ここのところどうも気持ちはなんとなく、
窓辺のしおれたヘチマ顔。
という感じでございまして、
秋でございます。
こういう気分のときはなんといっても
心のユンケル吉岡君でエネルギー補給が一番よねぇ。
ということで「警官の血」のオフィシャルサイトに行って、
最新吉岡くんのお顔を拝むこと1.2秒。
吉岡く~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!
リサイクルやん、この写真。
(リ)サイクリング~ (リ)サイクリング~ やっほ~やっほ~♪
思わず歌ってしまったではないか。
こういうところがまったくほんとに吉岡君ったら・・・・・・・
すっきやで。
ぃやっほ~ぃ!
んふ
それにしても暫くその最新版お姿を拝見していないけれど、
お元気なのかしら? お元気? お元気なの? お元気ですかーっ?!
アントニオ猪木です。
だぁっ、アントンはどうでもよくってよーっ、わたくしが恋しいのは
吉岡君なのだ。
それにしてもこの写真の吉岡君ったら・・・・・・・・
ふびゃ
そうじゃなかったわ、この吉岡君の表情ったら・・・・・・
ザ・キュイン。
ユネスコ世界遺産登録級の眼差しですってばよ~。
どうしてくれるんだぃ、えぇ、旦那ぁ。惚れちゃうじゃないかぁ。
「まなざしの君、秋深し、枯葉はらり。」
とでも呼べばよかとですかい? 長いじゃないか~。それじゃ~略して
「ま。」
にしておこう。吉岡くんったらたまらんねぇ~。
とにかくもうこのなんちゅーか、分度器2度くらいの尺度で
「翳っている」
表情がもうなんともどうにもこうにもどないしてくれるのだっ、吉岡君っ。
おまけにリサイクル写真だし、エコよね。
ネコでもあるんだけど。
って思考がはちゃめちゃあばれはっちゃくになっちゃったわぁ!
はぁ~吉岡く~~~~ん・・・・・・
恋しいぞなもしぃ~~~~~~~~~。
よしおかく~んっ、ヨシオカく~~~~んっ、よっ、しおかくんっ、
よぉ~~~~~~しっ、岡くんっ、エースを狙え! よしおかぁ・・・・・・
よ~しおか~・・・・・よしおかくんったらぁ・・・・・・・・・
良雄か?
なんでやねんな。
んもーっ、こうなったら原始の叫びだ、吉岡きゅ~~んっ、
うがぁ~~~~~!
アホ丸出しになってしまった、また。
愛とは自分を曝け出すことなのね。
はぁ~。 どんな呼び方をしても切ないわぁ~。
きゅいん。
こういうときはそうだ、コトー先生に治療してもらおう。
そういえばコトー先生は久しく見ていないずら。
03のコトー先生を観ようかな~、04にしようかなぁ、それとも
007?
ってそれはボンドだったわ。
でも五島くんっていってみればボンドくんよね。
あ、でもボンドはボンドでも大木ボンドじゃなくってよ、
コトー先生は見る者のハートをピタリンコ、
とその存在にくっつけてしまうスーパー接着ボンドくんなのだ。
なぁんてわんだほーなのかしら~ん、吉岡君ったらさすがだわぁ~。
ということで今日の格言はこれです、
「ボンドばんざ~い!」(←格言なのかよっ?)
ということで06のコトー先生なのでありますが、
このシリーズの五島くんはなんというか、
静まった夜の湖面に揺れている月の光みたいでありました。
いやもちろん時にはキュートにおちゃらけていたりとかしているのですが、
でも全体を通すとなんとなく、暗い湖面に落ちた澄んだ月の光、
という印象が残るとです。
夜風を、葉擦れの音を、影を射す雲を、夜鳥の叫びを、
そっと静かに受けとめ凪いでいる五島君。
という感じでありまするだぁ。
この印象はでも、改めて久しぶりにコトー先生の姿を見て
思った感想ではなくて、コトー先生の姿を思い浮かべて
脳裏に湧き上がってきた印象であり、そこがコトー先生の、
いや吉岡君のあっぱれ見事な力量なのだと思うわけで。
吉岡君は、演じた役を思い出させるときに、
その人物の揺るがない温度感を
まず心の感触として思い出させてくるわけで、
そこがなんともほんまに、
名優ずら。
その人物になりきるっていうより、
もうちょとなんというかこう、
演じる役の人物に、
己の全てを預けきってしまう、
という感じがするっす。
だから演じている吉岡君の姿からは、
彼本来の姿は浮かび上がってこないでありますだ。
でもコトー先生や、他の人物、例えば
満男くんや茶川先生から湧き出される様々な感情は、
演じている吉岡君本人がその心を掘り下げ、それこそ時には
そこに容赦なく斬り込んで掴み出してくる感情だから、
それならどの役も突き詰めて考えれば、
それは全て吉岡君自身の姿なのかもしれないじゃ~ん。
となるのかもしれないですばい。
でもそれならば、彼の演じる役の人物から感じとる様々な感情は、
どうしようもないくらいなインパクトで現実そのものなのであり、
どうしようもないくらいなインパクトで人間そのものであるから、
突き詰めて考えれば、彼の演じる人物たちは
即ち私達自身の姿でもあるのだ、
ともいえるかもしれないですだ。
吉岡君は例えば、「ありがとうございます。」
という台詞一つにしても、それを決して、
「ありがとうなんだからそうなのだぜよ。わかったか、うりゃ。」
といった感覚的なごり押しに逃げたりしないですたい。
一つ一つの台詞をきちんとその場の感情にし、
その感情に言葉を乗せ、そしてそれを砕き、
砕いて砕いて微粒子に拡散して、そしてそれを
見るものの心の中に散りばめていくことのできる人だと、
そう思うとです。
散りばめられたその微粒子の感情は、
少しずつ人々の心の中に積もっていき、
そしてやがて一つの確かな人物像をそこにしっかりと
形作って残していくのだと。
人生はさざ波のようですばい。
心の海から、喜びや悲しみが、
寄せては引き、引いては寄せるとですね。
その波に終わりはないけれども、
でもそれが生きているということであり、
それが人生の鼓動なのだと。
吉岡君の生み出す人物は、
そのさざ波を聞かせてくれるわけであり、
その音色にそっと寄りかからせてくれるわけで。
その波の姿は悲しかったり、
辛かったりする時もあるけれども、
でもその波の音一つ一つに耳を傾ける時、
心の中に広がってくる人生という海の景色は、
やはりとても美しいものなんだな、と。
吉岡君は、
そう気づかせてくれる人でありますです。