18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

es

2007-04-30 22:19:47 | 映画
インターネットの動画配信で、まるまる映画を見ることができるようになって便利なので、つまみ食い的に映画をみるのだけども、「Gyao」で配信中の映画「es」が結構衝撃的な、かつ考えさせられる内容だったので日記に書くことにした。

「es」はアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた実験とその結果に起った事件に基づいて作られた映画である。全編ドイツ語。アメリカでは映画作りがなされなかったのは何となく理解できる。

ともあれ、この映画についてはGyaoの無料配信で見て欲しい(ただし18歳以上)。この映画で考えさせられるのは、「権力」「役割」「人格」「集団」「環境」の人間心理に及ぼす影響の複雑さと普遍性である。

人が権力を持つとどうなるか?それが単なる役割として与えられているだけであるにもかかわらずである。

映画の中の実験では、看守と囚人という役割が与えられ、その中であるきっかけから役割をまっとうする為に権力を行使することが拡大してゆく様が描かれているのだが、とくに馴染みのない看守と囚人という関係では無くても、上司と部下、教師と生徒や、親と子の間でも当然に起こりうる話である。

パワーハラスメントなる言葉があるように、権力を持っている人間が、それをかさに支配下に置かれている人間に根拠のないいじめや一方的な要求を出すケースも珍しくはない。

部下は上司の言うことをなんでも聞かなければならないのか?生徒は先生のいうことを聞かなければならないのか?子どもは親のいいなりにならなければならないのか?

答えは「否」である。

本来は役割としての範囲を逸脱してまでいうことを聞く必要はない。本当なら拒否してもいいのだ、いや拒否すべきである。

また、それ以外の関係とは異なり、役割以外に、「信頼」という要素が加わり、親子の信頼関係や愛情に基づいて本来ならば、関係が形成されるはずなのだが、最近の子どもへの虐待に見られるように、親の方が未熟なままで、そういう関係の形成すら出来ず、単なる権力だけで子どもに接してしまう場合も増えている。情けない話だが、本当に親としての役割を果たせない、果たすだけの忍耐力のない大人になれない親たちがこんなに多くいるのは哀しい話である。

人は、勘違いをする。「権力」は「役割」についているのである。「役割」は単に役割でしかなく、決してその「人格」をあらわしはしない。

偉い政治家、偉い社長、やり手の部長などさぞ立派であると想像しがちだが、その人を評価ときに、その役割の名前で評価しているのが、私たちが勘違いしている証拠である。

もちろん、とんでもない努力をしている成果でもあるし、秀でた能力があるからだろう。だけども、その人たちの権力の及ぶ範囲は、その役割の関係を形成している組織内だけである。

どこの誰であっても一個の人間には変わりない。「社長だから」許される、「先生だから」生徒に従わせるというのは、その関係性が成り立っている範囲だけだ。それを逸脱したような関係では、たとえ先生だろうと社長だろうと一個の個人であり、みんな対等なのだ。

映画「es」は映画作品としては60点ぐらいだけども、考えさせられるという点では70点。気持ちいい映画ではないが、(18歳以上なら)見てもいいのではないかとおもう。



AOLが10年なんだって

2007-04-23 00:01:14 | 風景
 トムハンクスとメグライアンの主演する映画You Got mailに登場するAOLは、ダイヤルアップ接続で、今となってはなつかしい“ピー、ガー”といって接続していますが、その映画の中で、パソコン通信というどちらかといえば、ややマニアックな装置の存在であるはずの、トムハンクスのIBMのノートパソコンと、メグライアンのマック、それぞれの上で動くAOL接続ソフトがほんとうにおしゃれな小道具で、妙に人間くささを感じます。

 記憶は定かでないけども、ミッションインポッシブルで、トムクルーズが情報のバイヤー宛にパソコンで電子メールを送るシーンも@以下のドメインを指定していないから、AOLだったのではないだろうか?

 日本のプロバイダーを選ばないでなんでAOLなのか?単純に海外に出張に行くときに便利だから。ただそれだけである。今となってはホテルはおおよそ何処でもLANが繋がるしプロバイダーの必要はないけども、当時は大変重宝した。

 海外へ出かけたときの重宝でもうひとつ助かったのは、持っていたパソコンがIBMのThinkPADだった。2000年にアメリカに出かけたときに、モデムカードを持って行くのを忘れてしまって、現地の確かベストバイで購入した56kモデム。特になんの不安もなくThinpadに合うだろうと思っていたが、さすがにチェックは必要とおもって調べると、ちゃんと適合表に、持っていたパソコンが掲載されていた。ああ、便利。日本製のPCでも大丈夫だったろうけども不安は確実に解消された。

 さてAOLも赤字だのなんだのと安定していないのは事実のようだから、この書きためたブログもいつかは引っ越してしまう日がくるのだろうけどもさて、その時はどうしようかなぁ・・・

 出来る限りこの事業は続けてもらいたい。 

3人兄弟(姉妹)の真ん中ってね

2007-04-22 22:53:01 | ファミリー
 最近の少子化でよく問題になるのが夫婦一組当たりの子どもの数。普通に1.25人とか使って表現しているけど、現実に、うちの子どもの数は1.25人なんていう家庭は存在していないのだから、いかにも統計の無味な数字で本当に嫌いである。

 平均で表せばみんなが納得するとでも言うのだろうか?総務省が平成18年に発表した、一世帯当たりの平均貯蓄額が1728万円なんていうのが出ていたが、ウチにはそんなにない。もし他の平均的な家庭での貯蓄額が1000万円を越えているのならウチの将来は真っ暗ってことになる。

 そしてこの1.25であるが、正式には合計特殊出生率というのだそうで、ある特定の式を用いて女性が産む子供の数の平均値を出すのだそうだ。

 実際のところは、殆どの家庭が一人っ子で、4家庭に1家庭が2人の子どもがいるのではなく、全く子どもを産まない人が増えたことと、3人以上の子どもを持つ家庭がすくなくなってきたことなどが多いことが現実だと思われる。なぜか?それは自分たちの回りには3人の子どもを持つ家庭が多からである。

 さて前置きが長くなったが、この3人の子どもというのは本当にバリエーションが楽しめるのだが、今日のテーマは真ん中の子の話。昔からよく聞く話なのだが、3人兄弟(姉妹)の真ん中の子は妙に“哲学的”なのだそうだ。

 子どもらしからぬ、醒めた感覚だったり、最初の子や末っ子とは違う人生観を持っていたり、自己探求の欲求が強かったりするらしい。「“まんなかの子”学」なんて学問ができてもよさそうな気持になるが、実施には無い。

 初めての子は、それなりにちやほや、あるいはしっかり教育なんて事になり、一番下の子は、いろんなことが許されている場合が多いが、真ん中はその両極端を見て、素朴な疑問を感じるのか、あるいは不安定なのかよくわからないが、何しろちょっと“違う”。

 かくゆう自分自身も上に姉、下に妹と、2人の間にはさまれた男という存在。長男扱いされている割には、やっぱりどこか“人間”探求の欲求が強い。家族の中で、すこし距離を置いたところに精神の中心が置いてあるような気がする。

 もし、このブログを読んでいる人のなかに、真ん中の子がいたり、あるいはそういう子を知っている人は、この言葉に表せない微妙な、真ん中ッコを世界に頷いてくれるのではないだろうか?

 また、もし真ん中の子が何かに悩んでいて、悩みを聞こうと思うなら、長い話に付合う覚悟をした上で聞いて上げるべきだ。そうとうに入りくんだ思いが積み重なっている場合が多いから。もし、うかつにもそういう準備が無くて話を聞こうとして、途中で“この話はいつ終わるねん?”なんて思ったら、もう二度とその子は心からは話をしてくれないだろう。真ん中の子はしっかり相手を見ている場合が多いから。



やってみたくなるわなぁ

2007-04-11 00:57:14 | 風景
 3月31日にオープンしたTokyo Midtown。Japanese Artをテーマにした、しゃれたショッピングタウンといえばいいのだろうか。

 六本木ヒルズもそうだが、都会の中で敢えて似たようなショッピングビル、あるいはショッピングコンプレックスを建設するのは、そろそろ限界なのではないだろうかと感じる。次の再開発は、どうやら東京駅らしいが、さてどうなることやら。

 実際にTokyo Midtownに出かけてみたが、厳しい目で見ると”ありきたり”な部分が目立つ。どこか大陸的な余裕が不足していてなんだか、せっかくなのに~と言いたくなる様な点が目立ってしまう。

 大陸的な余裕とは、言い換えれば、論理性から外れた発想、あるいは遊び心。経済性第一に考えればもしかしたら“無駄”な部分なのかも知れない。しかし、どうもこの“無駄”に対して、私たちはそれを受け止める広い心を亡くしてしまったようである。

 アメリカのエンパイヤステートビルのエレベータは確か、やたら天井が高かったように思う。記憶違いかもしれないが、なんかだだっ広い印象がある。そう、無駄に広いのだ。

 日本でも、いにしへの奈良の都の大仏さんと大仏殿は巨大だ。大きな仏像を建てることに意味があってとんでもない工事の末に建立されたのだが、その時代に生きた人たちのなんともいえないおおらかさも伝わってくるようである。

 そんな文句を言いながらも、Tokyo Midtownには、すこしだけ“遊び心“を感じるモノがある。


それがこの写真の大きなタマゴのようなオブジェ。たしか地下一階に置いてあるのだが、太陽の光が入るようになっていてここだけが明るくてよく目立つ。

 柵などのような野暮なモノはないから、直接手で触れることも出来る。大理石のつめたいけどもなめらかな手触りのオブジェなので、思わず、下の写真のように“ぺたっ”とひっつきたくなる。

 ほほえましい一枚を撮りながら、「やってみたくなるわなぁ」と思った。


Photo by Nokia N73 705NK