言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

「青年は二度と銃を取らない」日本青年団協議会特別決議

2015-08-10 22:57:40 | 言いたいことは何だ
第65回日青協定期大会特別決議被爆・戦後70年 不戦の誓い―「青年は二度と銃を取らない」思いを今こそ― 
 1945(昭和20)年、今から70年前の我が国は第二次世界大戦下にありました。沖縄県では国内で唯一と言える地上戦が繰り広げられ、「鉄の暴風」と呼ばれる激しい艦砲射撃が水平線を埋めつくす無数の艦船から住民に襲いかかりました。皇民化教育と軍民一体化政策を推し進めた結果、多くの住民が強制的に、しかも集団で死に追いやられた「集団自決」が軍命により行われました。住民を守るはずの軍隊が、国体を守るために子どもを含めた多くの住民を犠牲にした沖縄戦は、6月23日、第32軍司令官牛島中将が自決し組織的戦闘は終結しました。 
 我が国の至る所では空襲などにより凄まじい被害や犠牲が見られ、人々の暮らしは常に脅かされ不安な日々を余儀なくされました。8月6日、広島に原子爆弾(原爆)が投下され、まちは一瞬にして無惨な姿となり、およそ14万人の命を失いました。そして8月9日、長崎にふたたび原爆が投下されまちは壊滅、約7万4千人が犠牲となりました。8月15日、2つの原爆によりあまりに大きな犠牲を受けた我が国はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦はようやく終わりました。米国占領下の1947(昭和22)年5月3日、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義をうたった日本国憲法が大日本帝国憲法にかわり我が国の最高法規として制定されました。
  戦場からふるさとに戻り、荒れ果てたふるさとの姿を目の当たりにした青年たちは、ふるさとを再興すべく仲間とともにもう一度青年団を立ち上げ、1951(昭和27)年5月、日本青年団協議会を結成しました。1952(昭和27)年サンフランシスコ講和条約の発効を記念して開催された第1回全国青年大会にご臨席された三笠宮殿下は「なんといってもふたたび日本人が武装して国外に出ないということを、みなさんにはっきり持っていただきたい」と挨拶され参加者に感銘を与え、「青年は二度と銃を取らない」と平和への努力を固く誓い合いました。心から平和を希求した青年たちは、敗戦の経験をいかし平和と民主主義をもとにアジアや世界の青年たちと力を合わせていこうと、中国、ソ連、朝鮮民主主義人民共和国などとの交流をひろげていきました。被害と加害の歴史と実相を学ぶため、沖縄、松代(長野県)での学びを経て、1995(平成7)年5月、ソウルを訪ねた際、戦前・戦中を通して、アジアの各地に多大な犠牲を強いた歴史と経験を悔い、被爆・戦後50年にあたり、被害の歴史と韓国の人の思いにふれた「不戦の誓い」を確認しました。 
 現在の我が国では、憲法改正の動きや新たな安全保障体制を構築する動きが着実につくられ、戦争に荷担する歴史が繰り返されようとしています。こうした動きに賛同する若者も少なくありません。被爆・戦争体験者が減り続ける一方で、戦争を知らない世代が増え続け、戦争の悲惨さや壮絶さを理解することが少しずつ困難になりつつあります。世界に目を転じれば、テロリズムに共感する格差と貧困の狭間で生きるごく普通の若者が、罪のない子どもたちや女性、高齢者などを殺りくする事件が後を絶ちません。戦争は決してゲームなんかではない。人と人とが、時には家族をも、時には仲間をも、時には愛する人をも憎しみあい、傷つけあい、殺し合う、人類の歴史の中で最も惨たらしいものです。
  広島、長崎の原爆により生涯を通して原爆被害に悩み苦しみ続ける被爆者から青年団が学んだことは、報復しないという不戦の哲学でした。報復の思想は新たな憎しみや怒り、暴力の構造を連鎖させるだけです。  ここに集まった一人ひとりが、悲惨な戦争の歴史を二度と繰り返さない決意を固くし、それぞれの地域、職場、学園等々様々な機会を通して多くの人々に伝えていくとともに、正しい歴史教育の実現を求めていきます。そして、日本国憲法の理念を尊重し、過去の歴史に学び、改めて青年は二度と銃を取らないことを固く誓い、被爆・戦後70年にあたる宣言とします。


 2015年5月5日日本青年団協議会第65回定期大会

TBS杉尾記者も裸踊り接待…検察・国税の元担当記者が明かす当局幹部との癒着の実態

2015-08-10 18:29:37 | 言いたいことは何だ
TBS杉尾記者も裸踊り接待検察・国税の元担当記者が明かす当局幹部との癒着の実態


2016.08.07. リテラ

「文化芸術懇話会」での言論弾圧発言に象徴されるように、安倍政権と自民党のメディアへの圧力はますますエスカレートしている。しかし、元はといえば、権力をここまでつけ上がらせてきたのは、マスコミ自身の過去の権力べったりの姿勢に大きな原因がある。その一端が垣間見えたのが、『新聞記者は何を見たのか 検察・国税担当』(講談社)である。

 
著者は中日新聞・東京新聞の検察担当を長く務めた村串栄一氏。2013年に定年退社するまで、数々の政界疑獄事件を担当してきたという。
 しかし、そこには、唖然とするような権力との癒着が書かれていた。それを端的に示すのが、「検察という魑魅魍魎」「匍匐前進の日々」「沈黙の国税を崩せ」といった章の末尾ごとに書かれた「エピソード」というコーナーだ。

 「検察も人の子」というコーナーで、著者はこう書いている。
 
権力、カネを握れば次は女が定番。ある年の暮れ、法務・検察組織で上位にいた幹部から筆者宅に電話がありました。「僕の女性問題が週刊誌に書かれるらしいんだ。取材にも来た。もう面倒くさいから役所を辞めようかと思っている。辞表を書き終えたばかりなんだ」〉

 
結局、筆者は聞いたことを何も書かなかった。別の検事が別の案件で検察を辞めようとしていた時は、辞表を出すのを思いとどまるよう説得したとも書いている。 


「特捜部長の谷川岳登山」と題するコーナーでは、特捜部長とマスコミ記者が群馬県の水上温泉旅行と谷川岳登山に出かけた時の話が出てくる。1985813日のこと。その前日には同じ群馬県の御巣鷹山に日航機が墜落するという大惨事があったばかりなのに、当時の山口悠介特捜部長の提案で記者がゾロゾロ出掛けたのだ。また山口氏の自宅近くのスナックでは、しょっちゅう記者が集まっていたという。


〈山口さんも自慢のアコーディオンを持参して弾いてくれました。飲み、歌うに連れ、記者の踊りが始まる。名物はTBSの杉尾秀哉さんの裸踊り。次いで産経新聞の宮本雅史さんが三波春夫の俵星玄蕃を唸り声で披露する。事件を忘れて騒ぎ、朝が来たのです〉
 
毎日さぞ、楽しかったに違いない。こうした記述の中で特に見過ごせないのは、「シドニーでの出来事」だ。筆者は、検察にどこまで協力できるかを考えていたと言う。そんな中で、仕手筋による国際航業の株買い占め事件が起きると、関連取材でオーストラリアに飛び、事件関係者の取材をした。帰国後、当時の石川達紘特捜部長に呼ばれる。


〈部長室には副部長も同席していました。こちらの情報が捜査に使われるのはどうかと慎重に対応しました。雑談として話したのですが、副部長がメモを取っていたのです。「記録には残さないようにお願いします」。マスコミの情報提供はリアクションも考えなければならないと思ったからです〉


「慎重に対応しました」などと言い訳しているが、取材で得た情報を最強の権力機構に渡してしまうことに、痛痒は感じなかったらしい。まるでペンを持った岡っ引きである。村串氏の回顧談には、権力監視を第一とすべき報道機関とは思えない話が次から次へと出てくるのだ。権力中の権力である検察と、いったいどこで戦っていたのか。検察という権力の監視はどうなっていたのかと呆れてしまうのではないか。
 
村串氏はたくさんの「独自記事」を書いたのだという。一時国税担当になったときも、「書いた国税独自記事は多すぎてほとんど忘れてしまった」となんのてらいもなく、記しているが、こうした独自記事とは、しかし、「きょう強制捜査へ」といった発表の先取り型記事にすぎない。そんな業界の内輪の「記者クラブ型のスクープ」に血道をあげる一方、検察の違法捜査や見込み捜査はほとんど問題にせず、「検察は正義の味方」というイメージを作り上げてきたのだ。それがマスコミである。それが証拠に、マスコミの検察担当記者は冤罪事件に加担した検事の責任などほとんど追及してこなかったし、民主党代表だった小沢一郎氏にまつわる一連の政治資金問題でも検察にとって都合の良い記事を書き続けた。

 
マスコミと検察権力の癒着ぶりは、休刊になった「噂の真相」が1999年に報じた東京高検検事長にまつわる一件を振り返っても分かる。この検事長はとんでもない女性スキャンダルを抱えていたのだが、多くのマスコミは報じなかった。ところが同誌の報道を後追いして朝日新聞が1面で報じ、検事長は辞任に追い込まれていく。なぜ、マスコミは先に報じなかったのか。当時の「噂の真相」には大手紙の司法担当記者のこんなコメントが出てくる。 


〈(検事長の)黒い噂は、目端の利く地検担当の記者なら誰でも一つや二つ知ってますよ。ただ、ご存じの通り、立場上書けないだけ。もし虎の尾を踏んで今後、特捜部のネタが取れなくなったら致命傷ですからね〉
 
知っていても書かない、という驚くべき宣言なのだ。正義の味方の検察から出入り禁止を食らって、事件ネタが書けなくなると、記者自身の社内評価や出世にも影響するのだろう。そんな個人的な事情を優先させ、書かない・書けない、とあからさまに宣言するのだったら、マスコミは「国民の知る権利を代行しています」みたいな言い分をさっさと下ろすべきではないか。
 
村串氏の著書にも、この検事長スキャンダルに関するくだりは、わずか10行程度ながら登場する。こんな内容だ。


〈休刊になった「噂の真相」は東京高検検事長のスキャンダルを炙り出し、辞任に追い込んだ。雑誌はストリートジャーナルを自認している。週刊誌記者の粘り腰は見上げたものだ。新聞が書かない、あるいは書けないネタを堂々と張る〉
 
「噂の真相」を持ち上げているが、問題は「新聞が書かない、書けない」記事とは何か、ということだ。書かない・書けない記事は、すなわち世に出ていないのだから、読者は何が起きたか・起きていないかすら、知るすべがないがないのである。
 
だが、事は何も村串氏個人、検察担当記者に限った話ではない。酒やゴルフ、ときには金品や女も介在しながら、マスコミと権力は密接なインナー・サークルを築いてきた。古いところでは、田中角栄首相が番記者に現金を配っていたことを後に明らかになったこともある。こうした癒着構造は一時、下火になったが、第2次安倍政権になって再びあからさまになった。
 
首相自らがマスコミ幹部と会食を頻繁に繰り返し、安倍首相、今井尚哉首相秘書官、そして、菅義偉官房長官らが読売、産経などの特定記者と裏でつながって、謀略情報をリークしているのは有名な話だ。
 
そして、これにならうように、一部の省庁では自分たちのいうことをきく特定の社だけを重用する傾向が強まり、新聞・テレビの側も情報源の官僚に気に入られようと取り入り合戦がさらにエスカレートしているという。
 
安倍政権と対峙するために、マスコミはまずこのグロテスクな癒着を断ち切るべきではないのか。
 

「岩手ショック」が【オールジャパン平和と共生】起爆剤に本年9月に予定されている岩手県知事選に出馬する意向を表明していた平

2015-08-10 18:19:56 | 言いたいことは何だ
「岩手ショック」が【オールジャパン平和と共生】起爆剤に本年9月に予定されている岩手県知事選に出馬する意向を表明していた平野達男氏が出馬しない意向を表明した。
 
現職の達増拓哉知事が三選に立候補を予定しているなかで、達増氏の三選を阻止するために平野氏が知事選出馬の意向を示していたのである。
 
4月26日付ブログ記事
 
「民主党の解体なくして日本政治再生なし」
 
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-1735.html
 
に記述したように、平野達男氏は小沢一郎氏の支援を受けて、2001年の参院選に出馬して当選した人物である。
 
達増拓哉氏は生活の党代表である小沢一郎氏直系の政治家である。
 
そして、岩手県は小沢一郎氏の牙城。
 
平野氏は小沢氏の力で参院議員になり、民主党政権では菅・野田政権で大臣職まで付与されていながら、小沢一郎氏に弓を引いたのである。
 
2013年の参院選では、民主党からの出馬が、当選に不利になると見て無所属で出馬した。
 
そして、今回の知事選では、自民党の支援を得て立候補の意向を固めていたのである。
 
自民党で平野達男氏の知事選出馬を後押ししたのは二階俊博氏である。
 
二階氏もかつては小沢一郎氏の陣営に所属した議員であるが、自自公連立政権から自由党が離脱すると、与党に残留するために、小沢氏とたもとを分かった人物である。
 
今回の知事選における平野達男氏の出馬方針は、小沢一郎氏の政治的生命を断つことを目的に組み立てられたものである。
 
 
平野氏の陣営には、小沢一郎氏の秘書を務めていた高橋嘉信氏が加わっていた。
 
2009年に民主党の小沢-鳩山ラインが政権を奪取したことと並行して、日本政治史上、最も卑劣で最も悪辣な政治謀略事案が進行した。
 
小沢一郎氏、鳩山友紀夫氏に対する史上空前の人物破壊工作が展開された。
 
その謀略によって鳩山政権は破壊され、小沢一郎政権の誕生が闇に葬られた。
 
その謀略工作の最終バージョンが今回の知事選であったと言える。
 
しかし、潮目が変わり、平野氏が当選する可能性は消滅した。
 
平野氏が知事選に出馬すると、参院補欠選挙も実施される。
 
小沢一郎氏系の達増拓哉氏が知事選に勝利し、補欠選挙でも小沢一郎氏系の候補者が勝利することが確実の情勢になった。
 
平野氏は完全に失脚し、後見人の二階俊博氏も大きな失点をあげることになる。
 
この事態が明白になったため、平野氏と二階氏が投降したというのが、知事選出馬取りやめの実態である。
 
 
安倍晋三政権は、これから坂を転げ落ちる。
 
次の政権の絵が描かれていないから、安倍政権の安泰が続くとの見解が一部で示されているが、甘い見方であると思われる。
 
安倍政権の凋落には、合理的な理由がある。
 
その「理の当然」に従って、安倍政権が下り坂を転がり始めたのだ。
 
そう簡単にこの流れを変えることはできないだろう。
 
どこに問題があるのか。
 
それは、安倍政権が民主主義の根幹を破壊し続けていることにある。
 
二つの致命的な過ちが犯されている。
 
一つは、立憲主義の根幹である憲法を破壊していることだ。
 
政治権力といえども、憲法の前には従順でなければならない。
 
これが「立憲主義」の基本である。
 
ところが、安倍政権は、その憲法をないがしろにしている。
 
政治権力を握れば、憲法も好きなように改変してよい。
 
これが安倍政権の基本スタンスだが、このような暴挙が容認されるわけがない。
 
二つめは、原発、憲法、TPPという、国の根幹に関わる重大事項について、主権者の意向を無視した政策運営を強行していることだ。
 
政治権力を握っているとはいえ、民主主義の政権であるなら、国の根幹に関わる重大事項については、主権者の意向を尊重して政策を運営しなければならない。
 
ところが、安倍政権は国会における「数の力」を振り回し、主権者国民の圧倒的多数が反対する重大政策を独裁的に強行しているのである。
 
このことが表面化して内閣支持率が急落している。
 
この根本が修正されない限り、政権支持率が再浮上することはあり得ない。
 
潮目が変わったから、風景は見る間に変わってゆくことになるだろう。
 
いや、変えてゆかねばならないのだ。
 
岩手県における平野達男氏、高橋嘉信氏、二階俊博氏の大敗北は、流れの転換を象徴する出来事であると言って間違いないだろう。

こうすれば,安倍首相はほころびが出る/小沢一郎氏

2015-08-10 14:57:31 | 言いたいことは何だ
日刊ゲンダイより引用.
安保法案は憲法に違反し,内閣主導で海外派兵を
できるようにするものです.

安倍首相は衣の下の鎧を隠すために,意味不明の言葉遊びをしている.


安倍首相はテレビ出演で,集団的自衛権の説明を「火事」に例えたが,
全く次元の違う話で,頭がどうかしている.
本音を隠そうとするから,余計へんちくりんな例えになってしまう


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この例え話は,官僚が考えたのだろうか.
官僚の劣化は深刻だ.
安保法案は,内閣法制局,外務省,防衛省の官僚が

認めた結果だろうが,
鎧を隠すための衣の作り方があまりにも幼稚だ.
官僚機構は,ムダが多く,のろまで,威張り散らすばかり.
私は日本の官僚機構の劣化を大変心配している


参議院の審議では,原則論を議論すべきだと思う.
ポツダム宣言,極東軍事裁判,サンフランシスコ講和条約,
日本国憲法
のそれぞれについて
安倍首相にどう考えているのかを問い質す.


憲法9条を否定するのか,そうじゃないなら9条をどう思っているのか


衆議院で,共産党の志位委員長がそういった原則論で

良い追及をしたが,時間が短かった

参院では,徹底的にやるべきだ.
そうすれば安倍首相は間違いなく答弁に窮し,
ほころびが出るだろう

安倍首相の言葉遊びに引きずられてはダメです.
ーーーーー引用終わりーーーーー


選挙で投票に行かない人は,結果的に
自民党を容認したことと同じです


過去記事
私は軍国主義者です,米国で宣言:安倍総理
http://blogs.yahoo.co.jp/permer4_4/35143050.html

SEALDs中傷ツイッターの武藤貴也議員に“社会人失格”の過去

2015-08-10 14:55:36 | 言いたいことは何だ
SEALDs中傷ツイッターの武藤貴也議員に社会人失格の過去

2015
89日 日刊ゲンダイ


安保法制反対デモの学生団体「SEALDs(シールズ)」に対し、「戦争に行きたくないだけ」などと中傷ツイッターを書き込んだ自民党の武藤貴也衆院議員(36、滋賀4区)のとんでもない過去が次々に暴かれている。なんと、国会議員になる前は反原発、脱ダム路線の嘉田由紀子前県知事のところにいて、脱ダム運動のペーパーを作ったりしていたというのである。



「2007年秋から(嘉田知事支持の県議会与党系会派の)『対話の会』が事務員として雇ったらしいです。雇った経過は知りません。武藤氏が代表質問などを書いていて、完全にダム反対論者でした」
(嘉田前知事)
 
驚くべきはその後の豹変ぶりである。
当初は京都の民主党に「国会議員候補者にしてくれ」と頼み込み、それがかなわぬと、2009年に自民党の滋賀県第4区の公募に手を挙げた。なんでも自民党の滋賀県議会の大ボス2人が武藤に目をつけ、「応募しないか」と呼びかけたという。


遅刻の常習犯
「2009年4月10日あたりを境に武藤氏は一晩で『僕は自民党の候補者になります』と言って、ダム反対からダム推進に変わりました。


ビックリしました。節度がなくて、何をやりたいのか分からない。1回だけじかに『それでいいの』と聞くと、『自民党と嘉田知事を調整する役をやります』と生意気なことを言っていた。


みんなが呆れたといえば、遅刻の常習でした。1時間遅れるのは普通。下手をすると、2時間遅れる。遅れてきても、詫びもしない。1期目で当選してから知事と国会議員の意見交換会が年2回あるのですけれども、その時も1時間も遅れてきて『すみません』もなかった。


石破幹事長(当時)に地元の国会議員が会いに行った時も遅れて、この話は有名になっています。朝、起きられないようです。とにかく子供っぽいというか、社会人としての基礎が出来ていません」

そんな武藤は核保有論者でもある。過去に月刊誌で「日本は自力で国を守れるように自主核武装を急ぐべきなのです。日本の核武装反対論は、論理ではなく感情的なものです。中国の台頭、アメリカの衰退という国際情勢の変化に対応して、いまこそ日本の核武装について、政治家が冷静な議論を開始する必要がある」などと言っている。



こんな議員がいる政権に核を持たせたら、それこそ、何とかに凶器である。
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