怪物はすぐそこにいる。
ただ予感からくる身震いだけがおこるだけだ。
やつらは十三匹いる。
こころがゆれる。あなたはつぎへととんでいってしまった。
とんでいけたらなにがまっているのかしら。わたしはしらない。
あたたかいかぜがふいてくる。はねをのばしてとんでいきたい。
おひさまがまぶしすぎる。
最近、残魚すくなし。お鉢が回ってこない。身体は楽でよい。しかしおこづかいは苦し。つまらぬおもいをいだくことなかれ。
鳥たちはさえずり、行く先々に花が咲いている。これでいいのです。
お昼にWと待ち合わせる。同窓会の会場を下見する。実際に見るとイメージがわきますね。
昼飯を食べながら打ち合わせする。課題は色々ですがシンプルにやれば問題ないでしょう。
Wと別れてから買い物、なつめ床。
朝の目覚めの気分はいかがでしょうか?
まだ昨日の失敗を引きずっていませんか。そのことで感情が否定的になったり、恐れを持っていたとしたら、それはそれとして、とりあえず素直に認めましょう。
対人恐怖の根底には、
他人とは得体のしれぬ存在であり
どんなことを考ええどんなことをしでかすかわからないといった不安が横たわっている。
ごく当たり前の人間がとんでもなく酷いことを面白半分にしたり、
卑しい欲望のために相手を蔑ろにしても平気な事実を知っているがために、
世の中の人々に絶望し、また恐ろしく思っている。
信用できないのである。
ともすれば人間は残酷さをいくらでも発揮しかねないと私は思っている。
「子供のままおとなになった人たち」
いまだに、ガラケーを使っている。それさえ使っているというほど使用していない。SNSを利用していない。ゲームをしない。
わからないことを尋ねると、スマホにしたらと、あなたはいう。
妄想系一人暮らしをしているSにはスマホはいらない。
だからSには友人が少ない。
ゆっくりいけば、困ったことは起こらない。
それは、信念に挑戦するような事態に追い込まれないということです。
ゆっくりいけば、誰もあなたを脅かそうとしていないことがわかるだろう。
それは、苦しみを前進の糧にできるということです。
ゆっくり行けば困ったことは起こらない。
久しぶりにSさんと飲みました。くだらない話で大いに盛り上がりました。途中M君が合流しまして昔話に花が咲きました。長かった。Sさんが止まらなくなりまして、こちらも酔っぱらって、早く帰りたいなとおもいつつ、時が流れてゆくのでした。これでいいんだな。これがはるなあんだな。