月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

飛んじゃう話

2008年11月07日 | 思うコト


どういうわけか、
私の友にはお酒の強い人が多いであります。

お酒が縁で友情が深まった人や、
人生の辛酸を肴に飲んでいたら
いつの間にか酒が強くなっていた
という人たちも中にはいるけれど、でも友の多くは、
「飲んでみたら酒が強かった。」
という、酒の大相撲部屋ナチュラル番付、
みたいな人たちばかりであり、
ちなみに幼馴染である親友の二人も
やはり酒が強い。

かくいう私もお酒は強いので、
従って日本に帰国している間は、
自然とお酒を飲む機会が増えるわけで。

学生の頃のメンバーと集まって飲むと、
決まって話題に上る話の種が、
今日書こうと思っている
「飛んじゃう話」であります。

「事実は小説より奇なり」
などという言葉をよく耳にいたしますが、
なるほどそれはよく言った言葉でありまして、
云われてみれば、実際に周りで起きている物事などを
よくよく観察、考察なぞしてみますと、確かに、
現実に起こっている話に比べてみれば、
所詮小説の話などというものはまったくもって、
やっぱり「奇」だと思う。 だって、

登山途中でめっけた河童の後をつけてみたら
いつのまにか河童王国へ入り込んじゃった。

とか、

朝起きたら自分の体がへんちくりんな
ムシムシ君になってたの。

とか、

手塩にかけて育てた娘が実は宇宙人だったんだけど、
そもそも竹から生まれてきた時点で変じゃないか、
気付けよっ、爺ちゃんっ!

とかですね、

こういった「ぶっとんだ話」の小説を挙げだしたら、
それはもう枚挙にいとまがないのでありまして、
でもまぁいってみれば小説とは、
その「ぶっとび度合い」もテーマの一つでありますだば、
それでいいのだ。
とバカボンのパパも鼻毛を伸ばして納得しているのだと思う。

現実の世界にはここまでの「ぶっとんじまう話」は
存在しないでございます。けれども、
「ぶっとんじゃう」とまではいかないけれど、
でもじゅうぶんに「飛んじまう話」、要するに、
「飛びます、飛びます、二郎さんチック」
な話というのは、別に要しなくても
結構巷に転がっているものでごぜいますだ。

ひっそりと、目立たずに、敢えて言えば、
動物園の敷地の一番奥に追いやられた
アルマジロのように暮らしてきた私の人生にさえ、
この「飛んじゃう話」というものは存在しているわけあり、
数少ないそれらのことを今思い返してみると、
「謎の転校生事件」とか、
「謎の発炎筒を消火せよ」とか、
「謎の吸血女危機一髪!」とか、
「謎のカーネルサンダースよどこへ行く?」とかって
書き切れないわ、
てんこ盛りずら。

しかしこうして過去に起こった出来事を
羅列してみて気付いたけど、
こういった出来事たちはどうしてみな
「謎シリーズ」になっているのかしら?

ハッ 

こ、これはもしやっ、もしやこりはっ
「私はミステリアスな女」
ということなのだろうか? とすると私は
ニッポンのミステリアスの鏡である
「萬田 久子のような女」であり、即ち
「私は久子ちゃん」だと? 
そうだったのか・・・知らなかった、
私はミステリアスな女・久子だったのだ、
アクエリアスならよく飲んでたけど
ミステリアスだったとは気分は既にアンニュイだわ、
しかしならばどうして友たちは私のことを
「無限大にわかり易い。」
って形容するのかしら? 

謎だわね。

ということで、(←なにが?)
前回の帰国の際に皆で寄って集まって飲んだ際にも、
この「飛んじゃう話」が持ち上がったわけで、
その手の話は集まるごとに新作の目白押しであり、
話題が切れることは決してないわけで、
ということはこの手の出来事は、
日々どこかで常に起こっている出来事なわけであって、
やはり「事実は小説より時にはプチ奇である(かもよ~)」
ということなのかもしれないですだの。

で、今日はこの「飛んじゃうシリーズ」の小噺集から
いくつかピックアップして書いてみたいと思うのですが、
まずは、「浜辺はサマーだ事件」。

これは、友その1が小学生六年生の時に行った臨海学校先で、
「お菓子持込禁止」という、花のプチギャルッ子達には
「鬼の規則じゃでぇ~」という状況下のもとに起こった
ある出来事であります。

夕食も終わり、その日の課題を済ませた後、
就寝時間までの自由時間に、
寝泊りしている畳敷きの大部屋に集まって
みんなでわいわい丸座になって話をしていると、

「あれ、○美ちゃんがいないよ?」

と、ふいに一人の子が発言。
皆で皆の顔を見回すと、そういえば
いつもはクラスの中で立っている存在の○美ちゃんの姿が
輪の中のどこにも見あたらない。

「ほんとだ、○美ちゃんどこいっちゃったんだろう?」

「トイレかもよ。」

「トイレはさっき部屋に入る前に行ってたよ。」

「どうしよう、○美ちゃんがいなくなっちゃったよ!」

「一人で家に帰っちゃったのかな?」

次々に放たれる言葉と共に、
不安分子はざわわ~~~っと一気に拡大急上昇。
先程誰かがしていた怪談話の名残にも再び火が点き、
「やっぱりトイレに行って・・・・きゃぁ~~!!!」
とその場はプチパニック状態に。
それを宥めるべく、さすがの学級委員だった子が、
「先生に言って来る!」
と部屋のドアに向かって踵を返したその先に、
○美ちゃんの丸まった背中が部屋の奥の片隅に、
ポツリ。

「○美ちゃんっ!?」

と一斉に皆が叫んだその言葉に
ビックリ仰天して振り向いた○美ちゃんは、

口一杯にキュウリを頬張っていた。

○美ちゃんは一体どこでそのキュウリを手に入れたのか?

という謎は未だに謎のままらしく。

という前菜話付きでありますだ。
で、本話なのですが、
こっちの話はその「キュウリビックリ事件」の
次の日に起こったことらしく、
海辺での自由遊泳時間でのこと。

海なし県で育った人ならわかっていただけると思うのですが、
山に囲まれた土地で生まれ育つ者の宿命として、
「海を見ると以上に興奮してしまう。」
という無条件反応がありまするだ。

これは、「海」という言葉を聞いただけでも、
血湧き肉踊ってしまって時には知恵熱まで出してしまう、
という悲しいサガであり、
実際に肉眼で海を目の前に見てしまったりすれば、
「うぉ~~~っ」と無闇に海に向かって走っていったり、
「青春のバカヤロー!」と水平線に向かって石を投げたり、
海中で逆立ちをして「犬神家の一族~~!」なんてしてみたり、
挙句の果てにその後40度の熱を出して、
「こんな時期には地元のもんでも泳がねぇ。」
と旅館のおやじさんに説教されてしまったりの4月の久米島、
となってしまったりですね、
「そんなバカはあんただけだ。」
と反論する人が大多数かもしれないですが、とにかく、
多少の差はあれ、海なし県人には誰でも皆、少なからずの、
「海への渇望習性」があるのは確かですたい。

だからこんな習性を持ったちびっこ達が
海辺に大集合となれば、そりゃ~もう
盆暮れ正月一気にきちゃった!
みたいな大騒ぎであり、まさに現場は
サマーふぇすてぃばる。
海もさぞかし満足したに違いない。

そんなてんやわんやの状態の中、
一人の男子生徒が浜辺で何か見たこともない
「石」のようなものを発見。
それはほぼ完璧なボール状の円を形作っており、
大きさは直径2㎝ほど。色は褪せたような茶色で、
よく見てみるとボール状になっていると思っていた
直線を結ぶ先に位置している二箇所が、
心なしか少し尖がっている。

「これなんだろう?」

と隣にいる友達に聞いても、それが何なのか、
その子もまるで見当がつかない。

「先生に聞いてみよう。」

担任の先生の所に行ってそれを見せてみると、
先生もそれが何なのか全くわからない。
なので今度はその担任の先生が
他のクラス担当の先生の所にいき、
「それ」を見せると、
理科専門であるはずの物知り先生も
それが何かまったくわからないという。

そうこうしている内に、その
「夏のなんだろうフェスティバル」は
次第に波状に広がっていき、
ついには校長先生を巻き込んでの大騒ぎ。
しかし校長先生もその「謎の物体X」が何であるのか
全くわからない。

「超小型隕石かもしれない。」

とついに校長先生は言った。

「こんなものは今まで一度も見たことがない。
これはもしかしたらすごい発見かもしれないぞ。」

という校長先生の言葉に、全生徒、教師たちは
鼻の穴をサブちゃんサイズにして色めき立ったらしい。
「校長先生がそう言うならそうに違いない。だって、
校長先生なんだから。」
と私の友もサブちゃん鼻でそう確信したらしく。

「標本にしてしかるべき所に提出しよう。」

と決定を下した校長先生は、しかし一応念のために、
近くの浜辺で何かの作業をしていた地元のおじいさんに
「超小型隕石に違いないもの」を見せた。

「これはなんでしょうか?」

と緊張の面持ちで質問した校長先生を筆頭に、
おじいさんににじり寄る教師たち&全学年生徒たち。

じっ、と「それ」を見つめるおじいさん。

固唾を呑む学校陣。

「これは・・・」

と、おじいさんは眉間の皺を更に深く刻みながら口を開き、

「梅干の種だで。」

の言葉に一同 

その瞬間、校長先生の姿が一気に縮んで見えて
友は何故だか無償に悲しくなってしまったという。。。


他にも、友その2の中学の時の同級生が、
18歳でめでたく車の免許を取り、晴れて念願であった
新車のスポーツカーを購入して、もう嬉しくて嬉しくて
う~れしくって嬉しさ余って車のエンジンを空吹かししすぎて

車を炎上させてしまった。

車が爆発しなかったのは不幸中の幸いだったけど、
しかし車は廃車されてしまい、
後には車のローンだけが残ったらしい。
五年間もの。

というまるで4こま漫画の実写版みたいな話しもあったりして、
やっぱり事実は小説と同じくらい奇なりかも。


でもこの手の話をすることって、やっぱり
「今だから話せるんだけど~」という、
「気持ちの仮釈放」が必須ですたいね。
もしもこの「目測を誤ってはならない時間の流れ」を
蔑ろにしてしまうと、それは色々な所にひび割れを
作ってしまうですば~い。
話の掟とは、重要な鉄則でごわすだす。んだんだ。

しかし物事には多面性があるものだから、
ちびっと目線を変えてみてみれば、それは
「時」というものは、
「事」ということを、
「緩和」させてくれる力を持っている、
「宝」なのだ、
ということであるのかもしれないですだば~。

頭を丸めて出家したくなってしまうようなことが起こっても、
たとえ茨に囲まれてしまっているような現在にいるとしても、
時はいつかきっとその棘の痛みを癒し、
やがてはその茨全体を「飛んじゃう」話へと
ゆっくりとではあるけれど変化させてくれるかもしれないですのぉ。

棘も、痛みも、傷口も、
いつかは必ず、どこか心の落ち着く場所へと行き着くんだね、
ということなのかもしれず、
焦らずに生きていくということは、
時という宝の恩寵を授かって生きていく、
ということなのかもしれないですだば。。。


どんなに急いで遠くへ行ったって、
見上げる空はみな同じだよ。


そんなことなのかもしれないっすね。

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2 コメント

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Unknown (ぴんまろ)
2008-11-11 16:37:41
こんにちは!
ドラマティックな話ですね~。
こういう話、飲みながらだと盛り上がりますが、当時のご本人は「穴があったら入りたい」ですよね。
「今だからは話せる」、時間って素敵ですね。
返信する
こんにちは♪ (風子)
2008-11-12 03:08:36
ぴんまろさん、こんにちは~!

ねぇ~、ほんとにそうですよね。
その時その場のその人にとっては、一大事な出来事ですよね。んだんだ。 
きっと、穴があったらそのままブラジルまで突き抜けてしまいたい感覚かも。。。

「何で私だけぇっ?!」って思う事が
起こったりするでぃすが、でも
物事に振り舞わされるばかりではなく、
その物事とひっくるめた時と一緒に
「踊ってしまえ~!」って、
楽しんでしまえる余裕が持てたらいいな~って、
そう思ったりするです。

時間と仲良く暮らせたらいいですよね。
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