21世紀初頭における夢は、自分探し、つまり一切の心配から解放される喜びなのである。
自分の関心があることについて長時間勢力を傾ける。あるいはスポーツや娯楽に熱中する余裕がある限り、人生は本質的に喜びだと考えて育った世代。
21世紀初頭における夢は、自分探し、つまり一切の心配から解放される喜びなのである。
自分の関心があることについて長時間勢力を傾ける。あるいはスポーツや娯楽に熱中する余裕がある限り、人生は本質的に喜びだと考えて育った世代。
ある人へ 坂本真民
光が射しているのに
あなたはそれを浴びようとはしない
呼んでおられるのに
あなたはそれを聞こうとしない
手をさしのべておられるのに
あなたはそれを握ろうとしない
お経にもそんな人のことを
書いてあります
どうか素直な心になって
二度とない人生を
意義のあるよう生きてください
ああ素直になりたい。
先人(名前失念)は云った。
愛なしに、生活してなおペシミストにならない人は、よほど、どうにかしていいる。
牧伸二は云った。
あ~ああやんなちゃった あ~ああおどろいた
思いにとらわれて生きていると行き着く先は「絶望」。
さて、そこでだ。
次にくるものは何だ!?
体調が思わしくないのは誰のせいでもない自分自身の管理がなっていないのだ。
集中力がないのは、自分の能力を超えたスピードで起こしているからであろう。
自分のペースを乱されるのは、自ら圧を作っている。
要するに、何事か起こるときは、ずれているのです。
習慣は、報酬としての快感によって強化されながら、その行動の繰り返しによって形成されていく。
良い習慣は、親、教師、会社、社会からほめられ、評価されるというご褒美の快感によって強化され、我々の生活や生存を促進する。
そこにあるものは
そこにそうして
あるものだ
見ろ
手がある
足がある
うすらわらいさえしている
見たものは
見たといえ
けたたましく
コップを踏みつぶし
ドアをおしあけては
足ばやに消えて行く 無数の
屈辱の背なかのうえへ
ぴったりおかれた
厚い手のひら
どこへ逃げて行くのだ
やつらが ひとりのこらず
消えてなくなっても
そこにある
そこにそうしてある
罰を忘れられた罪人のように
見ろ
足がある
手がある
そうして
うすわらいまでしている
「事実」 石原吉郎
だらだら映像を見ている。
「スキマスキ」にぶちあたった。学食での出会いのシーンは夢物語の入り口。女の子が何とも言えない雰囲気があります。白と黒、素と玄の狭間といいましょうか。彼女の演技にもスキマがあるということかな。
夕方、外に出る。寒い。体がだめです。Sさん、Iさんと飲んだ。だんだん体調が悪くなる。二次会に行かないで帰る。
♪ 幸せってなんだっけなんだっけ ポン酢しょうゆのあるうちさ・・・・・・・
寒くなると、このCMソングが思い出されます。
休日の宵の口。一家そろってなべをつついている。ときより笑い声がおこる。
燐寸をすると、ほんの束の間に、こんな情景が浮かんできます。