言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

ユメユメ騙されないように気をつけましょう。

2015-08-10 12:52:09 | 言いたいことは何だ
今日の東京新聞から

核兵器の輸送「あり得ない」

自民党の高村正彦副総裁

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自民党の高村正彦副総裁は九日、松江市内であった党島根県連の会合で講演し、安全保障関連法案をめぐり、核兵器の輸送も法文上は排除しないとの中谷元・防衛相の答弁に関し「核弾頭を運ばないことは日本人の常識。


排除規定はないが、あり得ないから(法律に)書いていない」と説明した。


高村氏は中谷氏に国会で質問した野党に対し「追及する人もあり得ないと分かっていて聞いている。

あり得ない無意味な議論で不安をかき立てるのはやめてもらいたい」と批判した。






って、分かりますか?
安倍晋三さんの火事場の分かりやすい話?と同じように、男女二人の例え話をしましょう。


現在35歳になる男・安倍と女・稲田が15年前に、大勢の知人・友人・恩師・親戚を招いて結婚式・披露宴をやりました。


以来15年、二人はみんなが羨む生活を営んでおり、誰一人として、あの夫婦が離婚することはあり得ないと思い込んでいます。



しかし、幸いというか、不幸にしてというか、女・稲田が35歳で初めて身篭ったのです。

子供が欲しいと二人は願っていましたが、実際に妊娠という現実に直面すると、二人は結婚式は挙げたけど、婚姻届を出していないので、女・稲田が内縁(法律上は)の夫・安倍に「私たち二人は婚姻届を出していないから、届けを出しましょう」と言ったのです。



が、夫である同棲の男・安倍は「二人は夫婦だと誰もが認める仲だから、今更婚姻届は必要ない」と言うのです。


男・安倍の家は財産家で不自由なく過ごしている生活だし、子供が産まれても子育てや幼稚園、学校に上がっても教育費に困るということはないのです。

ところが、つい最近、女・稲田が幼馴染の友達にあることを知らされたのです。



稲田の家柄の身分が低いから二人は同棲生活をしても正式な夫婦とならないように倅に婚姻届を出さないよう言っていたらしいのです。

子供が産まれ、夫である男・安倍が家督を継ぎ、早く死んだとすると、稲田に財産を分けなければならない。


それを止めるには二人が「正式に夫婦であることを法律上認めさせないのだ」というわけです。


もうお分かりですね。



話を元に戻すと、高村正彦副総裁が言った「核弾頭を運ばないことは日本人の常識なんだ」と言うことは、例えの二人は夫婦なんだから、離婚することは無い。と言っていることと同じですね。


夫婦の間も、国際情勢もいつどうなるか分かりません。


核弾頭を運ばないことは日本人の常識と言うなら、(法律に)書く。というのは当たり前のことですね。

ユメユメこういう詐欺師に騙されないように気をつけましょう。


コメント (1)
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「戦争に行きたくないのは自己中」武藤議員に聞かせたい、蛭子さんの“究極の自己中”反戦論

2015-08-10 12:47:00 | 言いたいことは何だ
「戦争に行きたくないのは自己中」武藤議員に聞かせたい、蛭子さんの究極の自己中反戦論

2015.08.07.
 リテラ


「戦争に行きたくないのは自己中で利己的個人主義」――。自民党の武藤貴也議員のトンデモ発言に非難が集まっているが、しかし、これはある意味、自民党=安倍政権の本音でもある。

 
実際、安倍首相をはじめ、党三役や閣僚に名前を連ねている連中は、今でこそ政権をとって安保法案を通すためにトーンダウンしているが、これまでみんな武藤議員と似たようなことを主張してきた。
 
日本国憲法や戦後教育のせいで国民に公に貢献する精神がなくなった、愛国教育や徴兵制で国民の精神を叩き直すべきだ――
 
麻生太郎副総理が武藤議員に対して「自分の気持ちは法案が通ってから言ってくれ。それで十分間に合う」と思わずポロリと漏らしたことが報じられたが、おそらく、安保法案が成立した次は「戦争に行きたくないのは自己中」と批判されるような教育、社会の空気づくりが本格化していくのだろう。
 
そのとき、いったい私たちはこの乱暴な全体主義にどういう言葉で対抗すべきなのか。実は、そのヒントを与えてくれそうなイデオローグがいる。それは、あの蛭子さん、蛭子能収だ。
 
蛭子さんといえば、バラエティや旅番組などでもまったく空気を読まないマイペースな発言を連発しているミスター自己中。本人も常々「誰かに束縛されたり、自由を脅かされることが何よりも大嫌い」と公言していて、自著『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)では、「長いこと、自由であることを第一に考えていると、いわゆる友だちと呼ばれるような人は、あまり必要でなくなります。」とまでいっている。
 
そんな蛭子さんが「女性自身」(光文社)818日・25日合併号の戦後特集「私の70年談話」に登場して、戦争について語っているのだが、これがなかなか説得力のある内容なのだ。

 
原爆投下された2年後、長崎に生まれた蛭子さんは「小さいときから、戦争は嫌」だと思っていたという。その原点になっているのは死ぬことへの恐怖。蛭子さんは小学生の時、一瞬で消えてしまう流れ星を見て、人間のそして自らのを実感した。


「人の一生も同じなのかと思ったら、すごく恐ろしくなって。以来、死なないことが人生の目標になったんです」
 
人生の目標が「死なないこと」となった蛭子はその目標を第一優先にして行動してきた。それが「怒りを表情に出さない」そして「暴力に頼らない」ことだったという。
 
中学時代、パシリにされたりイジメを受けたりしたとき、蛭子は内心では腹が立ったというが、それを抑えることで、理不尽なものに対処していく。


「怒りを表情に出すことはしませんでした。もしオレが手を出せば、相手は殴ってくるかもしれません。ちょっとの憎しみでもたちまち大きくなります。その憎悪の連鎖が、しまいにはナイフで刺されることにつながるかもしれませんからね」
 
挑発に乗って、感情を爆発させれば自分にも暴力が向けられるし、やり返せば憎悪の連鎖も起こる。だから蛭子は考えた。


「とにかく相手から嫌なことをされても、怒りの感情を出さない。暴力に頼らない別の対処法を考える。それが憎しみの連鎖を断ち切る唯一の方法。これは大人になった今でも変わりませんね」
 
そして、蛭子さんはこうした体験をふまえて、戦争の動きについてこう批判している。「オレは好戦的な発想は好きではありません。最近、中国や韓国との関係がギクシャクしてからの、相手の攻撃的な言動により攻撃的な態度で返しているような人たちを見ていてそう思います。(略)向こうが高圧的に来ても、受け流しておけばいいんですよ。その間に、歴史や法律を勉強したり、戦争をしなくてもすむ仕組みを調べたりするほうがいいんです」


「国同士だとちょっとした『憎しみ』が戦争につながるんですから、その連鎖を早い段階で断ち切ることが大切。それができるのは「弱さ」を武器にすることだと思うんです」
 
どうだろう。安倍首相による例の「トモダチのアソウくんが不良仲間に喧嘩を売られたら、一緒に戦う」といったたとえ話よりも、はるかに現実的で説得力のある言葉ではないか。
 
実は蛭子さんは少し前から、安倍政権の戦争できる国づくりにしきりに異を唱えていた。
 
昨年624日には朝日新聞紙上で、集団的自衛権を「正直、難しいことはよく分かりませんが、報復されるだけなんじゃないですか。『集団』っていう響きも嫌いですね。


集団では個人の自由がなくなり、リーダーの命令を聞かないとたたかれる。自分で正しい判断ができなくなるでしょ」と批判したし、前述の『ひとりぼっちを笑うな』でも「ここ最近の右翼的な動きは、とても怖い気がします。安倍首相は、おそらく中国と韓国を頭に入れた上で、それ(集団的自衛権)を通そうとしているのでしょうけれど、僕はたとえどんな理由であれ、戦争は絶対にやってはいけないものだと強く思っています」と警鐘を鳴らしている。
 
おそらく安倍政権を支持する連中は、蛭子さんのこうした反戦の主張に対しても「自己中」という言葉を投げつけるのだろう。しかし、蛭子さんはただの「自己中」ではない。


「僕自身が自由であるためには、他人の自由も尊重しないといけないという信念であり、それが鉄則なんです。人それぞれ好きなものは違うし、ライフスタイルだって違う。そこをまず尊重しない限り、いつか自分の自由も侵されてしまうような気がしてなりません」


「戦争ほど個人の自由を奪うものなんて、他にはないんですよね。誰かの自由を強制的に奪うようなものは、いかなる理由があっても断固として反対です」


(『ひとりぼっちを笑うな』)
 
蛭子さんは何よりも自由を大事にし、そして自分が自由であるために、他人も尊重するし、多様性を認める。だからこそ、「自由」を奪う戦争には、徹底的に反対していく。しかも、そこにはたんなるエモーショナルな思いではなく、どうやったら生き延びることができるのかという冷静な計算、「弱さを武器にする」というしたたかな戦略がある。
 
一方、安倍政権とそれを支持する連中はどうだろう。自分たちのグロテスクなプライドを慰撫するために歴史をつくりかえ、国民に「国のために命を捧げる」という価値観を強要し、戦争のできる国にするためにわざわざ緊張関係をつくりだす――。いったい、どっちが「自己中」で「非現実的」なのかは火を見るより明らかだろう。

 
蛭子さんは「女性自身」のインタビューで「弱いことを武器にすることは、本当は強い者にしかできないことですよね」とも語っているが、私たちは安倍政権やネトウヨ政治家ががなりたてる「見せかけの強さ」でなく、蛭子さんのような「しなやかな強さ」を求めるべきなのだ。
 
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