はたのひとにはよくわかるのに、自分にはちっともわからないのである。自分が死にかけたなんて。
なんのことはない。半世紀近く生きておれば疲れるということである。まったく気力がないのだ。朝起きても何をしたいという事がない。仕事は非番であるというのに、ただただ身体を横たえ、うまくもなんともない食べものを喰らい液体を流し込み、大小便を垂れ流している。習慣というものは恐ろしいものである。これで生きていけるのだから。
目が覚める。寝床でぐだぐだする。アラームの音で起床する。体重を量り、血圧を測定する。昨日ではない今日の自分を確かめる。体重が増える。血圧が高い。だからとどうすることはない。
できることをやらず、できないことをやれないとなげく。
当たり前のことを感謝ぜず、まわりを羨む。
自由とは哀しみや恐れ・・・生きること死ぬことの対立の超克にある。それは行動による昇華の果てにあるかのように思う。この確信なくして自由への飛翔はない。
自分と他者、私とものとの対立から逃げてしまう。自由の獲得より現状の維持に安心を求める。
滅びる。自滅する甘美のエロス。
恰幅のよい男がいった。君は生きる意欲がないね。
才能がないのだから・・・程々に生活しようと思った。
雪が降る日。街は静かだった。
Sは吝嗇である。買い物ができない。やむ得ず買うときは安い物を選ぶ。品質はお構いなし、安いということが大事なのだ。
Sが感じている喜びは独りよがりの優越感に過ぎない。知識そのものに意味はない(たとえば何時に行けば惣菜が割引になる)安いことだけに意味があるのだ。
ある物を買いたいと思っても正札であるとやめてしまう。だが何かの間違えで安くなっても誰もが殺到するようになるとさっさと逃げ出してしまう。
髪の長い男が言った。Sさんは、いつも急いでいる。ここではないどこかへすぐに行こうとしている。だから危険に突っ込んでいくんだね。
なぜ逃げるのか・・・これはSにとって永遠の課題だ。追いかけられるものがあるから逃げるのだろう。逃げることに人生の大半を費やした人間として、とことん逃げ続けていくしかない。
そうすけは、最初には希望に燃えているが、最後は後悔をする。
前進しようとすると気持ちが高揚し、失速すると精神的に落ち込む。
男は絶望しているが、それを表に出したりはしない。
そんなことをすれば世間は一斉に嫌悪の矢を向けてくることを百も承知していて、控えめに常識的に生きようとしている。
「毎日キチンと予定通りに生きること」に気遣い、「自分を失うまい」としている。
しかし、内面はそんなに平穏ではいられない。
この世界への憤怒、怒り、敵意が消しがたく埋め込まれている。
この地雷源を男は自覚していない。
大人は自分の不遇を訴えているのに「正義」の言葉を使う。子供はその正義にひきつけられる。
しかし、大人は自分の不遇が解消されると正義を忘れてしまう。子供はとり残され、美しすぎる正義の言葉に殉じようとして自分を壊してしまう。
「何もできない自分」でも「幸せ」はつかめるのだと信じたとき、やさしさが生まれる。
自分にかけているところを認めることで、やさしさが生まれる。
満足すると、人はやさしくなる。
やさしい人には相手を認めることができる心のゆとりがある。
やさしい人は、「相手を認めることができる」思考に満足をする。けして相手を愛してはいない。偽善だとはわからない。
あなたのやさしさは・・・酷だわ。
愚図は善行を大いに悩む。
前進しようとすると未だに何もしていないのに気持ちが高揚する。
その気持ちが何もしていないうちに失速すると落ち込む。
愚図はたいてい希望に満ちている。
「今度ははうまくいきそうだ」と思っている。
「いつかはじめられる」と思い込んでいる。
すぐに取り掛かろいうとしない。
そのうちに自分が愚図なことをネタにする。
愚図は他人の面倒を見ることによって自分の人生を有意義なものにしようとする。
だから希望に落ち込む。
なにもしないうちに挫折を繰り返しては非現実的な思い込みにしがみつく。
「自分は完璧でなければならない」
「その他?」
口を開けば、己のことばかり。
銭湯帰りの父子が横断歩道を渡った。
浴衣姿の娘は早足で歩く。
人生は何事をも為ぬには余りに長いが、何事かを成すには余りに短い。
Sの人生はあまりにも長かった。ひたひたと押し寄せる慢性的な空虚感が首を絞める。この変わらない息苦しい日常から逃れられないとあきらめたときに風景が反転した。
地震台風火事親父。親父の意見と冷や酒は後から効く。
人生いろいろ、仕事ぼろぼろ、酒と反省の日々。
あるきっかけで暗転する。
普段自信がないので、いざ何かを始めようとしても、じぶんにできるかなと、不安になってしまう。
ぽかりとあいた胸の向こう側から何度も声が聴こえてくる。
「そんなへまをやらかさないうちにやめとけ、でしゃばるな」