18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

目の前にあること

2007-10-28 20:39:03 | ファミリー
 自分自身の夢。家族に対する責任。

 時には、夢をあきらめなければならない。

 しかし、それも自分の人生。

 あきらめると言っても、二度と挑戦しては行けないという訳ではない。



 時を経て。



 時を経て。



 時を経て。



 そして改めて、夢をあきらめたときとは違う感覚で、もう一度夢に挑む。




 肩に力を入れず。


 虚勢を張らず。


 自然体で。


 挑む。






 生きていく中で、生活が精一杯の中で、自分の小遣いもままならないなかで、



 しっかりと、何処を見るかを決めて生きる。



 それだけで、日々のとらえ方が変る。



 
 目の前にあること。





 避けられないから、





 だからこそ、それだけにとらわれない。





 大事なことなのだけど、なかなか教えてもらえない事だ。






 

夏休み

2007-07-29 21:11:01 | ファミリー
 世間は、というか学校は夏休みに入った様子。あちこちで小学生や幼稚園児を連れた親を見かける。

 面白い特徴というか、そういわれればそうだなと頷く風景に、こういうのがある。

 大抵のお母さん達は、別のお母さんたちと一緒に子どもを連れてあちこちへ出かけているが、お父さん達は、別のお父さん達と行動を一緒にしない。


 他のお父さん達と休みが合う合わないというのもあるのだろうし、お母さん達に混じってお父さんが参加するというのも違和感があるのだからしかたないが、お母さん達には分かって欲しい。こういう時のお父さんは結構大変なんだって事を。


 で、もうひとつの特徴。


 お父さん達は、ジュースを飲みに店に入っても、こどもがジュースを飲み終えたらそそくさと店を出る。


 え?あたりまえ?


 いえいえ、お父さん達。それは違うのです。お母さん達は、自分の為にもお店に入るのです。


 ついこの間も三宮でお父さんが子ども二人を連れて店に入ってきた。オレンジジュースを子どもに注文していたが、子ども達が飲み終わるなりさっさとトレイを片づけて出て行った。この間約15分!(^O^) お母さんが子どもを連れた場合、まずありえない時間だ。


 用を足せばさっさとトイレから出る男と、メイクや髪をチェックしたり、服装を直したりなど、トイレ滞在時間が長い女性とでは習慣が違うのかも知れない。

 
 ちょっとほほえましい風景にも、お父さんとお母さんの違いがあって興味深かった。



3人兄弟(姉妹)の真ん中ってね

2007-04-22 22:53:01 | ファミリー
 最近の少子化でよく問題になるのが夫婦一組当たりの子どもの数。普通に1.25人とか使って表現しているけど、現実に、うちの子どもの数は1.25人なんていう家庭は存在していないのだから、いかにも統計の無味な数字で本当に嫌いである。

 平均で表せばみんなが納得するとでも言うのだろうか?総務省が平成18年に発表した、一世帯当たりの平均貯蓄額が1728万円なんていうのが出ていたが、ウチにはそんなにない。もし他の平均的な家庭での貯蓄額が1000万円を越えているのならウチの将来は真っ暗ってことになる。

 そしてこの1.25であるが、正式には合計特殊出生率というのだそうで、ある特定の式を用いて女性が産む子供の数の平均値を出すのだそうだ。

 実際のところは、殆どの家庭が一人っ子で、4家庭に1家庭が2人の子どもがいるのではなく、全く子どもを産まない人が増えたことと、3人以上の子どもを持つ家庭がすくなくなってきたことなどが多いことが現実だと思われる。なぜか?それは自分たちの回りには3人の子どもを持つ家庭が多からである。

 さて前置きが長くなったが、この3人の子どもというのは本当にバリエーションが楽しめるのだが、今日のテーマは真ん中の子の話。昔からよく聞く話なのだが、3人兄弟(姉妹)の真ん中の子は妙に“哲学的”なのだそうだ。

 子どもらしからぬ、醒めた感覚だったり、最初の子や末っ子とは違う人生観を持っていたり、自己探求の欲求が強かったりするらしい。「“まんなかの子”学」なんて学問ができてもよさそうな気持になるが、実施には無い。

 初めての子は、それなりにちやほや、あるいはしっかり教育なんて事になり、一番下の子は、いろんなことが許されている場合が多いが、真ん中はその両極端を見て、素朴な疑問を感じるのか、あるいは不安定なのかよくわからないが、何しろちょっと“違う”。

 かくゆう自分自身も上に姉、下に妹と、2人の間にはさまれた男という存在。長男扱いされている割には、やっぱりどこか“人間”探求の欲求が強い。家族の中で、すこし距離を置いたところに精神の中心が置いてあるような気がする。

 もし、このブログを読んでいる人のなかに、真ん中の子がいたり、あるいはそういう子を知っている人は、この言葉に表せない微妙な、真ん中ッコを世界に頷いてくれるのではないだろうか?

 また、もし真ん中の子が何かに悩んでいて、悩みを聞こうと思うなら、長い話に付合う覚悟をした上で聞いて上げるべきだ。そうとうに入りくんだ思いが積み重なっている場合が多いから。もし、うかつにもそういう準備が無くて話を聞こうとして、途中で“この話はいつ終わるねん?”なんて思ったら、もう二度とその子は心からは話をしてくれないだろう。真ん中の子はしっかり相手を見ている場合が多いから。



ひょうたんからこま

2007-03-06 00:23:26 | ファミリー
 子どもがひょうたんをもらってきた。通学するときの当番のおじさんからだそうだ。中身をくりぬいて、乾燥させたもので、高さ30センチほどあるのに、大変軽い。

 ところで「ひょうたんからこま」という言葉、この「こま」はどういう字を書くか?独楽(こま)回しの「コマ」ではなく、ウマの駒(コマ)が正しい。

 なんでわざわざ瓢箪なのか?ちょっと調べたが分からなかった。

 推測するに、「瓢箪」はもともと縁起がいいものだそうだ。そしておそらく昔であればウマも人の為に良く働いたはずで、良いものであるはず。地方によっては馬は厄を蹴飛ばす縁起物というらしい。よって、良いことがさらに良いことを、しかもあり得ないような、今で言うと「想定外」や「予想外」の良いことという意味ではないかと思う。


撮影:NOKIA N73 (705NK)

子どもをまもるのが親

2006-08-26 22:13:11 | ファミリー
 福岡市東区の”海の中道大橋”での事故が報じられている。3人の幼い命が失われた事故。飲酒運転の自動車が、猛スピードで、家族5人の乗る車に突っ込んで車はなんと川へ転落し水没。両親は助かったが、子どもを助け出す努力もむなしく、3人は亡くなった。

 幼い存在である子どもが、大人である親によってその命を”自分のモノ”とでもいうように奪ってしまうニュースや、親を困らせたくて放火する子のニュース。物事には限度がある筈だが、ここ数年そういう”タガ”が外れている。

 しかし、この悲しいニュースでは、必死に子どもを救い出そうとする親の姿が報じられた。そうなのだ、親はこのように子どもを必死になって守る存在なのだ。

 まだまだ幼い、いちばんかわいい盛りの子どもを3人も一度に失った両親にはどんなことばもかけられない。

 ”くやしいな””つらいな””どれだけ呼んでも叫んでも子どもは帰ってこないから、思いっきり声をだして泣きな”せめてそれぐらいしか思いつかない。

 同じようにこどもを持つ親としては、心配はつきない。中学生ぐらいになると、ニュースになる犯罪にも関わる場合だってあるから余計に心配だ。

 今日も「何かあったらおまえのことを守ってやるから、なんでも言いなさい、すぐに怒鳴り込む」と言ったばかりだ。こどもにしては迷惑な話かも知れないがこっちとしては極めて真面目なのだ。

 子どもを守る親の思いとしては、世の中の法律がどうか関係ない。自分の子どもに危害を加えたりしたら、仮に未遂であったとしても、その相手を絶対許さない。相手が同じぐらいの年齢であろうが、大人であろうが一切関係ない。やったことの重大さを認識してもらう為には何だってする。それが正直な気持だ。

 ボクシングの亀田選手の父の場合も近いものがあるがまだ救いようがある。常日頃から必死に努力している、まだ10代の息子。その当事者の関係ないところでバッシングの嵐。気持としては”怒鳴り込みたい”だろう。ただこのケースは、きっちりカタを着けることで問題に終止符が打てるから何とかなるのだ。

 しかし、命が奪われたり、心に深い傷を負ったりした場合、いったいそれにどういう”カタ”を着けることが出来るのだろうか?裁判か?賠償か?親の気持は決してそんなことでおさまらない。


 子を持つ親は、自分の子どもがそういう時の加害者にも被害者にもならないように、日頃から、そういう話をし、学校や普段の生活であったことを会話するように心がけるべきだ。ただ、何よりもその前に、「子どもを守るのは親だからね」ということを話することが大事だが。