くるしみが/またひとつ/せかいを/ひらいてくれた/くさひかる
過去にしがみつく生き方をしている人は、永遠に答えのない「自己の起源」への問いかけをしている。
何かを求めて記憶をさかのぼっていくと、どこかで切れてしまう。過去にこだわる人は、実はそのことを通して「自己の起源」を取り戻そうとしている。
自分の人生が記憶の欠如から始まっているという事実に、どうしても納得することができず、それを空想で埋め合わそうとしている。
生きる意味とは過去を求めることではない。
なんだか、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
理由はないのです。ただ、ごめんなさい。
下を向いて歩いて、視界を横切った人影に怯えています。
ほんと、すみません。
後悔は目の冴えた記憶
仲間はいっせいにざわついて
過ぎ去った行いが
窓や戸口に現われる
過去は心の前に置かれて
マッチの明りで照らされる
読みやすくして
考えをひろげるために
後悔はいやせない
神にも治すことのできない病気
なぜなら神が定めたもので
地獄と同じだから
ディキンソン
過去に起きた出来事に対して、いつまでも後悔したり反省をしないでください。
過去はいろんな出来事から、今をより良く幸せに生きるために、学ぶためにあるといいます。
過去には感謝のみ、未来は希望です。現在は喜び、楽しみ、生きるときです。
過去の桎梏に悩まされる。
学ぶことを忘れた者にあるものは絶望だ。
今という時間がどんよりと濁り重くなっていく。
白濁の霧が森を覆う。
6:30起床。快晴也。昨日から寝込んだおかげで、心身がやや軽くなった。
五十三歳であること、孤独であること、これがそうすけの基本なのです。
孤独は、さびしく、こわい。心細くなって不安に陥る。孤独をごまかすために、衝動にまかせ、刹那的に生活をしてきた。相手の心に寄生しようとしてきた。
そのような生活を続けていると「感じる」「思う」「考える」「選ぶ」「決める」ことができなくなってしまった。
そうすけは弱い人間である。
孤独から目を逸らすのではなく、人は孤独であらねばならないと知り、どう孤独と向き合うかを考える。
孤独を受け入れるとは、自分自身を受け入れることなのです。
それから、自分の意見、立場を貫き、恐れない強さを持つことができる。
暗闇を胸を張り歩いていけば、すれ違う人に驚くことはない。
一億総活躍社会と言っている人がおりますが全くナンセンスです。
中間層がずたずたになった現在、人口減はまぬがれず、国力は下落していきます。
それでいいのだと思います。なぜなら、皆が活躍しても、儲かる人々はごく一部だからです。
生まれてきても、希望を持てない社会に、どんな活躍ができるでしょうか。
穏やかな晴天。庭をいじる。チューリップ球根を植えた。これで春の楽しみができた。
少し動くと汗が噴き出す。運動不足だ。体内の水分塩分がおおいのだろう?
ひるねをした。
幸福とは心に描くイメージが実現したときに味わえる。その喜び、快楽を他者と分かち合えれば、強いものとなる。
されど人生は、そのような結果を出せることは、まれであろう。
ならば我々は幸福になれないのか?
人生とは生きることである。命ある限りの明確な期間である。
どのような時でも、どのような場所でも生きている。
どのような時でも、どのような場所でも生かされている。
ある目的に向かって一歩踏み出す勇気あるものは、幸いの種を蒔くものである。それは、すでに幸福なのだ。
幸福になれない者とは結果をだせなかったことではない。それを求めずに、行動しない者である。
ああ勇気あるものに、なりたい。
図書館に行った。連休の最終日の閉館間際は、妙齢の女性が多かった。本を読む人は美しい。
無心になりたい。なにものにもとらわれずに安らかに生活をしたい。
そのことが、いつのまにやら消えたいということになっていった。
穴があったら入りたい。写真はとられたくない。電話に出たくない。宅配の荷物を玄関で受け取りたくない。
消えるには、恥じることばかりである。すみません。
S木さんと飲みました。久しぶりに痛飲しました。S木さんは量が減ったですな。