「続・三丁目の夕日」の完成披露試写会が昨日行われたようで、
今日はその模様での最新吉岡君がワイドショーで見られるらしいのですが
しかし私は見れないらしいので悲しいらしい。泣けてくる・・・。
でも、作品も吉岡くんも、とてもとても評判がいいみたいですね。
ふふふ~♪
やっと役者・吉岡君が見れるっ!
いや私は見れないのだけれど、でも日本中の方たちが
名役者・吉岡君を見るのだっ、おぉっ、これはまったく、
ふふふふふ~♪
しかし長い日々じゃった・・・。
追いわき山で三味線を弾き鳴らしながら「帰ってこ~いよ~」と
何度唄おうと思ったことか・・・・・いやそれは事実ではないですが、
でもこの時をず~っと待ち焦がれていたのだよ~、吉岡く~ん。
満男くんっ子のあたしとしちゃ~、やっぱりチミのお姿は
銀幕で観るのがいちばん好きじゃよ~。
観たいぞぉっ、銀幕の君っ!
そうなのだ。(え?)
吉岡君は、銀幕に映える。
とっても映える。
なんといっても映える。
役者・吉岡の醍醐味ここにあり、という感触が
銀幕からズバンと180Km/hで伝わってくるようでありますけん、
魔球じゃの、星君、いや、伴君、いや、花形君、しつこいわねっ、吉岡君じゃっ。
(↑久々の一人ツッコミであります。)
役者・吉岡君の醍醐味。
そりは、やはり、
感情を直にズバッと心に受け取れられるということ。
ではなかでしょうか。
ブラウン管からも、それはもちろんグングン伝わってくるけど、
けれど銀幕からはその感情周波数が、スーパーワイドな振幅で、
ど~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん
と劇場全体を圧し包むような迫力で伝わってくるので、
たまりませんじゃよ、自発3Dみたいですだば、吉岡くんったら底なしブラボ~。
帰国時と公開時が運良く重なって劇場で吉岡くんの出演作を
観れたのは、三丁目の夕日と、四日間の奇蹟。
人生で(最近)このふたつ。
三丁目の感想は以前に書いてしまったので
ここでは割愛いたしまするが、
四日間の奇蹟については、運良く帰国時に劇場で鑑賞した時、
「千織ちゃんに演技をさせてピアノを弾かせているあなたは
詐欺師じゃないんですかっ、え、どうなのまったくかっこいいじゃないの
あなたってばクラ~っなのよっ、早く月光弾いてちょうだいっ!」
いや、後半の台詞は全てフィクションでありますが、
前半のきっつ~い言葉で看護婦さんに詰問されてしまう場面の
吉岡くんの演技ときたら・・・・・・・・・・
全身鳥肌もんでござんした。
スクリーンを通して、如月氏の心の奥に潜む嫉妬、悲哀、憂き身、
それら全てが混沌とした複雑な感情が、
彼のその無言に佇む姿からスクリーンを飛び越して、
びびびわ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~んっ
と体全体を巻き込むように伝わってきて、
それは怖いくらいだったとです。
吉岡くんは、台詞と表情がきちんとワンパックになっているですだ。
台詞だけ、とか、表情だけ、のどちらか一方だけが
画面上に先走ってないでありまする。
ちゃんと言葉と気持ちが一体化しているというか、
気持ちの奥深くからぐぃ~っとくみ上げられてきている感情が
その表情、言葉になって現れている、という感じでありますばい。
そして台詞がないときでも、そこに「無言の言葉」があるわけで。
表情、というか、体全体から彼の気持ちが無言の言葉の粒子となって
拡散され語られている、という感じですばい。
んもうっ、さすがじゃ吉岡くんったら、男は黙って心で語るぜ、惚れるでよ。
一つの感情では語らない。
静にして動。
阿修羅像みたいじゃ、吉岡くん。
君の存在こそ奇蹟なのだ。たまらんぜなもし。
いやいやしかしですね、もちろんブラウン管の吉岡君だって、
そりゃ~もう~~~~~
「あぁもうっ吉岡ばんざ~いっ!」
とお手上げになってしまうほどの素晴らしさでありますだ。
なんてたって「お茶の間の勝手にご近所さん」浸透率は横綱級。
そんな神業級の存在感をもっているのは、私は吉岡くんと
サザエさんしか知らない。
演じる役を通して、まったく別個の「ご近所さん」な人たちを
作り上げて浸透させてしまう吉岡くんはやはり只者でねぇですだ。
何者なのだ、吉岡くんよ。
なので、
銀幕の吉岡くんと、ブラウン管の吉岡君、どっちが好き?
というのは、結局は、これはもう、なんというか、
リンリンとランランはどっちが可愛い?
という質問に答えるのと同じくらいの難易度でありますね。
詰まるところ、やはりやっぱり吉岡くんは名優だぁっ、
惚れちゃったんだよぉ~ん、ということでありまするだぁ。
ふふ。
銀幕からにしろ、ブラウン管からにしろ、吉岡くんの演技からは、
役者欲というメッキコーティングみたいなものが
まったく見受けられないですばい。
しかし欲を消し去るってとっても難儀なことだと思うわけで。
しかしそうする影の努力の匂いまで消し去る消しゴム忍法ごときなものまで
使いこなしてしまう吉岡くんはやはり只者でねぇ。ほんとに何者なのだぁ~
吉岡く~ん? サスケですか?
彼の生み出す人物たちは、
役者の力量を見せるために生み出された看板人形ではなく、
その役の人物の気持ちに自分自身全てを委ねている、
という感じというか、
吉岡秀隆という浄化フィルターで濾過して生み出してくる
混じりっけなしのありのままの「そこにいる人物たち」、
という感じがするですだ。
色んな重みを抱えて生活しているのが人間であり、
そしてその重みを躊躇なく曝け出してくる吉岡くんだからこそ、
「そこに人が生きている」となるわけだと思うわけで。
吉岡君の生み出す人物達は、ブラウン管や銀幕の中だけに生きている
お人形さんでは決してなく、人々の心の中に、人々と同じレベルで
確かに「生きている」人物としての人生という重みを、
永遠に近い高さで創り出しているのだと思うでありますだ。
それが吉岡くんという役者さんの「名優」たる所以であると思うわけであり、
それが吉岡くんという役者さんに「すっきゃでぇっ~♡」となる所以の一つと
なるわけで。
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