最近、週刊文春や週刊新潮の報道で、世の中が湧きたっているかのようだ。
性被害に関しては、たしかに興味深い話だし、被害者がいるならば救済が必要だとは思う。
だが報道された側に、即時的に悪影響が出ているのを見ると、こういうやり方でいいのかな、とも思わされる。
思い出してみれば、論語の中にこんな有名な言葉がある。
◆君子は和して同ぜず
君子とは立派な人物のことだろうし、和とは自分をしっかり持ってその上で周囲と協調することだろう。
そして同とは、自分を持たないでただ付和雷同することのようだ。
つまりは、立派な人物は「和」はするが、「同」はしないもののようだ。
日本社会は長らく「和」を重視してきたと思うが、
その「和」は、ややもすると論語の言う「同」になりがちではないのか。
その意味で、一方的な報道で、一方だけを指弾するというのは時期尚早なのかもしれないな。
多くの方々が、君子的に行動されることを願いたいものです。
→刑事裁判においては、「疑わしきは被告人の利益に」との原則もありますよね。