神を信ずることはいい。
だが、神を妄信することは考えものなのかもしれない。
古代ギリシャの自然哲学では、万物の根源(アルケー)は、神だと考えられていた。
嵐が来ても、海が荒れているのは海の神様が怒っているからだ、という感じだ。
時代がもう少し下ると、自然哲学者が、何でも神様のせいにするのは、ちょっと違うんじゃないの、との主張を始めた。
それは、現代の考え方に近しいもののようにも感ずる。
◆自然界の仕組みをある程度理解してから理想的な生き方がわかる
自動車の運転は、ある程度その構造を学び、運転技術を学んでから、運転するはずだ。
それと同じように、ヒトは自然界の仕組みをある程度理解してから、人間の作ったルールに従って生きていくのがいい。
言い換えれば、哲学を学んでから実践的に生きていく、というわけだ。
自然界には、(神様とは違う)何らかの決まりがあって、運営というか具現化されているのだろう。
それを、原理・原則によって合理的に説明できれば、それは神話からの卒業だ。
そんな行動が、哲学なのかもしれない。
→よくわかりませんが、神話を学んだうえで、それとは違う考え方(それが哲学?)で生きなさい、ということなのかな?