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小泉純一郎 J.Koizumi @J_Koizumi_Japan
最後は、聴衆からホソカワコールが起きて、
胸が熱くなった。
駅前に集まった幾千もの皆さんがこれで一体となった。このエネルギーが明日の投票日に爆発することを信じる。
皆さん、ホントにご声援ありがとう!
小泉純一郎 J.Koizumi @J_Koizumi_Japan
打ち上げの新宿はすさまじかった。
上から見ていると雪で覆われた傘、傘、傘。
その傘がどんどん増えて東口の外を埋め尽くした。猛吹雪の中での街頭演説。
こんなことが過去にあっただろうか。
生涯忘れられないものとなった。
- 細川さんも力が入るし、僕も張り切った。
田中秀征【都知事選ウォッチ】
新宿の最後の街頭は壮大なパノラマのようだった。
舞う雪、光、何千もの人々、そこに元首相が二人、こんな光景は二度と見られないだろう。
細川さん、小泉さん、本当にごくろうさまでした。
歴史は本気な挑戦を決して見捨てることはない。
最後まで悔いのないように頑張ろう。
天木直人のブログより~
小泉元首相の応援演説は魂の叫びだ。有権者が動かないはずがない。
今度の東京都知事選挙ほど権力側が露骨にその本性をむき出しにして、権力に正面から手向かうものを弾圧しようとした選挙はない。
いうまでもなく
安倍政権とそれに加担したメディアの細川・小泉連合つぶしの事である。
はじめは細川たたきだった。
政策論争に参加しない細川候補を批判し、
とっくに終わっている佐川急便献金疑惑を蒸し返す。
選挙戦に突入して細川・小泉連合に人気が集中すると、
こんどは細川・小泉隠しだ。
大手メディアは本当の事を一切書かない。
テレビは映像を流さない。
あげくの果てに細川劣勢の世論調査結果を流し続ける。
かつてならこれで決まりだ。
外に出て街頭演説を聞かない都民はメディアの予想を鵜呑みにして
投票を左右される。
ましてや東京都民でない全国の日本国民にとっては、
東京都知事選などどこで行われているのか、というほど存在しないに等しい。
しかし、いまはユーチューブの動画によって寝転んでも街頭演説が聞ける世の中になった。
そこで流される小泉元首相の細川応援演説を見るがいい。
まったく別の世界が広がっている。
こにはかつて権力をほしいままにした元首相が、自らの無知、過ちを素直に認め、あの3・11によって脱原発に目覚め、今では最強の脱原発論者になった姿がある。
権力の絶頂にあったものが、いまやただの人となって、
巨大な権力に攻撃されながらも果敢に歯向かう姿がある。
小泉という政治家は、この時のためにあったのか、と思わせる姿がある。
何と言っても圧巻は、 原発がなくても日本は立派にやっていける、
そのことをもう我々は知ってしまった、という脱原発応援演説だ。
それは魂の叫びである。
どのような政治家もまねのできない最高の政治演説である。
そしてそれは、私を含め、3・11を経験して脱原発の考えを持つようになった
多くの日本国民の素直な思いである。
およそ脱原発を望む者で、この演説を聞いて細川候補に一票を入れる気にならないものはいないだろう。
私が細川・小泉連合を支持しているからこう書いているのではない。
ユーチューブに流れる街頭演説を見て、すべての候補者の訴えと、
それに対する聴衆の反応を見て、そう思うのだ。
細川候補が勝てないはずがない。
もしこれで細川候補が負けるようなら、
よほど東京都民はバカか、選挙に不正があるか、
どちからだ。
どっちにしても不幸なことである(了)
共産党
「核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです」第22回大会第7回中央委員会総会(2003年6月)
「脱原発」候補一本化の失敗のわけ
http://m-hyodo.com/election-36/
兵頭に訊こう さまより引用↓ 画像拝借
今日は雪だ。
雪のなかで
細川護熙と小泉純一郎の
最後の訴えが、東京を駆け抜ける。
表舞台に出てこない小沢一郎を含めて、
70歳を過ぎた、かれらの「脱原発」は、
おそらく最後の巡礼になる。
人間、誰しも間違う。間違って、非を詫びる。
それは許されるべきだし、
それを許さない社会は、きわめて貧しい社会だ。
個人としても、
人の謝罪を許さない人は、
それならお前さんは間違わないのか、と
問われるだろう。
かれらの先は長くはない。
遺言と
贖罪の旅に
かれらは出た。
せめてかれらの
最後の言葉を静かに聞きたい。
信じる、信じないは各自の勝手だ。
しかし、
保守の
「脱原発」こそが、
もっとも有効なのだ。
強大な
原子力村と
闘うには、
かれらの
力を使うのがいいのである。
日本人の政治的民度は低い。
これは残念ながら認めなければならない。
選挙がある。
すると、立候補者の政策を見る。
ツイッター上でも
ほとんどこのレベルに留まっている
これはそれなりの
レベルの高い有権者なのかもしれない。
しかし、政策だけで
投票先を決めてはならないように思われる。
ましてわが国のように
政権与党が、公約を反故にするのみならず、
公約とは逆のことをやって、
何とも思わない
劣化した政治文化のもとでは、危険である。
ツイッターで、「細川護熙 応援団」が、
1月6日に、細川護熙のこんな発言を紹介していた。
「直下型地震対策や
防災・介護・障害者福祉・雇用など
さまざまな問題があるが、
都の職員の方々がずっと練り上げてこられた
『2020アクションプログラム』という
すばらしいものがある。
さすが都の職員の方々は優秀。
ほとんどこれに付け加えることはない。
このスピードアップを図りたい」
(細川護熙)
「リーダーに求められていることは
大きな方向を示すこと。
トップが重箱の隅をつつくようなことをいうと、
みんな萎縮し組織がうまく回らない。
大きなビジョンを示し、
職員の方々にやる気をもっていただく。
17万人都職員の方々のモチベーションを高め、
都庁という組織が
都民のために動く」(細川護熙)
つまり、当たり前のことであるが、
都政は止まっていて、
新知事が決まってから動き出すのではない。
石原慎太郎、猪瀬直樹と動き、
選挙中の現在も動いている。
細川護熙や小泉純一郎が、
「脱原発」以外は誰が知事になってもそんなに変わらない、
と至る所で繰り返しているのは、現実を語っているのである。
こんな当たり前のことの、
わかっていない人が非常に多いように思われる。
200、300のいかに詳細な政策を掲げても、
その多くはすでに都政に組み込まれて機能している。
その改革をやろうとしたら、
都の与党(自民党と公明党)との交渉・対決になろう。
大切なのは「脱原発」といった
大きな政策を
実現するための知事の
政治力であり、
経験、知恵、人脈である。
さて、やはり、というべきか、
当然というべきか、
ルポライターの鎌田慧(さとし)ら19人でつくる
「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」
による、細川護熙と宇都宮健児の、
一本化はならなかった。
細川陣営は
「生まれたムーブメントを今後につなげるやり方もある」、
「政策の優先順位も異なる」などと説明した。
宇都宮陣営は
「告示後であり期日前投票も始まっている」、
「原発以外の多くの政策が一致していない」
のを理由とした。
まず、鎌田らの善意の仲介をねぎらいたい。
しかし、
わたしがメルマガや
ツイッターで何度も述べてきたように、
もともと
一本化は無理であり、
選挙戦に
突入した段階で
するべきものでも
なかった。
第一 、宇都宮健児の背後にいる共産党が、
宇都宮健児に降りることを許すはずもなかった。
その理由は2点ある。
1 ここで宇都宮健児に降りられたら、
共産党の党勢拡大の機会が奪われることになる。
共産党にとって「脱原発」は手段であり、
目的はこの都知事選をとらえての党勢拡大にある。
それなら
選挙戦に突入する前の
一本化は可能であったか、
といえば、それも不可能だったと思われる。
もし、選挙戦の前に
宇都宮が細川との話し合いで
降りるとなったら、共産党は
別の候補者を立てただろう。
都知事選の後、小泉純一郎が
「脱原発」候補を支援に行くといっていた
山口県知事選は、2月6日に告示され、
投票日は、2月23日である。
安倍晋三のお膝元で、
ここで自民党が負ければ、
安倍の基盤は大きく揺らぐ大切な選挙になる。
ところが、ここでも
生活の党推薦の候補者とともに、
共産党も立って、「脱原発」を分裂させる。
結果として自・公推薦候補が非常に有利になる。
これをずっと
共産党はやってきている。
つまり勝利よりも
党勢拡大の機会として
選挙は捉えられているので、
一本化などとんでもないのだ。
鎌田らは、その辺の共産党の、
理解の仕方が不十分なように思われる。
もともとこの会の名称に首をかしげる。
「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」
というのだが、言葉の本来の意味において
共産党推薦の宇都宮健児は、「脱原発」候補ではない。
もっと本質的なことをいえば、
細川護熙や小泉純一郎のいう
「脱原発」などが実現したら、
共産党は困るのだ。
「脱原発」での両候補の一本化は、
最初から
宇都宮への誤解
に基づく要請なのだ。
これが次の2番目の理由になる。
2 日本共産党は福島第1原発事故が起きるまでは、
核エネルギーの平和利用の可能性を積極的に肯定してきた。
国会等で共産党の議員が、
政府に対して
原発の安全確保策を迫るものだから、
一般に
共産党が以前から原発を
危険なものとして否定してきた
と誤解されがちである。
しかし、これは大きな間違いで、
共産党は、
日本における原発の存在
そのものを否定してきたわけではないのである。
第22回大会第7回中央委員会総会
(2003年6月)において、
不破哲三議長(当時)は以下のように発言している。
「現在、私たちは、原発の段階的撤退などの政策を提起していますが、それは、核エネルギーの平和利用の技術が、現在たいへん不完全な段階にあることを前提としての、問題点の指摘であり、政策提起であります。
しかし、綱領で、エネルギー問題をとりあげる場合には、将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうることも考えに入れて、問題を見る必要があります。
ですから、私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。
現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。
人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです」
ところが、共産党は
福島第1原発事故と、
その後の大きな国民の「脱原発」運動に慌て、
志位和夫委員長が、2011年6月13日に、
「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を――国民的討論と合意をよびかけます」と題した提言を発表した。
ここで、
「5~10年以内を目標に原発から撤退するプログラムを政府が策定することを提案」したのである。
宇都宮の
「10年で原発を撤廃」
という、
のんきな政策は
ここから出てくる。
10年後など、
反対声明を出して
お茶を濁すといっているのと同じだ。
それに
10年後に
宇都宮はまだ確実に生きているのか。
いや、まだ
日本社会はあるのか。
細川の
「原発は即時停止」
とは、
現状認識と
危機感がまったく違う。
いずれにしても「原発ゼロ」を
初めてここで打ち出したのだが、
これが非常に問題なのだ。
「原発からの撤退後も、
人類の未来を長い視野で展望し、
原子力の平和的利用にむけた基礎的な研究は、
継続、発展させるべき」
としたのである。
この続きは、
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都知事選の投票日ですね。
今日の天気はどうなのでしょうか。
都心で積雪27センチ 記録的大雪
投票行動に影響が出るでしょうが、
果たして喜ぶのは誰になりますか。
都心の積雪計故障 物差しで観測
ここでも「故障の原因は不明」ですと。
人間に手による作業が信頼でしかない。
選挙の結果次第で、今後一切、
東京のことには無関係でいきます。
で、最後を想定しての知事選のこと。
恐らくこれが最後の思いになるでしょう。
「脱原発」の願いはただひとつ。
命をとるかお金をとるかの選択で、
「命を守る」からのことです。
衆議院や参議院という国政の選挙でも、
決して共闘の道を模作することがない、
というこれまでの事実を見るまでもなく、
選挙選択に関わる共産党の姿勢には、
ぶれない姿勢とぶれない信念を旗印に、
独自性を貫く印象付けをして来ている。
それはそれで結構な事だろう。
日本の国の政治は、
2011年3月をもって再出発を余儀なくされた。
筈である。
この間に、国政の選挙は2回。
2012年の衆院選と去年夏の参院選だ。
そして、参院選と合わせての都議選も、
実は、国政に匹敵する選挙でもあった。
いずれの選挙も、
個々の政党の議席争いの選挙から、
自・公の圧勝という現象にされている。
そして、2012年の総選挙からの現実は、
安倍の擁立で独裁に等しい政権となる。
今日投票を迎える都知事選挙は、
個々の政党の議席争いではない。
この都知事選には、いち早く、
後出しジャンケンをものともせずに、
宇都宮健児氏が立候補したが、
社民・共産の支持が打ち出されて、
この時点で獲得の票読みは限界を作られる。
その意思表明の明確な基にされたのは、
「脱原発」の一転集中であった筈にも拘らず、
選挙戦突入を前後してのマスコミに負けて、
脱原発のトーンまでもが弱められてきた。
ここ2~3日に痛切に感じる嘆かわしさは、
宇都宮支持者層に見受ける「脱原発」への、
極めて非論理的批判の中身の問題にある。
同じ目的である筈の「脱原発」に対して、
踏み出してもいないのに旧態を取り出し、
細川陣営に対する批判を強調するのか、
という大局認識への危惧を憂うしかない。
これが本音の主義主張にあるとすれば、
そしてそれが曲げざる共産の意志なら、
オイラは明確に判断を下すしかない。
この共産党の意図の本質は、
結局は、自民党の対極にありながら、
現実は同じ性質の無責任。
つまり「脱原発」を御旗にしただけの事で、
争いの後に来る局面現象には、
ただ「反対」を貫くだけの政党でありたい、
というだけの存在で居続けたいのだ。
猪瀬当選時の前回と知事選で、
宇都宮健児氏の獲得票は96万票。
猪瀬はその4倍以上の430万票。
都議選での獲得票は60~70万。
その猪瀬は政策施策での失脚ではなく、
素人ならではの金に汚された結果だ。
(実態はリコールが相応しい撃沈)
行政基盤の汚れは隠されたままの選挙。
さて、宇都宮陣営は、今回の選挙に、
嘗ての猪瀬票430万を切り崩す為の、
予測をどう捉えてきていたのか。
現実は、捉えてみようともしていない。
前回の獲得票に倍以上を追加しても、
当選を勝ち取ることは不可能が現実。
猪瀬に投票した人々の感覚分析をしたか?
この人々が共産党の支持というだけで、
決して振り向かないことも知るだろう。
社民との共闘は推して知るべし。
それでも、信念をもっての闘いには、
異論をいうこともないし感じることも無い。
ただし、その闘いに、
非難中傷が武器というなら話しは別だ。
なぜ「脱原発」の一致を知りながら、
その脱原発の細川を非難するのだ?
430万票の分断を阻害し、
舛添に引き戻すことを知ってのことで、
即ち、何でも「反対」すればいいという、
旧態依然の共産党でありたいからか?
本当は責任を持ちたくないが為に、
権力は権力のままでしておきたい、
というのが共産党の本音ということになる。
これは、以前から、
オイラが共産党の事務所に行って、
地方の政治に関わる党員に忌憚なく、
投げかけてきた疑念の重複だが。
卑近な暮らしの環境に関わる中で、
共産党の姿勢に親身を覚えてはいても、
社会の根幹を変えたい重大な時期に、
大局を無視して我が身を一徹にするのは、
結局、我が身可愛さだけの理由しかない。
日本の政党であり、国民の政党であれば、
この都知事選がもつ重要な意味を知る筈だ。
少子化も待機児童に関わる保育の充実も、
高齢者や福祉対策も、霞ヶ関の存在同様、
都庁の行政組織の現状打破あってのこと。
特定秘密保護法で安倍を打ちのめしたか!
TPPで安倍に冷や汗もかかせられない。
靖国論議と中・韓の事でさえ安倍を崩せない。
集団的自衛権で安倍に進退を迫れるのか!
この1年2年の事を店晒しにしたままで、
20年前がこうだったああだったと言い、
政権を放り出したと細川を言うくらいなら、
安倍の7年前からの現実こそが問題と、
はっきり断じるがいい!
放り投げ方の違いの本質を知るがいい!
そして、「こうだった、ああだった」
ということを穿(ほじく)り出すのなら、
そのことを許すしかなかったのも、
自分たち国民の所為だったこと、
と思い知る方が先決というものだ!
既得権益の仕組みを変えようともせず、
昔の事を今に引き摺りながら、どうせ、
また元に戻るからと今を変える気がない。
そう言っているようなものだ。
なんで自慢げに批判材料を穿り出すのか、
と、情けない。
今は何より、
安倍自民の尻に火をつける最後の機会。
安倍の暴走自民を食い止めるのは何か。
その大前提こそが
「脱原発」というものだ。
国民の為の政党を自負した上で、
身を捨ててでも、の覚悟があるのなら、
脱原発の足を引っ張るべきではない。
共闘という形を放棄するのは、
結局のところ、
責任が関わる事態を恐れるからだ。
どう言い訳をしようと、
そう思われても仕方あるまい!
ちょうど2年半前、原発対応も含め、
自民党:谷垣に入閣を要請した際に、
「責任の所在が明確にならないから」
と断るしかなかった自民と同じだ。
だから、本音では、
安倍自民がこのままであって欲しい、
ということでしかないことになる。
この国最大の原発責任者の自民が、
そう言って逃げ回ってきたのだ。
今現在も安倍晋三は逃げている。
成り済ましの見せ掛けでは、
宇都宮健児さんが
余りにも気の毒です。
オイラが知りたい限り、
そして知っている限り、
きっと、
そういう共産党ではありませんよね。
予め放り投げておく
■Eric Gale - Forecast
http://www.youtube.com/watch?v=hQNMyhWp-6Y&feature=player_detailpage
【めいろの:大局観か退却観か】2014.2.9