月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

吉岡刑事物語 その10

2008年11月21日 | もしものコーナー 吉岡刑事物語



頂上に辿り着いた時、
不思議と何の感慨も湧かなかった。

この地球上で、
人間がその足で立つことのできる最頂点、
エベレストの頂き。

かつては聖域と呼ばれていた場所だ。

吉岡は、酸素不足で弱ってしまった体を
ピッケルでかろうじて支えながら、
ぼんやりとした思いでそこに立っていた。
かたわらには、ここに来ることを許された者達が
記念に残していった様々の色の国旗や祈祷旗、
そして空の酸素ボンベたちが、
雪の中に突き刺さっている。

よほど疲れきっていたのかもしれない。
吉岡は倒れこむようにして、
その場に座りこんだ。

何か、思うことが、あるのではないか?

霧のように霞んでしまった思考を、
吉岡は必死に手繰り寄せようとしたが、
しかしいくら懸命に考えようとしても、
頭の中にはただ空洞が、ぽっかりと
そこに深い穴を開けているだけだった。
頂上に登りつめた達成感や、満足感も、
何も心には浮かんでこない。
いや、もう、物を考えること自体、
どうでもよくなってしまっているようだった。

疲れているんだ、すごく。

そうぼんやりと心の中で呟きながら四方を見回した。
雪面の所々から砕けた岩が突き出ている。
眼下は厚い雲層に覆われていて何も見えない。
風はほどんど感じなかった。
顔を上げると、怖いくらいに澄み切った藍色の空が、
見渡す限りの視界一面に広がっていた。

そこは下界から完全に隔絶された世界だった。
静寂と、
孤独だけに支配されている、
真空の世界。

他には何もない。
何もなかった。
いや、

何かある。

何かがそこに・・・・
目の前に・・・
何かが・・・・、
何だろうこれは・・・?


マ: 吉岡く~ん・・・。

吉: あ、

マ: あ、って言ったのかい、今?

吉: いや・・・

マ: もしかしたら僕のことをまた忘れてたんじゃないだろうね?

吉: え?

マ: そんなことはないだろう? 

吉: ・・・。

マ: ないだろう?

吉: ・・・いや・・

マ: ないよねっ?!

吉: ・・・・あの・・

マ: ハッ! 
8848m上まできて君を疑ってしまった。。。
ごめん、君を疑ってしまうなんて・・どうして僕はいつもこうなんだ・・・。
自分で自分が嫌になるよ。いっそのこと僕なんてここでっ・・・

吉: あっ、ナイフを取り出してどうするんだ、マチャトンくんっ?!

マ: 髭を剃らないと。写真撮影の前に。ツーショットだしね♪

吉: ・・・。

マ: よし、これで身だしなみオッケーだ。それじゃ、吉岡君、
登頂記念写真を撮ろうか?

吉: ・・そうだね。

吉岡は疲労で重くなった体をやっと持ち上げて立ち上がり、
防寒ヤッケのポケットからインスタントカメラを取り出した。
共にレンズに収まるように距離を図って右腕を伸ばし、
二人の正面にカメラを構える。

吉: そうだ、せっかくだから肩を組もうか?

マ: え?

吉岡は左腕をマチャトンの肩の上に回した。

吉: いい? ハイ、チー・・

マ: クェ、

吉: ん?

マ: いや、何でもない。

吉: ハイ、チー・・

マ: クェッ、

吉: ?

マ: いや、大丈夫だ。

吉: あ、この角度じゃフレームに入りきらないかもしれないよね。
もっと君に寄って肩を組むね。ハイ、チー・・

マ: クェ~~~ッ

吉: ?!

マ: クェッ クゥェ~ チョコボ~~ル~ チョコボ~ル♪

吉: ?!?!

マ: あ、いや・・・。ツルだった頃の癖がつい・・・。
軽い高度障害のせいだよ、気にしないでくれ。しかし寸でのところで
エベレストの頂上から舞い上がってしまうところだった、はははは。
本当に僕という奴はいつもこうなんだ。咄嗟の時に緊張してしまって
失敗をしてしまうことが多いんだ、まいっちゃうよ。ところで、
森永チョコボールのおもちゃの缶詰ってもらったことある?
金と銀のエンゼルマークなんて僕はお目にかかったこともないよ。
僕の周りの友達も当たった奴なんていなかったしさ。あれはねきっと、
チョコボール都市伝説だったんだと僕は推理しているんだ。あれ、吉岡君、
何してるの?

吉: あ、ごめん。捜査のことを思い出して。。。

マ: そうだった・・。ここには任務で来たんだったよな。。。

吉: 今そこで見つけたんだけど、これがゴリさんが
僕たちに頂上で探せと言っていたアルミ缶だと思うんだ。
この酸素ボンベの横に埋まってたから掘り出してみた。

マ: 中に何かの極秘情報のメモが入っているんだったよな? 
どうする、開けてみるか?

吉: そうだね、開けてみたほうがいいと思う。
「開けてみろ」って書いた紙が蓋の上に貼ってあるし。 
いい、開けるよ?

マ: ああ。うわぁあああっ、伏せろっ、吉岡君っ!!

吉: まだ開けてないよ。

マ: は? ・・すまん、驚かせて。実は僕は
「蓋開けてビックリしちゃうかも浦島太郎症候群」なんだ。
やたらと長い病名なんだが、治療法はないらしい。

吉: 大丈夫? 僕一人で向こう側に行って開けてようか?

マ: いや、大丈夫だ。君がいてくれるならね。言っちゃったぁ!

吉: え、なに?

マ: 聞いてなかったのっ?! どうして君は時々僕に対して
耳なし芳一になっちゃうんだ? 吉岡くん、聞いてる?

吉: え、何が?

マ: もういいよーっ! 一旦捜査に入ると君はいつもこうなんだ・・・。
捜査のことしか頭にないんだよ・・。いいよ、どうせ僕のことなんて・・
だって吉岡君は・・・ 

カパ。

マ: あ、蓋開けちゃったの?

吉: うん。あ、

マ: ・・・これはっ?!

吉: ・・・・・。

マ: ・・・・・吉岡君、このメモは・・・?

吉: 「家に帰るまでが遠足だ。」って書いてある・・・

マ: ・・・・何かの暗号だろうか? そう思いたいんだけど。

吉: いやただの伝言だと思う。。。

その瞬間、ドサッとマチャトンは地面に座り込んでしまった。

マ: もうだめだ・・・吉岡君、僕は力尽きてしまった・・。

その言葉が、吉岡の疲労しきった脳に光を射した。
思考の曇りが鮮やかに晴れていく。
そしてその速度に合わせるかのように、
マチャトンの肩越しに見えている日本の国旗に
吉岡の視線の焦点が合っていく。
それは、ひらひらと風に力なく揺れていた。

風が出てきたんだ。

吉岡は素早く下方に目を転ずると、
厚く煙った雲が渦巻きながら急速に上昇してくる様子が
目に入った。

山が荒れる前触れだ。

吉: 今すぐ下山しよう。嵐がくる。

しかしマチャトンは座り込んだまま動こうとしない。

吉: 降りよう、マチャトンくん。
 
マ: 駄目だ。もう歩けない。僕はあとからいくよ。
君は先に行ってくれ。

そう言うとマチャトンは、
だらりと深くうな垂れてしまった。
そうしてしまうマチャトンの気持ちは、
吉岡にはよくわかった。
自分自身だって限界に近いくらい疲労している。

高度が上がれば上がるほど、それにつれて、
空気は薄くなっていく。
薄まった酸素の中で行動するのは、
非情に困難なことだ。
たった15メートルの距離を登るのさえ、
時と場合によっては、2時間3時間も
かかってしまうことさえある。
一歩踏み出しては休み、
一歩踏み出しては休みして、
やがて休む時間の間隔が、足を運ぶ間隔より
どんどん長くなっていくからだ。

そして何も辛いのは体力的なことだけではない。
薄い酸素は、その脳細胞を、精神力を、
じわじわと蝕んでいく。
思考力が極端に衰えてしまうのだ。
だから通常では考えられないような
簡単なミスを起こして、それが原因となり、
いくつもの命が山では消えていってしまう。

ましてやここは、
世界最高峰のエベレストの頂上。
酸素の濃度は地表の三分の一。

しかも二人はアタックキャンプからここまでくるのに、
述べ8時間も休みなしで登り続けてきていた。
だからマチャトンがもう一歩も動けないという状態は、
いわば普通の人間が起こす、正常な高度障害といっても
過言ではない。
しかし、
今ここで彼を一人置いて自分だけ先に下りて行ったら、
間違いなくマチャトンは、もう下界には戻ってこられない。

吉岡は右手をマチャトンの目の前に差し出した。

吉: 行こう。

マチャトンは茫洋とした表情で力なくその手を眺めている。

吉: 二人で一緒に登ってきたんだから、
二人で一緒に降りるんだ。わかるよね?

吉岡は力なく座り込んでしまっているマチャトンの腕を掴み、
一気に地面から引き起こした。
そして万が一マチャトンが滑落した時にそれを食い止められるよう、
ザイルを素早くしっかりと互いの体に確保する。

吉: 帰ろう。

吉岡はマチャトンに笑顔で言った。


夕暮れの残り日が、
マッチの火をそっと吹き消したかように
山裾の向こう側へと消えていき、
そして夜が辺りを支配した。

キン、と凍てついた月が、
青白い光を放ちながら、
雪面を静かに見下ろしている。

吉岡はマチャトンの体を支えながら、
一歩一歩、慎重に下降していった。
疲労はピークに達していたが、
もし自分がここで倒れてしまえば、
おそらく二人ともそれで終わりだろう。
もう二度と立ち上がることは出来ずに、
ここで疲労凍死してしまう。

歩くんだ。

消え入りそうな気力を呼び起こして、
また一歩、吉岡は足を前に出す。

どれくらい歩いたのか、いつのまにか月は姿を消し、
代わりに厚い雲が夜空全体を覆い尽くしていた。
強風が雪煙を巻き上げ、
二人を斜面から振るい落とそうと直撃してくる。
寒さが、防寒具を着ている体の芯の奥まで
切り込んできた。

僕がしっかりしなければ。

吉岡は、一瞬でも気を抜くとうずくまりそうになる
自分の体を叱咤し、マチャトンを抱えながら、
全力を振り絞って前へと進み続けた。

マ: 吉岡君・・・・どうして・・・僕たちは・・・・
こんなことを・・しているんだろう・・?
一体・・何のために・・・

荒れ狂う吹雪が、マチャトンの言葉をも吹き飛ばしていく。
吉岡は崩れ落ちそうになるマチャトンを脇に抱えなおした。

吉: どうしてかは、わからない・・。でも、
行けと・・いわれて、それに・・応えたのは・・
僕ら自身なんだ・・。それに応えなくちゃと、
そう自分たちで決めたから・・だから、登ったんだ・・
だから・・登れたんだよ。

マ: 僕には・・無意味なことに・・思えるよ。
こんなことは、全て・・・全て・・・無意味だ・・。

そこでマチャトンは再び地面にへたりと座り込んでしまった。
凍りついた強風と荒れ狂う雪が、立ち止まった二人の体温を
瞬時にして奪い去っていく。

吉: 頑張るんだ。

吉岡はマチャトンを雪面から引き起こす。

吉: 帰るんだ・・帰れる場所に・・帰るんだよ。それは・・
決して無意味なことなんかじゃないよ・・

横殴りの風が、顔面を打ちのめすように当たってくる。
吉岡はよろめくマチャトンを抱え、引き上げ、励まし、
そしてひたすら歩いた。
そうすることだけが今は彼の全てだった。
そうすることで弱ってしまった自分自身をも支えていた。

あともう少しだ。
あと、ほんの、もう少し。

何度もそう自分に言い聞かせる。

雪原の中央に見えている岩場の横まで行けば、
そこでキャンプが張れるはずだ。
そこまで行けば、
とりあえず横になることができる。

あそこまで行けば、
あと100㍍さえ歩けば、
二人とも助かるんだ。

暴風が行く手を阻み、視界がきかなくなっていた。
砕け散った硝子の破片のような吹雪は、
顔に、体に、そして意志に、叩きのめすかのように吹き当たってくる。
巨大な迷路を永遠に彷徨っているような感覚だ。
吉岡は、自分たちがきちんと前へ進んでいるのか、
そんな感覚すらも今では全くわからなくなっていた。

崩れてしまえば楽だ。

ここで歩みを止めてしまえれば、
今抱えている苦しみはそこで終わる。
それはどんなにか楽なことだろう・・。
苦しみの替わりに、底のない無限の深淵へと、
命を落としていくだけだ。
後は無になるだけ。
それだけだ。
その思いは抗しがたい誘惑となって、
衰えきった吉岡の意志を支配し始める。

グラッ、
と傍らでマチャトンの足が大きくもつれるのを感じた。
猛吹雪の中で、体勢を立て直しながら、
懸命に立ち上がろうとしている彼の姿が目に入る。

そうだ、

歩くんだ。

歩かなくちゃ。


僅かに残された意志を奮い起こしてマチャトンを抱え直し、
吉岡は猛吹雪の中を推し進んでいった。


どのくらいの時間がかかったのだろう、
やっとの思いで目的地の岩場に辿り着いた時には、
辺りはすっかり闇に包まれていた。
吹雪が猛烈な唸りをあげている。
その時点で吉岡の疲労は既に極限状態まできており、
思考力は完全にストップしていた。

機械仕掛けの人形のように体を動かして
岩場の横に簡易テントを張り、
寝袋の中にマチャトンを寝かせ、
コッヘルに雪を溶かして水を作り、
頭痛を訴えるマチャトンにアスピリンを飲ませた後、
残った水を飲み干し、そして崩れるようにして
自分も寝袋の中に潜り込んだ。

ただ眠りたかった。
ただただ眠っていたかった。
そして、
すぐに深い眠りの淵に落ちていった。


正確にはその時、果たして自分が
眠っていたのかどうか吉岡にはわからなかった。
体だけが深い眠りに落ちていて、
しかし意識は浅い眠りと覚醒のはざまを、
行ったり来たりと漂っていたのかもしれない。

遠い意識のどこかで、
闇の底から湧き上がってくるような
地響きを聞いたのはそんな時だ。

雪崩だ!

と、気付いた時には、
全ては暗闇の中にのみ込まれていた。



つづく。
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2 コメント

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ゴリさんは・・・?? (まーしゃ)
2008-12-22 02:06:15
今回はゴリさんが出てこなかったからなのか、
終始まじめなお話でしたねぇ!

ケガが治ったとはいえ、傷口が痛んだりは
しないのかなぁ?と気になっちゃいました。
ここでの任務は、忍耐力をつける事だったんでしょうか?

やっと目的の場所まで歩いて休んでいたら
今度は雪崩ですか・・・・・。
どうなっちゃうのぉ

風子さん、文章上手すぎ!
絶対本出した方がいいですよ。
風子さんの本がドラマ化、ないしは映画化されて
主演はもちろん吉岡くん♪
そしたら、風子さんは原作者として堂々と
吉岡くんに会えるわけですよ。
もしかしたら、雑誌の企画で対談なんて事もあるかも
返信する
有給休暇中。 (風子)
2008-12-22 16:34:48
そうなんですよ~。
ゴリさんがいないと真面目なトーンになりますよね。

今回の任務も一体何が目的だったのか・・・。
苦労の絶えないヨシマチャコンビですだ。
傷口の痛みは多分、あまりの疲労と寒さによって
感覚麻痺になっていたのかもしりません。。。


このコーナーが生まれたのも、
まーしゃさんと交わした話のおかげです
いつも読んでくださってありがとうございます。
その上身に余るお言葉まで頂けて、
風子もう大カンゲキーっ!!
ありがとうございます、まーしゃさん。
とても嬉しいです。


吉岡君とお話してみたいですよねー。
もしも面と向かい合えちゃったりなんかしたら、
感動の渦に巻かれたままハニワと化してそのまま
後方へ倒れてしまうかもしれません。
吉岡くんが目の前に・・・・・・・・。
 ←想像したらこうなってしまいました。
会ってみたいですよね~・・・。
その時はまーしゃさんもご一緒に!
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