農楽通信(農を楽しむ現場報告)

農を楽しみながら自然と歴史を深めます。■米つくり 天日干し れんげ朝日米■畑つくり 好物づくしの野菜と果実

2019年9月25日:名越の稲穂の空撮です。

2019年09月25日 | 近況

 もうすぐ稲刈りになります。

彼岸花もようやく咲き出しました。
名越の田んぼの空撮です。
まだまだ空撮は上達していませんが雰囲気を味わってください。
血吸川と名越の田んぼです。遠景は鬼ノ城の全景になります。
 


 
 
空撮動画の最終点は「名越悪水抜事件」として幕末に湛井十二箇郷用水組合との論争があった場所です。

名越悪水抜事件(抜粋)
 嘉永2年(1849年)春に奥坂村の名越の排水をよくするために、血吸川の底樋と阿弥陀川筋の石樋を
改修するとともに、新たに70間の新溝を掘って桜川に排水する工事を行い、合わせて2町歩あまり
の荒所の起こし返しをした。
 桜川は長良で久米川(砂川)に合流し、さらに前川に流れている。
そのため、湛井十二か郷の九か郷が、水量が増えると土砂が前川に流れ込み、用・悪水に支障が出ると
いう理由で、奥坂村へ原状への回復を要求したのである。
 奥坂村も名越の苦境を救うためには、他に手段がなく、木下領役場の許可もあるため争論となった。
 取り扱いは(仲裁人)は真壁村の名主がおこない、概略次のような裁定が行われた。
1)久米川(砂川)と桜川合流点に砂留堤防を築き、桜川の底堀を入念にする。
2)川下が冠水しないよう名越の新樋を仲裁人が管理する。
3)1)砂留で不十分な時には、さらに上流に数カ所の砂留堤防を築く。
 その後、嘉永7年(1854年)になって新たに1か所追加し、血吸川・阿弥陀川筋にも砂留を築き、
砂浚えを厳重に行うことで解決に至っている。
 
詳しくは「こちら」を参照してください。