吉岡君は、その存在自体が奇跡なのかもしれない。んふっ。
と思いきや、そんなミラクルパンチの役者さんは、
実はもう一人、この世に存在しているらしい。
所は西洋、その名を、James McAvoy。んふっ、その2。
東の横綱、吉岡ヒデタカ。
西の大関、ジェームズ・マカヴォイ。なんて言いにくい苗字なのだ。
バカヴォン、なんてうっかり言ってしまいそうじゃないか。
この際、マカビーと呼ばせてもらおう。マカビーよ、
ツボでごぜいやすっ、うきゃ~~んっ! ぽわっ
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ということで、彼の姿を初めて見たのは、かれこれ5年くらい前、
こちらで放送されたテレビドラマでのこと。またきっと、
きょぇぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ、
とか叫んだんだろう、オバカだねぇ~。と、お察しの方、
そんなオバカではなかったのでありましたの、おほほ、
けぇぃぇぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ、
でありましたの。オバカにもほどがある。しかし私はただ単に、
始め人間ギャートルズのオープニングの如く、
地球から吹きだしが飛び出しちゃうほどの叫びを上げただけでは
なかったのでぃした。では他に何をしたというのか? それはズバリ、
忘れてしまったのであります。 彼の存在自体を。アディオス、アミーゴ。
見上げたあほっぷりだわ、我ながら感動してしまう。
ところが、映画「ナルニア国物語」を鑑賞した際、スクリーンに映し出された
半人半鹿くん、なのだろうか、実のところ君は一体なんなのだ、
ウナギ犬の親戚なのでしか??いや、そんなことはどうでもいいのでした、
とにかくスクリーンにおでまりもうした彼の姿に、
「おわ?」「はて?」「えぇっ?」「うっそぉ~ん?」「けぇぃぇぇ~~~っ」
あ、これは省略形でありまして、
「おわ? 誰なのだ、このトレビアンなアミーゴは?
はて?どこかで見たことあるぞなもし?
えぇっ? もしかしてぇん・・・
うっそぉ~ん? そうだ、そうじゃよ、
けぇぃぇぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」
全文にするとこんな感じで、マカビー再びカンバックサーモン。
涙と感動の再見、にぃはお、感無量でありました。
私は、えげれす英語のアクセントで話す殿方にも滅法弱いであります。
おげれつ英語ではありまっしぇん。
マカビーは普段、なんと強烈なスコットランド訛で話すでごわすで、
おぉ~~~~~モォ~~~レツゥ! 聞き取りにくいったらありゃしな~い!
しかしいいのだ、マカビーくん。だってなにはともあれあなたは
スコティッシュ。最強じゃで。
こりは例えて言うならば、稲葉一矢に博多弁を話させて、更に
その背中に西郷さんの銅像を背負わせちゃって、ごっつええかんじ。
ってなわけわからんくらいの濃縮っぷりであります。
たまらんじぇぇ、もう好き好き大好きぃ一矢く~~~~~んっ!
ではなくて、今日はマカビーのことを書くのだった、巻き戻し。
このマカビーくん、文句なしに、素晴らしいであります。
オスカー像の頭に「ブラボー」と書いた熨斗をつけて
毎年お中元お歳暮に送りたいくらい、
そりゃ~ワンダホーな役者さんであります。
そんでもって、「降参だよ、マカっちゃん。」と、溜息と共に呟き
お茶を啜りしながら思わず遠目になってしまうほど、
びゅーてほーこれ限りなし。
チャ~ミング♪ という音符付きの言葉が、これほどまでにぴたりんこ、
と当てはまる人も珍しいと思うであります。たまらんねぇ~。
しか~し、彼の魅力は、外見だけを掘り込んでHOLLYWOODサインへと
行き止まってしまうほど、底の浅いものじゃ~ございやせん。
ハンサムくん、ということが全てを覆い被せて
追加点を貰っちゃうような人ではござらんでごぜいまして、
あくまでその演技で引き込む実力のお人でありもうす。
特筆すべきは、まずそのお目め。
とてつもない深みがあるであります。
そりから、そのお声。
薫り漂う美声で様々な旋律を奏でるであります。
百万馬力の眼力と声色の持ち主。どすこいだわ、いかすわね。
そりからついでに、真っ白。
おいおい白人なんだから、白いにきまってるじゃねぇ~か。
と、思う方もいるかと思いますが、白人の人達の中にも、
ホワイト、ホワイター、ホワイテスト、まるで漂白剤のCMみたいな
色白加減があるであります。
マカビーはまさしく、ホワイトみたいな石鹸花王石鹸ホワイト。
(↑とにかく気合の入った白さということらしい)
これは一歩間違えると、「もしや血液色素までホワイティ?」
と思わず聞きたくなってしまうくらいの白さなのですが、
しかしいいのですだわそんなこと。
だってあなたは陶器のような美しさ、んふふ。
と、ここまで書いていて、新事実発見。
深みのある瞳。薫り漂う美声。ホワイティー。
こりは・・・・・吉岡君の魅力と似通っている、いや同じだわ、
ダブルミラクルパンチでデート。あぁもうまた壊れてきちゃったわっ、
どうしぇばええのだ、すっきやでぇ~い!!!
吉岡君とマカビー。
似ているから好きなのだろうか? 好きだから似ているのだろうか?
どっちなのだろう?
映画やドラマを観ることの醍醐味の一つは、登場人物と同じ感情を
共有し共鳴することから広がっていく人生感であると思うわけでぃすが、
しかし人物の感情ではなく、演じている役者さんから漏れ伝わってくる
我執を感じてしまうことも、やはり多いでがんす。
吉岡君からも、マカビーからも、そういった外枠からのしがらみという
胡散臭さが、1㍉たりとも感じられてこないとです。
寛仁大度に存在している感受性の持ち主たち、という感じがするし、
「演じる」ということに対する意気込みのベクトルが、二人とも
同じ方向に向いている印象がするとです。
それはあくまでも「無我」に向いており、決して「自我」には
向いていないと思うわけで。わんだほ~。
そして彼らの生み出す人物達は、いやんなっちゃうほど生身の人間であり、
だからこそ引きずり込まれていく感情の渦巻きなのだと思うわけで。
人間の持つ感情は、それが瞬間に生み出されるものだとしても、
たった一つだけの感情だけで存在しているものではないのかもしりない、
と思うであります。
怒りや、喜び、悲しみには、そこにまた様々な付箋感情が
渦巻いているわけであり、それは決して、「見よっ、これじゃでよっ!」
とは容易に納まらないわけで、そもそも感情とは見せつけるものでは
ないわけであり。
吉岡君も、マカビーも、その幾重にも絡まった感情の「混乱」「揺らぎ」を、
痛いほど当たり前のように、容赦なく押し出し伝えてくるわけで。
その姿は、時にはとっても無様であり、惨めなわけで。
しかし人間だから、そうなってしまうのは当たり前なわけで、
と気づかせてくれるお二方なので、ブラボ~なわけであり、惚れるのであります。
この、当たり前のことじゃ~ん、という状況に自分の気持ちを開け広げ、
尚且つ押し出してくるのは、至難の業なのではないだろうか、と思うであります。
自分の抱える様々な感情を丸裸にし、
そこに対峙していける骨太な心の逞しさがないと、
感情の奥底へなんて、怖くて潜っていくことができない、と思うでありますばい。
吉岡君もマカビーも、シリアスなものからコメディーなものまで、
当たり前のように幅広く奥深く演じられるお方たちでありまするだ。
それはすなわち、人に対する洞察力の深さ、そして彼らの人間性の
幅の広さに繋がるものじゃなかでしょうか、と思うでありまする。
行き着くところは、人なのだ。
ということなのかもしりないですねぃ。
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