「戦争は反対」
これはどの国民でも、殆どすべてが賛成するだろう。
なぜならこれは理念だから。
しかし「侵略されたら抵抗するのは当然だ」という意見に関しては、賛成と思うひとと、そうでない人に分かれる。
抵抗せず「話し合えば解決できる」と考えるのは、相手が話が通じない連中ということを想像できないからだ。
ロシアのウクライナ侵攻で、話が通じない相手というのは決して絵空事ではないことを突きつけられたはずであるが、それでもまだ信じようとする人が居る。ま、思想は自由だ。
侵略されたら抵抗することは、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という憲法9条に抵触するかどうかについても意見が分かれる。
侵略されてるのによ?
さらに「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とまで憲法に書かれているのだから、憲法学者は自衛隊は違憲だと言う。
しかしだ「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
を日本語としてどう解釈しどういう文脈であるかを議論するのは別として、今回のロシアのウクライナ侵略を見れば分かるが、こんなの完全に「理想」だし、国民の生命財産を守るべき責任をもつ独立国家である日本がその国の憲法として掲げていいものではない。
なぜ掲げていいものではないのか?
日本国憲法前文にはこうある。
「・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
主権は国民で、福利は国民が享受するとある。つまり憲法は我々の為にある。
そして我々が、福利を受けることは人類普遍の原理で、これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除するとある。
国民が福利を受けないような憲法、法令詔勅は排除すると書いてある。
だから、9条の後半はおかしい。
侵略されたら守る。そのための軍事力は必要。日米安保もその目的のためにあると明確にすればいいのだ。
美しいだけの憲法、国民の命をないがしろにする可能性すらある憲法は、そもそも憲法前文に矛盾している。
またそれを国民が守り続けているのは、海外諸国から見れば、日本国民はあまりに平和すぎて、関心が無いからだろうと嘲笑されるレベルのはなしだ。
もっと真剣に本質論として「正々堂々と国を守る」ことができる憲法にしてほしいものだ。
ところで、左派の最近憲法学者がなりを潜めているが。ロシアのウクライナ侵攻について、取材を避けているからじゃないのかなというのは勘ぐりすぎでしょうか。
正に、正論です。
如何に今まで、この昭和憲法に毒されて国民は来たか?
日共、立民どもには、お灸を据えたいと思います。