18年にもなりますか

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東京ラブストーリー after 25 years

2016-01-31 19:33:00 | アニメ・コミック
ビッグコミックスピリッツの2016年9号(2月8日号)で、読切り掲載された「東京ラブストーリー after 25 years」が話題になっているらしい。

フジテレビ系で放映され38%の視聴率を稼ぎ、鈴木保奈美、織田裕二らが脚光を浴び、主題歌の「ラブストーリーは突然に」が大ヒットしたのが平成3年放送の事だった。

いまから25年前。

20代の人たちはリアル放映を観ていないというとても残念な状態。

今のどのラブストーリードラマよりも、ラブストーリー。


気持のすれ違い、行動のすれ違いにやきもきさせられたドラマ。


女性視聴者から圧倒的な支持を受けた赤名リカを演じる鈴木保奈美はこのドラマで人気を博した、一方で、女性視聴者から徹底的に嫌われた、関口さとみを演じた、有森也実はその役の影響もあってなかなか他の作品で見かけなくなったというほど、女性たちに影響を与えた。


さて、このドラマの原作は、柴門ふみさんの漫画「東京ラブストーリー」。テレビドラマと設定が異なるが、基本的には奔放な赤名リカに永尾完治が振り回されるという部分は変わらないし、最後は結ばれないのもおなじ。


この25年後、50代になった2人が出会ってしまう物語。


自分もほぼ同年代。25年前に思いを寄せていたひとと再会しても、ドラマのような事は起こらないが、25年前の出来事は、やはり貴重だし結果としてよい思い出になっている。




何気ない毎日を振り返ることなく人は過ごしている。

ある人は、仕事に追われ、

ある人は、恋愛に没頭する、

その時だけを考えて生きていても、それがまっすぐ真剣であれば何の問題もない、

いや、若く身軽な時だからこそ、そのように生きる特権があるといってもいい。

その時、どれほどしっかりまっすぐに向かっているかが、

その後20年、25年経ってからの人生に影響を与えることを、この読切りでは、伝えている。



若い人にはわかるまい。

30代でも難しいかも。

今40代、50代のかつての若者たちが、ちょっとだけ振り向くのによい作品でした。




カッコイイ男

2016-01-30 10:26:00 | 

いい車を持っているわけでも無い
いい家に住んでいるわけでも無い
いい洋服を着ているわけでも無い
高収入なわけでも無い
学歴も無い
大企業で働いているわけでも無い

でも、

戦後の混乱を生き抜き、
所帯を持ち、
一所懸命に働き、
家を持ち、
寡黙で苦労を口にせず、
三人の子供を育てた父は、カッコいい。

老いて、杖も必要だったが

それでも子供のことを心配した父はかっこいい


あなたの何分の一かでも、カッコよくなれればいいな。



神戸新聞の100日

2016-01-24 12:35:00 | 
阪神淡路大震災から21年が過ぎ、東日本大震災から5年目を迎えようとしている。
そんな中で改めて「神戸新聞の100日」を読み返す。

神戸新聞の記者たちの行動、苦悩、神戸新聞社が命がけで新聞発行の為に奔走した記録でつづられた本文は、人と人の繋がり、人生、家族といったものに対する真実であり問いかけである。

震災のさなかで神戸の街の人たちが、その時どう動いたか、どう感じたか例え僅かでも知る事は大きい。

淡々と事実を伝えるだけの文章が、真実をそのまま伝えてくれている。

被災者が被災者として声を上げること、何が必要なのか助けを求めることがいかに重要か。
無常にも救助にも優先順位があること。
だれもその時の行動を非難できないこと。

東南海地震などの発生確率が上がっているが、果たしてどれくらいの人たちが、被災地の現実を積極的に知ろうとしているだろうか?

東日本大震災が発生した日、自分自身は六本木にいた。自宅のある江戸川まで徒歩で帰った。
気になったのは、阪神淡路のときのような橋や高速道路の倒壊である。
橋が落ちていたら、帰宅できない。
地盤のゆるみからくる液状化も、海抜の低い地域故の浸水なども心配だった。
長い長い距離だったが、急ぎ足で帰宅して。

途中、都内の公共交通機関が止まるなか、多くの人たちが、しゃべりながら歩いていた。
すれ違い様に聞こえたのは、普段のおしゃべりだった。


「知らないって怖い」


とそう思った。

神戸の震災を知っていれば、交通機関の寸断がどういう意味を持っているのかすぐにわかる。


途中、川が下流から上流に向けて流れているのを眺めていた。

なぜか、その時に近くを歩いていた会社員の男性と言葉を交わした。

「どちらまで?」
「江戸川です」
「私は、川越なんですけど、帰れないので会社に戻ります」
「会社はどちらですか?」
「荒川です」
「それでも結構ありますね」
「川越より近いですから」

その男性は黙々と先を歩いて行った。


みんながみんな、意識が低いわけではないが、東京都の1000万人以上の人たちが、
阪神淡路のような地震に見舞われたら一体だれがどうそれを報じ、助けるのだろうか?

そのことをどれくらいの間、報じ続けるのだろうか?
首都圏だから重要なのか?
人命には差はない、生活にも差はない、むしろ防災は整っているはずだから被害は
少ないかもしれない。

しかし・・・阪神淡路も、「関西には大きな地震は来ない」という過信があったではないか?




震災のあった地に居ないと伝わらない部分も多いはずだが、是非一度手にとって読んでみるべきである。







フォルトゥナの瞳

2016-01-11 20:53:00 | 
百田さんの小説はまだ2冊しか読んでいなかったが、3冊目として手にしたのがこの「フォルトゥナの瞳」

主人公が、ある時人の体の一部が透明にすけてみえてしまうことに気付く。それは特別な能力で実はそれは、その人間の死期が近づいていることを伝えているのである。

この能力を持て余しながらも、その能力の意味に気付いてから主人公は「見て見ぬふり」を決め込むことができずさまざまな事に絡んでゆく。


主人公の生い立ち、周囲の登場人物などが無駄なく物語のキーになり、構成されまた主人公の心の葛藤がこれでもかと繰り返される様は、小説の中盤からクライマックスにかけてずっと、ハラハラさせられてスピーディーに展開するマラソンの様相である。

ときおり胸の苦しみも感じ、このあとこの登場人物はどうなるのかとハラハラさせられる物語である。




さて、この本では、人間の選択と良心、人間はどこまで自分を優先して生きていいのか?について問うている。

死期が迫っている人間の運命を変え、誰かの命を救うと、自分自身の命を削ることになるとしても、そのどこの誰ともわからない人を救えるだろうか? 

自分の選択がだれかの命を左右する。無関心でいることも、関心を寄せて関わることも選択で
きる。自分が何もしないとその人は死ぬ、自分が何かをすれば死なずに済むまさに他人の命が自らの手の中にある状態なのだ。そんな大それた力をもった主人公は、愛する人を見つけ、そして物語のクライマックスに進む。



こんな重たいテーマを扱いながらも、このスピード感で展開させていることに本当に感心する。





フォルトゥナの瞳:百田尚樹著

おすすめです。


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柴田淳の歌詞の魅力(3)

2016-01-03 16:52:00 | ノンジャンル
書いても書いても書き足りない、柴田淳さんの歌詞の魅力ですが、今回は、「愛のかたち」


本来なら、ライナーノーツに乗っ取って書くべきですが、ここでは独自解釈を。


さんざん歌詞を説明しておきながら今更ですが、もちろん曲も歌声も大好きです。特にこの「愛のかたち」は、難解といわれる柴田淳さんの歌詞の中でも中級レベルで、メロディー主体で最初聴いていました。


が、


ささる歌詞があったんです。


「夢は夢のままでいたら、いまでもそばにいて
 支え合う幸せ感じて、微笑んでいたでしょう」

「自分より大事な人、誰より愛していたのに
 傷つけて、裏切って、
 避けて生きてゆくなんて」


「握り返してはいけないことは、出逢った時から今まで、
 張り裂けそうなくらいわかっていたのに」



男女の別れを描く歌詞が多い柴田淳さんの特徴は、歌詞のなかで出会いについても触れているところ。どんな出会いだったかがわかることで、別れの切なさがより伝わるという特徴がある。

さて、この「握り返してはいけないことは…」の下り、握り返すという事は、最初に握られた、それに応えたということを表しているもので、たったこの一行で相手から気持ちを態度で伝えられ、それにその場でYESと応えたという出会いを表現している。

しかも「握り返してはいけないことは出逢ったときから、わかっていたのに」

と表現しているのだから、この二人のどちらかあるいは両方には別の人物の存在があることを見事にうかがわせている。



不倫がいいとは思わないが、人の心なんて弱くて、愚かしい。増してや恋愛感情なんて移ろいやすいもの。でも、男は女を求め、女は男に恋をするのである。それが恋愛というもの。



柴田淳さんの歌の世界は、それを一つ一つ丁寧に歌詞に変えて歌にして、時には慰め、時には癒し、時には元気づけてくれているのである。