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Kennyの歴史探訪取材日記:余呉湖から高時川上流域-02

2013-09-02 17:43:43 | ブロガー:滋賀県の企画

余呉湖周辺から高時川上流域
  を訪ねて
 滋賀県長浜市余呉町
           第2
(全3部)、余呉湖

今日はこの町の宝、余呉湖。この鏡面のように神秘的で
美しい湖が、ええー、ダム湖になったって! のお話です。


 
周囲6Kmの余呉湖、元々は流れ入る川も出て行く川もはなかった湖
                         (2007年10月撮影)


 余呉湖と琵琶湖は繋がっていなんですよ  約50mの標高差があります
               (2011年11月 横山岳 1132m から撮影)

余呉湖:
地元出身なので、以下全文Kenny独自の解説です。すごい、流石地元!
私が汽車(当時は電気機関車が客車を引っ張っていたSLとちゃいまっせー、私
もうちょっと若い爺です
で高校に通学時、余呉湖の水が空っぽに干上が
った時がありました。社会
人になってからですが、何の為に水が無く
なったのかを理解しました。 余呉湖をダム化の工事だったのです。


  2007年10月 撮影 その日は晴天でもあり湖面がこんなに綺麗でした

この湖には川はなかった
この湖周辺は標高132m、琵琶湖と同じ陥没湖ですが 、元々川が全
くない、それでも
周囲の山から また湧き水もあるのかな? 本当に透
明な、凪いだ時は、湖面が鏡のような本当にきれいな湖(鏡湖)でした。

古い湖
北の端には3000年前の埋没林を地元の確か中学生が見つけました。
頂いた資料では縄文時代の土器や、6000年、8000年前の地層が
二層もあるそうで、兎に角随分なんども水没を繰り返してできた水湖
です。

 
       ここで話題の余呉湖、および周辺の絵図   拡大してご覧いただけます
                                                                          
  (写真をクリックしてください)

そして今の余呉湖
川はなかったと書きましたが、実は慶長年間に余呉湖の水位を調整
して農地を守る川を掘りました。 江土川です。その川は今も余呉湖
から外へ流れています。

 
                                江土川

人工河川を作る、美しい湖をダムにする
上の江土川についで、昭和に入り余呉川から分水して余呉湖まで人工
の川を作っています。これは上流氾濫の治水対策事業でした。これで
余呉湖も入る、出る川のある湖となりました。 ところが昭和30年代に
入り湖北平野一帯の灌漑用水として余呉湖のダム化が実行されました。


水草が湖面に浮かぶ今の余呉湖 上に掲げた2007年の写真と見比べると・・
        (その日は曇天でもあり、写真の写りとしてはちょっと不利ですが)


その結果、今は
勿論湖岸から眺める景色は今も美しさを保っていますが、残念な
がら水質は少し落ちていますし、水草も繁殖しています。琵琶湖から
水をポンプで汲上げている影響が大と思います。湖の魚も琵琶湖の
ブラックバス、ブルーギルなどが汲み上げる水に混じって入り込み、
本来の魚、わかさぎ等の保護に尽力されています。


               冬にはこの筏でわかさぎ釣りが盛んです



                     資質保持装置

しかし、ちゃんと手は打たれています
特に水質の管理には力を入れておられます。設備の難しい用語は
「深層曝気装置」といいます(上の図)。 解説は省略して平たく「金魚
鉢のブクブク」と云って大きくは外れていない
のではと思います(?)

ん? あかん、ちゃんと解説しろってですか? ではN兄貴より・・

                          
                        この写真をクリックして下さい
               

 
       この人工島に設置            湖岸の管理棟

現在の余呉湖の役目、水瓶:なぜダムにする必要があるの?
ダムとしての重要な機能です。 余呉湖、入る川が一本あると言って
もダムとなれば水量が足りません。そこで琵琶湖から汲上げて、そ
の水を湖北地区の川(高時川)に放流して地元の水資源として供給
しています。昔、餅の井落としと云う水争いがありました。この放流
で高時川の水量が豊富になり、その騒動は終了しました。

      餅の井落としの私の過去のブログは ここを

取水、高時川への放流の様子を写真で
残念ながら見学の日は水の補充が必要なく、稼働していませんでした。

      
   飯浦送水隧道吹き出し口  約50mの高度差を汲みあげています


           余呉湖放水隧道入り口


   放水隧道出口 余呉湖からの放水が余呉川に合流

そうか、そう言うことだったんだ・・
川の下流域で水争いにまで発展する水不足があり、その川への導入
川を新設して補給するためのダムでした。実は余呉川は逆に下流で
水が溢れて毎年困っ
ていました。今の西野水道、歴史的には「近江
青の洞門」が琵琶湖へ水を放つ為に西野集落の僧によって掘ら
れたという史実があります。


     余呉湖からの水はこの余呉川で合流  そして高時川へも供給され
  (ダムと同時に新設の水門から先は正面の山のトンネルを通って下流へ)


余呉湖の北から西側(湖の半分)を歩き、南端に。こんな話も・・


                      国民宿舎 余呉湖荘  湖畔の宿です

余呉湖の南端にあります。余呉駅は北側です。この庭先から古戦場
賤ヶ岳(420m)の登山も楽しめます。一泊旅行にいいですね。他に
も余呉ウッディーパルや民宿が沢山あります。青色の県のバスが待
ってくれています。湖の西側以外はこのバスも通れます。

(他のブロガーの記事を見て)、知りました。この余呉湖荘は9月末を
持って営業を終えるようです。ご利用の説はご確認ください。何度も
利用させて頂きました。残念だなー (-_-);;


                               賤ヶ岳登山道口 山頂まで1.5km

      今日もご覧くださいましてありがとうございました

                               ********

                             次は最終、第3部に続きます
                           神社、古刹、祭、食文化の紹介です
                               ご訪問頂けば嬉しいです
                               (ブログ管理者:Kenny)

 

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