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神様の思し召し(おぼしめし)?

2023-04-04 06:47:12 | 日記

神を信ずることはいい。

だが、神を妄信することは考えものなのかもしれない。

古代ギリシャの自然哲学では、万物の根源(アルケー)は、神だと考えられていた。

嵐が来ても、海が荒れているのは海の神様が怒っているからだ、という感じだ。

時代がもう少し下ると、自然哲学者が、何でも神様のせいにするのは、ちょっと違うんじゃないの、との主張を始めた。

それは、現代の考え方に近しいもののようにも感ずる。

 

◆自然界の仕組みをある程度理解してから理想的な生き方がわかる

 自動車の運転は、ある程度その構造を学び、運転技術を学んでから、運転するはずだ。

 それと同じように、ヒトは自然界の仕組みをある程度理解してから、人間の作ったルールに従って生きていくのがいい。

 言い換えれば、哲学を学んでから実践的に生きていく、というわけだ。

 自然界には、(神様とは違う)何らかの決まりがあって、運営というか具現化されているのだろう。

 それを、原理・原則によって合理的に説明できれば、それは神話からの卒業だ。

 そんな行動が、哲学なのかもしれない。

 

 →よくわかりませんが、神話を学んだうえで、それとは違う考え方(それが哲学?)で生きなさい、ということなのかな?