18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

「パートの女は知っている」

2004-11-13 14:57:55 | 
前回のログで、イトーヨーカドーのことを書いた。
関西進出に加えて、ダイエーの支援企業として手を挙げていることからも勢いはまだ強い。しかし、大企業病がすでに始まっているのだ。

売り場ではそれぞれ販売する商品別に担当者が決められているのだが、これがまた時には奇妙な結果を招いてしまうのだ。たとえば、コタツ。これからのシーズンのために特設売り場をつくったりするのだが、この商品、彼ら(イトーヨーカドー)からすれば、取り扱い上「寝装インテリア」に入るらしい。ふつうの「家電」とは別なのだ。だからお客さんによっては、「コタツは家電」と考えて家電売り場にいくと、シーズンであるにもかかわらず、お目当てのコタツがなかったりする。店員に尋ねて売り場が別であることを訊く人もいれば、探し回る人もいる。そんな話をきいておもわず「え?なんで?家電は家電で集めないの」と訊いてしまったぐらいである。

商品のカテゴリーはお客様には直接関係ないはずなのだが、商品カテゴリーが違うことが、お客様に混乱を招いてしまっている一例だ。こんな小さなことが”放置”されているものだから、知らず知らずのうちにお客様は「なんか買いにくいなぁ」と感じて、家電系の商品は別の専門店で買ったりする。よくある話として「商品が売れない」のは「売り場」の責任か「商品」の責任かを論じて結論がでないばかりか、お互いを批判しあったりしていたりするのだが、本当のところはどちらか一方に問題があるわけじゃなくて、全体として”買いやすい”店なのかどうかがより肝心だったりするのだ。

しかしなぜ放置されるのか?それは意外にも売り場(扱い商品ごとで)組織が縦割りだったりすることと、もうひとつ、大企業として成長してしまって、そこで働く人たちが本当に心の底から、お客さまを最優先にできなくなっているからだ。お客様優先はわかるが、組織がこうなっているから”しかたない”という言葉が出ているのは現象面でのあきらかな証明である。 企業内のルールは誰のためにあるのか?管理は誰のためにあるのか?管理部門の仕事のために管理があるわけではないはず。それと同じで、お客様のために決め事やルールがあるべきだが、それがいつのまにか、お客様に不自由させるルールになっている。

そんなおかしな状態のままでいる、おなしな組織だということをパート社員は知っているし、普段からどうしたらもっと買い良い店にできるかも、知っているのだ。




「パートの女は見ていた」

2004-11-12 01:52:36 | 
 近所に、といっても車で10分ぐらいなのだが、イトーヨーカドーのショッピングセンターが出来た。地元神戸のダイエーが凋落し、関東勢の勢いがとまらないが、イトーヨーカドーの出店は神戸・姫路地区でまだあと1店予定されている。翔ぶ鳥を落とす勢いとまではいかないが、勢力拡大中のイトーヨーカドー。 完成されたように見えても、やはり組織は巨大化するとあまりいいことはないのである。

 細かいことは個別にログアップするが、今日は店長という存在について考える。
わたしたちのような内実を知らない立場からすれば、店長といえば”一番エライ”と考えがちだが、実は完全な中間管理職。店長の上の立場にある"ゾーンマネージャ"親分がとりまきを従えて、視察にくるとなると、その前日には大あわてで売り場のディスプレイをいじったりするのだ。

 実際にディスプレイをいじるのは売り場を担当しているパートの方なのだが、それがまた哀しいほど、前言撤回だったりする。つまり、視察に来るまでは、”そんなたいそうなディスプレイはいらない”だとか言って結構消極だったりしていたのが、前日になるとあわてて、”何かもっとちゃんとディスプレイできないのか?”と言ったりするのだ。パートのみんなはしっかり見ているし覚えていて、”前は、そこまでしなくてもいい”って言ってたのに・・・と口にはださないが、気持ちの隅っこにはそういうのを置きながらも、表面的には素直にディスプレイするのである。

 ゾーンマネージャがやってくるとなると、店の社員はみんなピリピリ。またそのゾーンマネージャも子分を従えた、大名行列でやってくる。「お店の主役はおきゃくさまやろうが!」ということを分ってないのだろうか?店長への力の誇示ならば、別のところでやればいい。勘違いしては困るのだ。パートは、お客様とすれ違えば”いらっしゃいませ”と挨拶せよと教えられているし、徹底しようとしているが、”お大名様”は、そんなこと一切しない。もちろん大名行列は開店中におこなわれるのにである。

 そんなゾーンマネージャからのいろんな指摘やプレッシャーをしっかり跳ね返しながら店長は1つ1つの売り場のチェックをするのだ。店長がんばれ!売り場マネージャの意見を聞くだけじゃなくて、パートの意見をしっかり取り入れて、ちょっとでも売り場をよくしてほしい。パートのちからは結構なものだ。



コラテラル

2004-11-07 02:17:25 | 映画
 ひさりぶりに映画館へでかけて、トム・クルーズ主演の「コラテラル」を観た。
映画そのものは、まあ、こんなものかという感じで、トム・クルーズは主演だが決してヒーローではなく、いわゆる「殺し屋」として依頼人からの仕事を淡々と進めるだけである。そんな非日常の世界の存在と、どこにでもよくある日常の生活をタクシードライバーとして12年それこそ淡々と仕事をしてきている、ジェイミー・フォックスとの絡みが生み出す、物語である。

 時に、映画はその中で名ぜりふというものを遺すことがあるが、この映画を観ていて大変気になったセリフがあった。トムが自分の過去を語るシーンで、「親は、子どもに自分の欠点を見つけると、それを非難したくなる」というものだ。映画ではどうやら、このセリフで、トムの精神構造の成り立ちを説明しようとしていたのだろうが、わたしはこれを全く現代の、親による子どもの虐待に置き換えてしまった。

 なぜならば、大概の場合それが当てはまるからだ。おすぎとピーコのどちらかが昔同じようなことを言っていた。所詮自分の子どもなのだから、過剰な期待をかけてはいけないと。まあ、子どもを育てたことのない人には言って欲しくないセリフだが、ただ、自分の子どもはいい部分も、悪い部分も親の影響を受けているのは間違いない。子どもを叱るときは、子どもの何を叱っているのかを考えて、必要以上に感情的にならないようにしなければならないし、感情的になったとあとでふりかえって、それは、もしかしたら自分の欠点を子どもによって再現されてしまったからではなかったか?とも考えてみることも必要だろう。そしてもしそれに気づいたならば、こどもをしっかりと抱きしめて、「ホントは、お父さんだって子どもの頃はそんなだったんだ。」とか「お母さんもきちんと出来なかったんだよ。」としっかり伝えてあげるのがいい。親はこどもに「告白する」ことで、虐待しなくなるし、こどもも親に抱きしめられて安心するのである。

 さて、映画は、「交渉人※」のような、2人の人間同士の絡み合いを上手く展開させて最後までしっかりと見せてくれる。個人的には100点満点で70点ぐらいの満足度である。

※サミュエル・L・ジャクソン/ケビン・スペイシーによる。