矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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『バカの壁』・靖国神社に鉄槌を下す

2015年11月24日 11時41分56秒 | 政治・外交・防衛

≪以下の記事を復刻します。≫

1)靖国神社は国の追悼施設として“不適格”

過日(2006年7月30日)、自民党の元幹事長で日本遺族会会長を務めている古賀誠氏がテレビ番組で、靖国神社の“A級戦犯”合祀問題について「分祀」を議論していく考えを明らかにした。 古賀さんの亡父は第2次世界大戦中にフィリピンのレイテで戦死されたのだが、それに関する話しを聞いていたら胸がつまって目頭が熱くなった。
A級戦犯の合祀問題について彼は、戦争を指導した者と“赤紙”一枚で戦場に駆り出された者との間には、大きな差があると述べていたようだが、要するに、戦争指導者の責任を明らかにした上での「分祀」の議論という趣旨だったと思う。 日本遺族会の古賀会長みずからがA級戦犯分祀の論議を求めるというのは、極めて意義深いものだと考える。
また、つい最近、自民党の総裁選に出馬する予定の麻生太郎外相が、宗教法人である靖国神社を特殊法人化し、無宗教の国立追悼施設に改めるべきだという見解を発表した。 同じく総裁選に立候補する予定の谷垣禎一財務相は、総理に就任したら靖国神社参拝を差し控えると公言した。
このように自民党を中心として、今さまざまな「靖国問題」発言が飛び出しているが、これはA級戦犯を合祀している靖国への参拝が、もはや成り立たなくなってきた状況を示すものだろう。 加えて、昭和天皇が「だから私はあれ(合祀)以来、参拝していない。それが私の心だ」と語ったという、いわゆる“富田メモ”が明らかになって、分祀や靖国神社のあり方に関する議論が一挙に高まってきたと言える。
ちなみに、この昭和天皇のお言葉は崩御のわずか8カ月ほど前のもので、陛下にとっては正に「人生の総決算の時期」に発せられた言葉という意味で重要である。 この中で昭和天皇は、合祀当時の靖国神社宮司である松平永芳に対して「親の心子知らず」と厳しく批判されている。これはA級戦犯の合祀について、昭和天皇が“不快”どころか、それ以上の“怒り”を表明されていると解して間違いない。(マスコミは一斉に「昭和天皇が不快感を示された」などと報じたが、そんな生やさしいものではないのだ。)
ところが、靖国神社側はこれらの問題について、旧態依然とした対応に終始している。 報道が伝えるところによれば、分祀は神道の教学上あり得ないとか、靖国の特殊法人化などは無理だなどと反論しているようだ。これでは「靖国問題」は解決へ向けて一歩も前進しない。
しかし、考えてみればそれも無理からぬことかもしれない。靖国神社は「宗教法人」だから神道の教義に則って対応せざるを得ないからだ。 この宗教法人であるということが、国民的な追悼施設としては“不適格”だと烙印を押されるのだ。なぜか・・・宗教の特性として、そこには一般人がいくら話しても分かってもらえない、厚い『バカの壁』が存在するからだ。
(ちなみに『バカの壁』とは、2003年4月に新潮社から発行され、大ベストセラーになった養老孟司氏の著書の表題で、養老氏はその中で「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない」と記述している。)

2)『バカの壁』の具体的な例

『バカの壁』を具体的に幾つか検証してみよう。「政教分離」という原則があるが、これを良いことにして、例えば政治家がA級戦犯の分祀を求めた場合、靖国神社は宗教への“不当な干渉”だとして一蹴することができる。「政教分離」を楯に取って“聖域”を設けているのだ。
これはその昔、平安時代に僧兵ども(悪僧とも呼ばれた)が神木や神輿(みこし)を担いで朝廷に強訴したやり方と非常に似通っている。こうなると、朝廷は何もできなくなるのだ。 しかし、こんなことばかりをやっていると世間に通じなくなるため、最近の靖国神社はいろいろ理屈を並べて、分祀は“教学上”あり得ないなどと反論するのだ。
ところが、その教学上の理由たるや、一般の常識ではとても理解できない“奇妙きてれつ”なものなのだ。 例えば霊爾簿(れいじぼ)からA級戦犯の名前を削除すれば、分祀は簡単にできるではないかと言うと、靖国側は「そんな事はあり得ない。霊爾簿から名前を消しても、いったん祀った個別の御霊(みたま)を“座”から取り除くことはできない」と答える。

 その理由として、靖国側は「コップの水を水槽に注いだ後、同じ水を取り出すことはできない」とか、「ロウソクの火を他に移しても、元の火は残る」などと説明する。なんだか禅問答かコンニャク問答みたいになってくるのだ。
神道の教学とはそんなものかと思いながら、霊爾簿からA級戦犯の名前を削除しても「御霊は座に残る」と言うのなら、その名前を消しても何の支障も起きないはずだから、我々一般人に分かりやすいように(物理的に)名前を削除してくれと要求する。 すると、靖国側は開き直って「全ての遺族が分祀を求めても、それに応じることはできない」と答えるのだ。
一体、これはどういうことなんだ! 霊爾簿から名前を削除しても「御霊は靖国の座に残る」と言っておきながら、いざ、目に見える形で名前を消してくれと求めると、「それはできない」と突っぱねるのだ。 先ほどの“水や火”を例としたご立派な(?)教学問答からは、考えられないような豹変ぶりである。
このように、靖国の“教学上”と言う理由は詭弁そのものである。こんな屁理屈を並べて、一般の人たちを納得させられるとでも思っているのか! “神木や神輿”を担いで朝廷に強訴していた僧兵(悪僧)どもの方が、はるかに説得力があって分かりやすいではないか。
さらにもう一つ、靖国神社は戦没者やその遺族の意思をまったく無視して、勝手に御霊を合祀している。 A級戦犯だけでなく一般の戦没者の場合も、その遺族らの意向を聞きもしないで勝手に祀ってしまうのだ。このため、合祀取り下げの訴訟があちこちで起きている始末だ。
これなどは、信教の自由人格権も“へったくれ”もない。これほど人権(死後の人権も含めて)を無視し凌辱する者が他にいるだろうか。 戦没者らが仏教徒であろうとクリスチャンであろうと無宗教であろうと、お構いなしだ。そのやり方は極めて強権的、独善的で傲慢極まるものだ。こんなやり方は断じて許すことができない!(「靖国神社よ、御霊を拉致・監禁するな!!」を参照して頂きたい。)

3)無宗教の新たな「国立追悼施設」の建立を!

以上、述べてきたことから分かるのは、靖国神社は今の状態を一切変えない、変えたくないという姿勢なのだ。宗教法人だから尚更そうなのだろうが、これでは話しにならない。 私も昨年、今年と2度にわたって、靖国のホームページに「靖国を存続させたいのなら最低限、A級戦犯の名前を霊爾簿から削除せよ」といったメールを送ったが、何の応答もない。
日本政府でさえ、例えば「北朝鮮に対して断固たる経済制裁を実施すべきだ」とのメールを送ると、“決まり切った書式”ではあるが、きちんとした返事を寄越してくれる。 靖国神社は批判的なメールなどは一切受け付けないのだろうが、尊大な姿勢はまったく変わっていないようだ。
個人的な話しは別として、靖国が「宗教法人」である限りどんな問題も解決へ向けて進展しないだろう。 従って、以前から靖国神社の「国家護持法」とか「特殊法人化」などが議論されてきたが、いつも“ウヤムヤ”のうちに何の成果も得られないまま終わってしまった。もうこの辺が限界である。

 靖国が「非宗教化」をはっきりと受け入れれば、まだ議論の余地はあるだろうが、そうでなければ思い切った措置を講じなければならない。 それは、完全に無宗教の「国立追悼施設」を新たに建立することである。それは早ければ早いほど良い。
だいたい、靖国神社なるものは“戦前の遺物”である。1945年・昭和20年、日本が敗戦によって「平和国家」として再出発した直後から、新たな国民的追悼施設の建立を考えるべきだったのだ。 今さらそれを言っても遅いが、敗戦直後からそれを考えていれば、今日のような混乱と矛盾、国論分裂といった事態は避けられたかもしれない。
政教分離が確立されたのに、国の追悼施設を宗教法人・靖国神社に“丸投げ”したところから、全ての混乱、矛盾、分裂、係争が始まったのだ。「靖国問題」は日本国民の喉(のど)に引っ掛かった“トゲ”だと言う人もいる。正にその通りだと思う。 
戦前の軍国主義、国粋主義、忠君愛国の象徴であり、19世紀・明治時代の遺物である靖国神社が、21世紀になった今日の日本で大きな問題になっているとは、何と因果なことか。 これは単なるA級戦犯の合祀問題だけに止まらない。宗教法人であるのを良いことにして、また「政教分離」を逆手に取って、戦没者や遺族の人権を無視し続ける靖国神社に対して、断固たる鉄槌を下すべきである。


4)「政教分離」とは? 「信教の自由」とは? 「人格権」とは?

靖国神社に祀られる246万の英霊のうち、戦没者自身や遺族の意思に反して合祀された御霊については、直ちに合祀を取り下げるべきだ。 そもそもこの合祀とは、旧厚生省が中心となって戦没者を調べ、「御祭神名票」なるものをまとめ靖国に通知してから、実現したものである。
ということは、初めから行政府と宗教法人の靖国神社が一体となって進めてきたことなのだ。これを「官民一体」と説明する者がいるが、内実は「政教分離」どころか「政教一体」となって合祀を実現したのである。私はここに、悩ましい靖国問題の“原点”があると思っている。
普通の神社や仏閣、普通の宗教法人ならば、行政府の協力を受けながら宗教活動をすることはあり得ないだろう。なぜなら、それは「政教分離」の原則に違反するからである。 しかし、靖国の場合はまったく違っていた。戦前の陸海軍省から引き継ぐ形で、戦後は厚生省が全面的に靖国に協力したのである。厳密に言えば、この時点で「政教分離」に反した行動が取られたのである。
そこから靖国神社と行政府が一体化・癒着して、次から次ぎへと“御祭神”が靖国に合祀されていったのだ。 従って、合祀された“英霊”の遺族は何も知らないうちに、ある日突然(中には何十年も経ってから!)、この事実を知らされビックリ仰天するケースが出てくる。
この結果、意に染まない遺族(この中には、韓国人や台湾人らも多数いる)は、合祀取り下げを求めて訴訟を起こす事態となった。これは当然の帰結だと私は考える。 神道を奉じる一宗教法人の社(やしろ)に、異国の人やクリスチャン、仏教徒、無信仰の人たちの英霊が“勝手に”祀られてどこが良いというのか! これこそ「信教の自由」や「人格権」を踏みにじる最悪の行為である。
このように、靖国と行政府は一体となって「合祀」を進めてきた。「政教分離」などはとっくの昔に踏みにじられていたのだ。 政府にも責任はあるが、ある時は「政教分離」をずる賢く利用し、又ある時には行政府の力に頼り、訳の分からぬ教義(詭弁)で人を欺いてきた靖国神社の“罪業”は断じて許すことはできない。
以上、私は比較的冷静に「靖国問題」を論じてきたつもりだが、腹の中は煮えくり返っている。21世紀の日本が、“暗黒の中世”のように「宗教」に牛耳られているとは情けない。 今後、この問題については、事あるごとに徹底的に追及していく。この小論が、読者諸氏のご参考になってもらえれば幸いこの上ない。 (2006年8月12日)


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