖書を読んでみるとか、あるいは映画が公開されることもあって、たくさんのダ・ヴィンチコード本が出てるから目を通しておくと、映画のおもしろさも倍増するかもしれない。

 たまたま学生時代にキリスト教の宗教に関する授業があったし、合計2年間毎朝主の祈りを唱えた経験もあるから、小説にでてくる、福音書だとかについてのニュアンスはそれなりに理解できたから、違和感なく、テンポよく読めたのかも知れない。

 さて、このダ・ヴィンチコード。原作を超える映画になってくれるのかちょっと心配である。映画は映画用の表現があるし、もちろん時間制限がある。だから小説のイメージをそのまま期待して、その期待に外れたと文句をいうのは、映画の作り手にとっては迷惑な話でもある。しかし、やっぱり期待したい。原作で知ってしまった結末通りのシナリオになるのか、あるいはそれを裏切ってくれるのか?

 細部にわたってしっかりとした事実をベースにした小説だけに、映画でもどこまで拘っているのか大変気になる。楽しみはあと一ヶ月お預けである。

そういえば、和田誠さんの本に「おたのしみはこれからなのだ」っていうの無かったっけか・・・。

ダ・ヴィンチ・コード
著:ダン・ブラウン
訳:越前敏弥
角川文庫
ISBN4-04-295503-7(上巻)
ISBN4-04-295504-5(中巻)
ISBN4-04-295505-3(下巻)
各579円(税込み)
 
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