杉本深由起さんの詩。
ようい どん
なにかをしようとして
もう おそすぎると思ったときには
こころの中で 言ってみる
ー ようい どん
自分でじぶんに
声をかけさえすれば
いつだって スタートライン
私たちには祈りが必要なのです。
杉本深由起さんの詩。
ようい どん
なにかをしようとして
もう おそすぎると思ったときには
こころの中で 言ってみる
ー ようい どん
自分でじぶんに
声をかけさえすれば
いつだって スタートライン
私たちには祈りが必要なのです。
豊さとは、お金ではなく内面的な体験である。
富は安全を保障するものではない。
豊さとは、物質的にも、その他の点でも、ほんとうに必要であり望んでいるものを十分に持っているという体験です。
最低限の物質的な必要さえ満たされれば、収入のレベルがどうであろうと、どんな時でも豊かさを体験できるのです。
ゆっくり ゆっくり
ゆっくりいけば
こまったことはおこらない
ゆっくり ゆっくり
ゆっくりいけば
こまったことはおこらない
ゆっくり ゆっくり
ゆっくりいけば
こまったことは起こらない
ゆっくりいけば、困ったことは起こらない。
それは、信念に挑戦するような事態に追い込まれないということです。
ゆっくりいけば、誰もあなたを脅かそうとしていないことがわかるだろう。
それは、苦しみを前進の糧にできるということです。
ゆっくり行けば困ったことは起こらない。
夜がすれちがひながら
小さな傷をつけてゆく
ちょうど死の記号のやうに
僕の腿に胸の骨に
立原 道造
ひとり者には夜がこわい。
傷つくことだけ上手になって、朝がこない夜はない、と人は云うけれど、朝には疲れている。
貧乏はよくないことだ。
ボロを着ることに納得してはいけない。
すべての貧しい人が高潔であるとは言えない。
すべての貧しい人が不潔であるとは言えない。
ボロをきる人はほめられない。
だから、言葉をつたえることを頼まれたなら、忘れることなく、間違えずに言葉を届けることだ。
貧乏はよくないことだ。
ボロを着ることに納得してはいけない。
しかし、困ったことは起こらないであろう。
あの警笛は、しっかりしなさいよという美しき真の言葉なのです。
あの情景がうかんできたら、感謝をします。有難いことです。
有り難うござぃす。
すると、ただいまが美しくみえます。
人を許すとは、どのようなことだろうか。
ある男が頭を殴り去っていった。
なぜ
思い当たることはある。
殴ることに値することなのか。
彼を追いかけずに後姿をにらむ。
時間が経つとむらむらとくる。
怒りがこみ上げてきた。
妄想のなかで彼を殴っていた。
これは中学生の時と何も変わっていなかった。
中学生のころ、禿頭を叩いて逃げて陰で笑っていた。
禿頭は空を見上げ叫んでいた。
もし変われるとすれば、許すことができることだ。
しかし許すことがわからない。
あああ。何も変わっていない。
われわれは欲望の世界に住んでいる。
この社会は必要性に支配されている。
肥大した欲望を認める。
必要なものを諦め、少なくする。
その現実を受け入れる。
天命は人事にかかわらず普遍である。
「もし、あなた様が欲したまうならば」
天命にすべてをゆだねる。
そのとき人間は救われる。
生き続けなければならない。
どのようなことがあろうとも生きねばならない。
生きている限り救われている。
よりよく生きるとは、よりよく死に向き合うことである。
よりよく生きるとは、あなた様の問いに答えることである。
大自然が私たち小自然とでもいうべき生き物に<食>と<性>の二欲を与えてくれた配慮を、
私たちは賛美しないではおれません。
でも、考えてみますと、私たちはどんな重大事でも楽しくなければやらないほどの、
それほど弱く哀れなしろもののつくられているわけであるのですね。
大きいことやえらそうなことは言えませんね。
まど・みちお
食べること
人を愛すること
これが満たされていれば
安心して歩いていけそうな気がする。
でも、そこに快楽を求めるから
行動が
思考が
ややこしくなる。
人はどうしたらやさしくなれるのだろう。
死は思いもかけずに忍び足でやってくる宅配業者のようなものだ。
象牙の印を持っていたとしても、やさしさの小箱を受け取ることはできない。
つまり、実行の伴わないやさしさは役に立たない。
地獄はやさしさで磨かれたスロープだ。
ぼくは、声もなく滑り落ちていく。
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