そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

#1144 喜びや楽しみは人と分かち合う

2006年06月30日 | 願った
楽しければOK

苦しければOK

かなしければ芸になる。

怒りはNO

虚しさはNO

さびしければ詩になる。


ケーキがひとつあった

兄の前にケーキがひとつあった。

兄が、このケーキをおいしく食べるには

どうしたらよいでしょうか?

#1143 貧を極める

2006年06月29日 | 願った
貧乏は、
不便ではあるが
不幸ではない。

不便、不信、不安、不可解にしばられない。
今を、今日を完全燃焼できるならば不幸ではない。
不幸ではないということは幸せなことなのでしょう。

貧とは貝を分けることであろう。
そうすけには貝が少ない。
では、どうすればよいだろうか。

貧者一燈を捧げたい。
財貨は少なくとも「やさしさ」を与える。
足りないものを真心で補い、与え続ける。

これが貧の極意なり。

いつもやさしい気持、真心をどんな環境、状況、状態になろうとも持っていたい。
これを忘れなければ、貧であり、豊かな生活ができるでしょう。



そうすけ妄走記その34

2006年06月28日 | 走る
6月26日(月)
仕事疲れで走りませんでした。
この意気地なし。
そうすけは一でなく二でなく三でなく四でなく五でなくろくでなし。

6月27日(火)
B公園を6周31分走りました。
B会館で送別会か?男たちの雄叫びが聞こえる。
感謝することで救われる。

6月28日(水)
7:00PM。一陣の風が吹いた。
雷雨が激しい雨を呼ぶ。
雷様に出鼻をくじかれ、走りませんでした。

6月29日(木)
B沼公園を6周31分54、走りました。
三日月が西の空にかかっていた。

6月30日(金)
B沼公園を9周46分、走りました。
夜といえども蒸している。
汗また汗がしたたりおちる。
これで、有難く冷たい酎ハイをたらふく飲める。
このためだけに生きている。

7月1日(土)
休養日。走りませんでした。
夕食は、有難く冷たい酎ハイをいただきました。マーボ豆腐、漬物、うるめ丸干し、カップヌードル。〆のカップヌードルが重かった。腹が十二分目になった。
明日の体重が楽しみだ。

7月2日(日)
自宅周辺をぐるぐるジョギングをする。
自宅からB沼公園。緑がきれいだ。
遊歩道を武蔵浦和へむかう。
武蔵浦和駅手前を右に曲がって住宅地をあてもなく、でもなんとなくB沼方面へゆるりとジョギングをでいく。
疲れたところで、河童天国がみえた。料金を見ると1500円也。断念する。いつかは浸かりに来るぞ、と勇ましく、あてもなく、でもなんとなくB沼方面にむかって閑静な住宅地をジョギングをする。
新幹線の高架下にスーパーマーケットを発見した。JRおそるべし。35年前の新幹線反対と唱えていた三市(戸田、浦和、与野)連合の夢の後はフットサル場や居酒屋、駐車場、パチンコ屋など三市民の生活のメリットになっていた。
また、遊歩道に戻りB沼公園へ帰る。
6分毎キロペースで4周走って終了した。71分43にわたるジョギングでした。

汗まみれになりながらS友へ食料をかい出して帰宅する。

積極的な人生

2006年06月28日 | 日記
そうすけは貧乏であることに感謝する。

そうすけは貧乏であることに満足をする。

貧乏は必要以上に金銭がいらない。
貧乏は必要以上に忙しくない。

人間は貧乏であろうと、少しもあわてることはない。
目的を持って、信じるところに、修養につとめる。
そこに自ずから積極的な人生の楽しみが生まれてくるのだ。
 
積極的に朝食は、たまごさんど。昼食は、ごはん、えびちり、まぐろかけでした。
貧乏では食事が最大事なことなのです。

6:45PMごろ、黒い雲がひろがる。雷が聞えてくる。一陣の突風と同時に激しい雨が降り出してきた。風雨は人と物を蹴散らしてしばらく吹き荒れていった。最近はスコールのような夕立ばかりだ。雨上がりの街は街路樹の葉が散乱していた。気温は下がったみたいだ。

この夕立でランニングのモチベーションが一気に下がる。
唐揚げ弁当を買って帰宅。缶チューハイをジュースの如く飲み干す。
酔うまできゅうりのお新香とかきピーをつまみに飲み続ける。

貧乏で動けなくなってはお仕舞いである。(貧乏閑なし大作戦)たとえ体が動かずとも精神は躍動していたい。常に今は無意味に思えることも・・・今は意味をもとめずに行動することだ。苦しくとも意味を追わず、全身全霊を只今に至る。

酔ってきました。これじゃ三昧に至るにはほど遠いですな。灰左様なら。


#339 人生で感謝できることを10個書いてみよう

2006年06月27日 | 願った
自分の生活のいい点と感謝すべき点を考えてみよう。

そうすけの身近なところにあって自由に利用できるものを思い起こしてみよう。

① 貧乏である。
② 健康である。
③ 臆病である。
④ 20キロを走れる。
⑤ 独身である。
⑥ 仕事がある。
⑦ 車を運転ができる。
⑧ 本が読める。
⑨ 酒が呑める。
⑩ 映画を観れる。

糖質づけ

2006年06月26日 | 定点観察
変な夢をみた日はストレスが溜まっているのだろうか。
ここでやめればという気持がない。

朝食をごはんを、まっいいかと御代わりをした。ここでは確かにお腹が空いていた。おかずのベーコンエッグは美味しかった。

昼食がごはん、そば。これでもかと食べる。つまり食べられないまで食べている。

間食が、パン。これを断れなかったのが負担になる。

腹が朝から引っ込むことはない。
仕事疲れで足が重い。
雨は上がったが走らなかった。

夕食はカレーをつくる。水量を間違えてカレー汁となってしまった。
酔っ払って満腹中枢が麻痺をしていた。
もういいだろう、とおもいつつもカレー汁をお代わりした。

こういう日があってもいいもんだ。満腹万歳。

こんな夢をみた H18.6.26

2006年06月26日 | 定点観察
こんな夢をみた。
海水浴場にいる。
場違いな白のスーツの男が数人の男を連れて歩いている。
その中にOちゃんがいた。
「あれは殿と呼ばれている。県の偉い人さ。Oは殿から仕事をもらっているんだ」
とYさんが教えてくれた。

夜だろう。そうすけはシャワーを浴びている。
外が騒がしい。下半身をタオルで巻いてドアを開けてみる。
隣の家から担架で救急車に乗せられていく殿を目撃をする。
殿は隣人だったのか?
暗闇から声を掛けられる。
「この辺はご近所つきあいはどうなんですか」懐中電灯を持った婦人警官に職質される。
何者かに刺されたな、と直感する。
なぜ、そうすけはシャワーを浴びていたのだろうか、と疑われないかと不安になった。

#1142 感謝の気持を持ち続ける。

2006年06月25日 | 願った
そうすけは、すでに裕福である。
そうすけが自分自身に気がつけば、すでに多くのものを持っていることがわかる。
そうすけは、すでに完全である。
生きている自分は只今生かされている存在である。
それゆえに完全である。

今の裕福な自分と完全な自分に気がつき、十分に表現ができたら、こんなに楽しいことはありません。

毎日、自分が持っているものに感謝をしよう。
すぐに気分が落ち着くはずです。
感謝すると同時に自分を哀れむことはできません。

夢や希望が打ち砕かれようとも、感謝の気持を忘れなければ周囲にはきっとそうすけを待ち望んでくれる人がいます。
その人の希望に沿ってみましょう。

きっといいことは起こる。
そして、裕福で完全であることに再び気がつき、感謝の気持が湧いてきます。

蟻その2

2006年06月25日 | 定点観察
怖い夢をみた。
ドアがノックされた。
ドアを開けると巨大な黒蟻がいた。
足が痒い。無数の蟻で足が黒くなっていた。

早朝から台所を掃除する。
マットを洗い、床を雑巾賭けをする。
缶を袋にまとめて外にだした。
キッチン周りもクレンザーでみがいた。
 
今のところ数匹しか見かけないが
どうなりますか。

2006年06月24日 | 日記
夜。帰宅をする。誰もいない家。
キッチンで水を飲む。
黒い帯が蠢いている。
数えられないほどの蟻が列を成していた。

缶チューハイに群がっている。
らっきょう酢の瓶に取り付いている。
流し場を徘徊している。

油だらけのガスレンジには一匹もいない。
油は嫌いなのかな。

蟻軍団の行動力に脱帽する夜でした。

やけ食いをした

2006年06月23日 | 日記
ブラジル戦をTVでみる。
玉田のゴールで目が覚めたが前半ロスタイムのロナウドのゴールシーンに失望した。いかりや長介的に言うと「だめだこりゃ」

後半は寝床にもぐってNHKラジオを聴く。
アナウンサーが追加点を取られるだびに「予選突破には×点をとらなくてはいけません」みたいなことを連呼する。わかってるんだからアナウンスするなよ。
ラジオの実況ではどんな素晴らしいゴールが決められたかイメージする気にもならない。
これがよかった。本当にTVを観ていなくてよかった。
観ていたら日本サッカー嫌いになっちゃうかもしれなかった。
沈鬱な声の解説というより嘆きを聴いていると全くプレスできてないな、とわかる。本当に無念でした。

朝食は、いつもの倍量のごはんをベーコンエッグをおかずにやけ食いした。
食後には牛乳とコーヒーをがぶ飲みだ。これで満腹、満足、満顔となった。

満腹になると、マスコミの報道姿勢やFIFAの銭亡者、その子分の川淵某。今日の天気、我が身の醜悪、こころの狭さ、低収入、人間嫌い、アルコール好きのTV好き、仕事嫌い、カップめん大好きなどなど、どうでもいいや、なるようになるさ、その他その他・・・マイナス感情がとりあえずは沈殿したようだ。

朝食って大事ですね。

サムライブルーの選手たちの栄誉を讃えます。
敗れた時こそ下を向くな。胸を張ろう。
サッカーボールは丸い。
地球も丸い。それでも地球は回っている。
朝の来ない夜はない。
今夜はゆっくりと休んでください。

あなた方には愛と勇気と力をいただきました。
あなた方の汗は、感動の涙となりました。
ありがとう、ニッポン。
明日のゴールを夢見て、これからも応援します。

ニッポン!ニッポン!ニッポン!



蹴りたい背中

2006年06月22日 | か行

川の浅瀬に重い石を落とすと、川底から砂が立ち上がって水を濁すように、あの気持ち”が底から立ち上がってきて心を濁す。いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い気持で。足をそっと伸ばして爪先を彼の背中に押し付けたら、力が入って、親指の骨が軽くぽきっと鳴った。

「蹴りたい背中」 綿矢りさ 河井書房新社 P140

文学は時代を映す。そうすけが作家だったらハツは、にな川の背中にそっと腕を回すね。むかし、むかしの女性は愛しいさを表現することが絵になったよね。

待てよ。最近このシーンをどこかで観たぞ。
映画「間宮兄弟」に女の子が塚地の背中に腕を回していたシーンがありました。

でも、ハツは「愛しいさよりも、もっと強い気持で」足のつめをたてる。
文学だねぇ。思春期だねぇ。孤独なんだねぇ、にな川もハツも。
それでも、抱きたいのではなく、蹴りたいのだから青春は複雑だ。

ハツのこの衝動も「川底から砂が立ち上がって」汚した気になっているけど川の流れで、すぐに清い浅瀬の川に戻るのだろう。

沼のほとりに佇んでいると、沼底から巨大な鯉が上がってくる。鯉は水面に口を大きく開けてひと睨みすると消えた。小波だけがのこった水面のように「あの気持」がさざめく。逃げたい。走りたい。憎しみよりももっと強いきもちで。ランニングヲしていると、雨が降ってきた。そうすけは全身がずぶぬれになる。雨と汗と鼻水で。

続編を書いてほしい。綿矢りささん、それまで、そうすけは長生きするよ。


2006年06月21日 | か行
いあわせとは、何かを達成することによって手中におさめるものではない。
「これでいいんだ」と自分の現実(ありのまま)を自分で認めることによって向こうからやってくる。
  東ちづる

<人をどうすれば愛することができるだろう

    それは 自分を 好きになることです>


丘の南のちいさな家で
私は生きてゐた! 
花のように 星のように 光の中で 
歌のように 

「風詩 」 立原道造


それでも いいや

台地の北にあるアパートで
そうすけは生きている
沸騰した薬缶のように
消し忘れた煙草の残る灰皿のように
ゴール!と叫ぶ未明のラジオのように
風に吹かれて
祭りの後ののカラオケルームのように

「諦め」とは
すなわち「悟ること」

影男が語る。
「嫌な存在が周囲にいるならば、その「嫌な存在」があるからこそ自分が存在する。

自分を脱ぎ捨てる。
それには、一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がると水前寺さんが歌ってます。
すると二歩退いた地点は二日前とは違うのです。
今のあなたは、過去のあなたとは違う。
今のあなたは、三歩先のあなたではない。
今のあなたは、自分を脱ぎ捨てた真っ裸の自分なのです。



これでいいのだ   バカボンのパパ




梅雨

2006年06月21日 | 日記
梅ノ木が斜面にたわわの実をたらしていた。

実がひとつ。転げ落ちていく。

蚯蚓がVの字になったり、Iの字になったりしながら

猛スピードで斜面を駆け落ちていった。

山頂に天敵がいたのだろうか。

梅の天敵は雨。

そうすけ妄走記その33

2006年06月20日 | 走る
6月19日(月)
W杯を気をいれて観てしまった。
フラストレーションがたまる。
O氏、O夫人と会食。カラオケをする。
ちょっとだけ心が軽くなった。

という理由で走りませんでした。

6月20日(火)
仕事関係で心身ともに疲れる。
義務感覚になってしまったランニングをとりやめる。

6月21日(水)
B沼公園を6周28分50、走りました。
久し振りに6周回を30分きりました。
小雨の公園は人がまばらでした。
汗と雨とで全身ずぶぬれだ。
気持ちよし。頭の中、雨に唄えばが鳴り響く。

帰宅して、焼酎をカルピス、お茶で割ってごくごく呑めながら洗濯をした。
冷蔵庫にあったピーマン、にら、ベーコンを炒める。訳がわからない緑の炒め物だ。それをつまみながら、何も考えず、酒を飲み、だらだらとTVを眺める。

6月22日(木)
B沼公園を6周32分、走りました。
蛙が沼をながめている。何を思っているのかと、妄想しながらランニングする。
昨日のようには走れませんでした。涼しく感じていたが走り始めると汗が流れる。
余力を残しながらも、明朝のブラジル戦のためにやめる。
ベンチにて走れた喜びとニッポンの奇跡を祈る。

6月23日(金)
B沼公園を6周35分50走りました。
全く力が入らない。息は大丈夫、脚もそんなに重くないが速く走れない。
日本、一次予選敗退。仕事のしくじり等々。
愛をくださいと神様にお願いした。

6月24日(土)
倦怠のために走りませんでした。

6月25日(日)
休日出勤後に、B沼公園を9周47分走りました。
乳母車に眠る赤ちゃんに父、母、祖父、祖母の八ツの目が注がれている。
そうすけも、このように見つめられたのだろうか?
たぶん、そうなのだろう。
きっと、家族に愛されていたに違いない。
いつから間違ってしまったのか?
もっともっと愛が欲しかっただけなのに・・・。