言わなければならない事は言わないと前には進まない

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『市場万能論からの脱却を』市場への過信が招いた社会の亀裂は深刻です。事業家たちが市場ではなく、人と向き合い、世の中のためになる事業を行ってこそ、経済の原点である社会還元になる記事です。

2017-01-07 16:45:09 | 言いたいことは何だ

市場への過信が招いた社会の亀裂は深刻です。事業家たちが市場ではなく、人と向き合い、世の中のためになる事業を行ってこそ、経済の原点である社会還元になる記事が載っています。

 

あすへの指針 市場万能論からの脱却を

(北海道新聞)

 

政府が発表する景気指標が改善しても、経済が良くなっている実感が湧かない。今年もそんなギャップが続きそうである。グローバル化した経済の下、一握りの「勝ち組」と多数の「負け組」の格差が、逆転不能なほどに広がっているのも一因だろう。

 

「勝ち組」の代表が、日産自動車 を再建に導き、現在は年間10億円を超す報酬を得ているカルロス・ゴーン社長(62)だ。先月には、日産傘下に入った 三菱自動車 の会長にも就任。三菱は全取締役の報酬総額の上限を30億円と3倍に増やして迎え入れた。

 

一方、日産再建の過程では、「コストカッター」ゴーン氏の要求に応えられずに取引を打ち切られた部品メーカー、リストラ対象となった社員らの「負け組」も生み出されてきた。

 

「新自由主義」がもたらした富の偏在と格差拡大を、「暮らし」の視点から変えたい。それが社会の分断を修復する一歩になる。

 

「人間不在」の危うさ

 

新自由主義は、市場の機能を万能視し、市場における選択を「自由の基礎」とする考え方である。これを基にした経済政策が1990年代以降の米国経済の活力を生み、世界各国に広がっていったのがグローバル経済の本質だ。

 

その価値観の下、資本は国境を越え、より効率的に、より大きな利益を得られる市場に投資を集中させるようになった。「選択と集中」の論理は、投資先に選ばれた場所に繁栄を、選ばれなかった場所に貧困を招いた。

 

新自由主義の危うさは、市場に判断を委ね続けているうちに、人の痛みや弱さに鈍感になってしまう点にある。市場の要求に応えられない企業や人間が競争から脱落しても「それは仕方のないこと」と考える。行き着く先が社会の分断だ。いま考えなくてはならないのは、人の顔が見える経済を取り戻すことである。ヒントは地方にある。

 

日本国内では、市場の論理では投資の対象にならないような過疎地が増えている。幸いなのは、自らの事業を通じ、そうした地域の住民の課題を解決しようとする企業が存在していることだ。

 

事業家の原点に返れ

 

中国地方最高峰・大山(だいせん)を望む鳥取県江府(こうふ)町は人口約3千人、そのうち65歳以上の高齢者が43%超を占める。この高齢・過疎の町の食を支えているのが、移動販売車「ひまわり号」だ。

 

地元の集落で1人暮らしをする下村慶子さん(78)は「街に買い物に行く手段がないので本当に助かります」と笑顔を見せる。運行しているのは、隣町の日野町を拠点にスーパー5店を運営する安達商事(従業員33人)だ。

 

社長の安達享司さん(64)は地元生協の従業員だったが、バブル期に勤務先が倒産。店と働く人を引き受け、90年に会社設立した。「住民の食と職を守ることが、地域を守ることにつながる」。安達さんの決断を支えたのは、そんな事業家としての「志」だ。

 

高齢化が進み、店に足を運べない住民が増えた2006年には「店の方が歩み寄ろう」と考えた。自らメーカーに掛け合い、3トントラックの荷台を売り場に改造した専用車両を開発した。それが「ひまわり号」である。

 

重要なのは、一見割に合わない事業に取り組む安達商事が黒字経営を続けているということだ。地域住民の顔が分かる従業員が、必要とされる商品を把握しているので仕入れに無駄がない。競合店がないので過度の安売り競争に巻き込まれる心配もない。

 

新自由主義の対極とも言える手法でも、きちんと利益を確保し、消費者が満足する事業を持続することは可能である。それを証明しているとも言えよう。  だからこそ同種の取り組みが全国に広がったのではないか。安達さんがノウハウを無償公開したこともあり、いまやコープさっぽろの80台をはじめ、買い物弱者 のための移動販売車が各地を走る。

 

市場への過信が招いた社会の亀裂は深刻だ。事業家たちが市場ではなく、人と向き合い、世の中のためになる事業を行ってこそ、経済の原点である社会還元になる。