五月末日。晴。九時には25℃を越えている。
あつい日だ。町は静かだ。まよえる鳥が鳴いている。
不安が不安のまま続き、少しも人生の積極的なエネルギーに転じていかない。
本当に苦しいときは逃げる。
「否定の華」を人生のエネルギーに変える。
人は不安を埋めるために一所懸命に生きる。
生きるエネルギーとは感情の解放である。
生への意志をもつ。
私利私欲を超える。個人の誇り。高い志。
今日も暑すぎる。梅雨入り前にこれではだめです。
Sさんを誘って呑む。Sさんは定年退職をして今は求職活動中だ。いろいろ話を聞く。つらいことがあるらしい。
突然気分が悪くなる。わが体調も昔とはちがうらしい。Sさんはまだ飲みたそうであったが切り上げる。
予の求めているものはなんだろう。
名でもない。事業でもない。恋でもない。知識でもない。金、金もそうだ。
しかし、それは、目的ではなくて、手段だ。
予の心の底から求めているものは安心だ。きっとそうだ。
石川啄木
暑い。がんじがらめになる。前に行くことができずにげることもできない。ただまつのみ。やっと自由になっても動くことができなくなっている。自縄自縛。自らの言葉がでてこない。
たわいなさを意外性の淡い光に包まれているようにに感じられる。
光の源にあるものは「不定形で無限の未来」ではないだろうか。
それが彼らの「今、ここ」の言葉を照らしているのだ。
未来は期待に満ち溢れていなければならなかった。
だが、自ら感じることができなかった。
闇に沈殿するものにとらわれる。
それが彼らの「今、ここ」の言葉を黙殺する。
自転車を処分しよう。
粗大ごみとして有料になるようだ。
夜の街を歩く。週末の夜は賑やかであった。忘れていた生活があった。
もう一度もう一度と願う。
M君と打ち合わせした。
いや~なかんじがした。でもいってしまった。やはりだめだった。やりなおした。
こわいとおもったら、いかないことだ。
あとは、なれである。
段階をふんでゆくことによって恐怖心を克服する。
若葉繁り、薫風漂う。やわらかな光に迎えられた朝に目覚めた者はここが夢か現かと問わざる負えない。
昔もこんなことがあったような懐かしい感情が沸き起こる。
至福の時があった。子供のころが確かにあった。
薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない、人が見ているかどうかも問題にしていない。
アンゲルス・シレジウス「薔薇は理由なく咲く。」
K叔母の三回忌。体調が悪くなる。食べ過ぎだ。なんか疲れた。心身のバランスが崩れる。