(写真を追加して投稿しなおしています。)
1978年の夏に表銀座から槍ヶ岳、1979年の夏には蝶ヶ岳から奥穂高岳に登ったことは地図に記録が残っているのでまちがいないのに、長いこと写真が行方不明だった。
見つからなかったのは、そのときポジフィルムを使ってみて、それをしまい込んですっかり忘れていたからだった。
それを見つけ出してみたものの、40年をこえる空白はフィルムを確実に劣化させていた。
スキャンしてみたものの、35mmの小さなフィルムだし、劣化による変色補正をしてみたら、雑音がでて画面はひどいものだった。
そこでその当時つかったスライド映写機で投影しておいてそれをカメラで写してみた。そのうえで、写真ソフトで変色補正をかけてみた。このほうがまだましだった。
まず状態が比較的よさそうな1979年のほう。
これは1079年8月に蝶ヶ岳山荘のそばから穂高岳と上高地をバックに写したもの。
光の加減を見ると蝶ヶ岳に到着直後にとったもののようだ。
この日穂高駅からタクシーで三俣登山口に向かったものの、途中道路工事があってずいぶん手前から歩かされた。
蝶ヶ岳山荘到着は4時をまわっていたと思う。
それもあるけど、フィルムに限りがあるので1日目はほとんど写していなかった。
投射された画面を映しているので中心と周辺でかなり明るさが違ってしまう。
それでもまあ見られる方だろう。
これはその時の相棒Tさん。5年下の同僚だ。
曇り空で、日が西にまわっていて山は逆光気味。もともとそれほどいい写真ではないのにさらに劣化している。
朝日を浴びた槍、穂高の写真が一枚もない。
ということは翌朝は天気がよくなかったのだろう。わざわざアップダウンの激しいコースで槍や穂高のモルゲンロートを期待していったのに残念な結果だった。
2日目は蝶ヶ岳から横尾にくだり、その後涸沢から白出のコルにある穂高岳山荘をめざす。
涸沢から白出のコルをみあげた写真。稜線には雲がついている。
これは奥穂高岳の山頂。
山頂の祠が今のものよりかなり小さいと感じたが、写真を見比べたら変わりはなかった。
山頂はかなり混雑していたんだね。
周囲の山々を写した写真がない。ということは山頂付近はずっとガスの中だったのだろう。
Tさんとは、1978年に表銀座から槍ヶ岳もいっしょに登ったほかほかの山にもいっしょに登った。
これは奥穂高岳から前穂高岳へとむかう釣尾根をバックに。前穂高岳のピークがこんなに立派に見えていたんだ。
すっかり忘れていた。
岳沢の岩場で上高地を見下ろしながら休憩。
岳沢の上部はほんとうに急傾斜で石を落とさないように気を付けながら下ったのを思い出す。
谷底にも雲がある。この日の天候をあらわして.いる。
いやあ、すっかり忘れていたけど、写真見るといろいろ思い出すなぁ。
それに若くて結構スリムだったんだ。髪の毛もちゃんとあるし(笑)
次は1978年のものをデジタル化して保存してみようかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます