偶然は準備できていない人を助けない
ルイ・パスツール
サイコロふって旅に出よう
偶然は準備できていない人を助けない
ルイ・パスツール
サイコロふって旅に出よう
紙風船 黒田三郎
落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように
もう一度、内なるものを見つめてみよう。
もう一度、自分に問いかけてみよう。
もう一度、あわせてみよう。
昨日の晩は吞みすぎた。
生活はくるしい。人生はさびしい。
われは、丁寧に紙風船を打ち上げよう。
紙破れるまで何度でも。
そして
最後は、しっかりと両手で受け取ろう。
変えられない現実はどうしようもない。
無理に変えようとすれば、心は疲れ果ててしまう。
ならば、その悩みに対する心の持ちようを変えてみること。
そうすることで、たとえ悩みは消えなくとも、きっと生きる勇気が芽生えてくるはずですから。
どうせ長く生きても十年、下手すれば来年、今年中のことも知れない寿命だ。
せいぜい、のんびりと暮らすことだ。この世の貸し借りも、さっぱり忘れた心持で毎日を送ることだ。
「昼間は歩け。夜は読め。」
と、Kは、近来頻りに、そんな号令を自分にかけている。
川崎長太郎
求道とは実行である。
いくら素晴らしい教えであっても、これを実行しなければ、それは絵に描いた餅にすぎない。
例えば、積極心を身につけるにあたって、感謝の念が重要であることは、よく知っているはずだが、いざとなると、不平不満が先行してなかなか実行が伴わない。
積極心を本当に絶対的にしたければ、その手始めに一切の不平不満を感謝に置き換える努力を怠らないことである。
感情は受け入れられない場合のみ、苦痛なものとなり、問題となる。
抵抗することや受け入れることを拒否することで、我々は苦痛を生み出すのだ。
痛みを乗り越え、分裂のない状態を楽しむには、痛みを覚える部分や避けたいと思う部分を、ありのままに受け入れる方法を学ばなければならない。
受け入れることと求めることは、似ているが別ものである。
春の雨。やや肌寒し。桜はちってゆくかな。
そうすけはケチである。ケチは美徳ではない。
ケチであるということは安心なのだ。安心するためにマネーを使わない。
物を消費しない。サービスを受けない。
やがて、人のためにマネーが使えない。
そして、自分に必要なことができなくなっていった。
貧すれば鈍する。鈍すれば不安になる。
貧しき者のスパイラル。
対人恐怖の根底には、
他人とは得体のしれぬ存在であり
どんなことを考ええどんなことをしでかすかわからないといった不安が横たわっている。
ごく当たり前の人間がとんでもなく酷いことを面白半分にしたり、
卑しい欲望のために相手を蔑ろにしても平気な事実を知っているがために、
世の中の人々に絶望し、また恐ろしく思っている。
信用できないのである。
ともすれば人間は残酷さをいくらでも発揮しかねないと私は思っている。
「子供のままおとなになった人たち」
鏡のなかのSが睨む。
眼は赤い。顔面は蒼白。
髪はうすく。目じりのしわがふかい。
鼻の頭に汗がひかる。
乾いたクチビルをなめる。
「ショウタイムの時間です」
肩をすぼめてみた。
鏡のSがはにかむ。
あらゆる意味で未来はない。
未来とは現在頭の中で予想していることにすぎない。
だから、それは現在でしかない。
過去という実体はない。
現在想起されるものの総体が過去なのだ。
ここでも大事なのは、現在なのだ。
只今、在るということが一大事なのです。
「これでいいのだ」と普通の生活を送ることを心がけたい。