寒波が訪れて急に寒くなったので、季節はもう秋という感じではなく冬となってしまった。
だがそんな秋は物思いにふけるにはいい季節で、先人もそんな感覚があったのだろうなと思う。
良選法師の句だ。
◆さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いずこも同じ 秋の夕暮れ
ここで言う宿とは恐らくは、旅館の類ではなく自らの住む庵(いおり)なのだろう。
だから、無性に寂しくなって家を飛び出してはみたものの、どこに行っても寂しい秋の夕暮れでしかなかったのだろうな。
それは自分の気持ちも、見える情景も同様に寂しかったということなんだと感ずる。
孤独は人を強くはするが、ときにはそれに負けてしまうような感覚にもなるのかも。
この「ながむれば」という言葉にも惹かれる。
ただ見るだけではなく、なんとなくぼんやりと見ているのだろう。
法師ほどであっても、やはり自身の寂しさは感ずるものであり、葉が落ちた木や枯れた草を見て改めて空虚感が迫ったのだろうな。
だからおいらが、同じように寂しさを感じても、なにも卑下することなく堂々とそんな感傷に浸ればいいのかも。
そこから生まれる感性や発想やひらめきもあるかもしれないな。
留意することは一つだ。
寂しさに負けないこと、それだけだな。
同化したり越えたりすれば、そこから何かが生まれるかもしれないから。
だがそんな秋は物思いにふけるにはいい季節で、先人もそんな感覚があったのだろうなと思う。
良選法師の句だ。
◆さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いずこも同じ 秋の夕暮れ
ここで言う宿とは恐らくは、旅館の類ではなく自らの住む庵(いおり)なのだろう。
だから、無性に寂しくなって家を飛び出してはみたものの、どこに行っても寂しい秋の夕暮れでしかなかったのだろうな。
それは自分の気持ちも、見える情景も同様に寂しかったということなんだと感ずる。
孤独は人を強くはするが、ときにはそれに負けてしまうような感覚にもなるのかも。
この「ながむれば」という言葉にも惹かれる。
ただ見るだけではなく、なんとなくぼんやりと見ているのだろう。
法師ほどであっても、やはり自身の寂しさは感ずるものであり、葉が落ちた木や枯れた草を見て改めて空虚感が迫ったのだろうな。
だからおいらが、同じように寂しさを感じても、なにも卑下することなく堂々とそんな感傷に浸ればいいのかも。
そこから生まれる感性や発想やひらめきもあるかもしれないな。
留意することは一つだ。
寂しさに負けないこと、それだけだな。
同化したり越えたりすれば、そこから何かが生まれるかもしれないから。