目の前の敵を倒すことしか頭にない人がいます。
そういう人は、たとえそれが叶えられたとしても、ただそれだけのようです。
経営の神様とも言われる松下幸之助翁は、その書「道をひらく」の中で、こう語っています。
◆倒すだけが能ではない、敵がなければ教えもない、したがって進歩もないものだ
これは発想の転換法のひとつなのだろう。
敵というものは、実はその存在に対し負けまいとしのぎを削り、自分の技術も進化していくわけで、
それはつまり敵に教えてもらっているようなものなのだ。
敵の存在は、自分が逆境にあるのではなく、学ばせてもらっているということなのだ。
そう捉えれば、かえって闘志が湧き、良い結果を招くことができるのです。
どんな世界でも、ライバルがいたから自分の実力が伸びたという話はよく耳にするはずです。
結局人はライバル(敵)が必要なのです。
ただしそれは、倒すのではなく、学ぶ存在なのです。
→全人類がそう考えてくれればいいのですが、敵視されて葬られた人間はどう受け止めればいいのかな・・・