瀬尾太郎兼康が安芸の厳島神社から勧請したと伝えられる高尾(たこう)厳島神社へ行ってきました。
兼康は、現在位置の湛井十二か郷用水を開基したと江戸初期の古文書に記載され、
平家物語によれば、平清盛の信頼が厚く、妹尾郷の領主でもありました。
風待ち港があったようであり、清盛の瀬戸内交通の統制にも寄与したと想像されます。
右側が日蓮宗衆徒、左側が真言宗衆徒が祀っているそうです。
日本的で心和らぐ最高の工夫です。
「伝 妹尾太郎兼康館跡」と掲示されていました。
なお、ここには貝塚があり、弥生時代前期の土器が出土されています。
兼康は、現在位置の湛井十二か郷用水を開基したと江戸初期の古文書に記載され、
平家物語によれば、平清盛の信頼が厚く、妹尾郷の領主でもありました。
風待ち港があったようであり、清盛の瀬戸内交通の統制にも寄与したと想像されます。
右側が日蓮宗衆徒、左側が真言宗衆徒が祀っているそうです。
日本的で心和らぐ最高の工夫です。
「伝 妹尾太郎兼康館跡」と掲示されていました。
なお、ここには貝塚があり、弥生時代前期の土器が出土されています。