丑三つ時に目が覚めてしまった。気候のせいではない。眠れずに「師匠噺」を読了した。師匠と弟子とは擬似親子でありながら親子ではない。そこには芸という伝承がある。本当の親子でも、なにかを伝えるために、親がいて、子がいるのでしょう。でも、師弟は選べますが、親子は選べないところがややこしくするのです。
そうすけが今の会社に就いたのは、ひょんなきっかけでお世話になったのであり、こちらから、この世界で一人立ちしようなんて、これっぽっちも思っていませんでした。とにかく、何かをしていないといけなぁ、と軽い気持ちでお手伝いしたのがはじまりでした。そうすけには十年後、二十年後の人生設計よりも、その日その日の心の安心を求めていただけでした。
そこで社長に出会い、人生のいろいろなことを教えていただきました。本当に有り難いことでした。すこしばかり人情というものも知りました。それがあったからこそ、仕事の下働きと運転手に明け暮れても満足していたのでしょう。
「なんで、こんな安給料で働いているの?」と社長夫人に聞かれたことがあります。本来は仕事を覚えて独立していく。しかし、はじめの一歩が邪道でしたから、なぜ、いま、ここで、安賃金で働いているのか、と改めて問われてみても答えることができませんでした。
思えば、この台詞の意味をしっかり考えていれば、今の悩みは半減していたかもしれません。その頃は、景気が悪くなっていき、仕事は減るばかり・・・当然、給料も減るばかり・・・そんな時、胃潰瘍になりました。漠然とした不安が体に現れたのでした。
人間とは、環境の動物だなと、つくづく思います。
最近の暮らしのありようの付けが、とうとう廻ってきてしまった。強いて言えば、今までの生きてきた付けが廻ってきたのだ。