沖島周辺を訪ねて:近江八幡市
第二部 (全3部)
さてこの二部では沖島のお寺、神社、資料館などの見学です
=すべて歩いてとことこの距離です=
西福寺本堂
西福寺
7人の落武者の一人 茶谷重右衛門の子孫が蓮如に帰依し開
いた真宗寺院。 蓮如筆の虎斑(とらふ)の名号(みょうごう)等の
寺宝を有します。
虎斑の名号:蓮如が幽霊を教化するため六字(南無阿弥陀仏)の名号を与
えられた。それはムシロの上で書かれたので文字に虎班のよ
うな濃淡があるので俗に「虎班の名号」と呼ばれています。幽霊
は茶谷重右衛門の妻で産後亡くした子供が愛おしく現れていた。
下の写真、絵図などはクリックで拡大します
虎斑の名号 その名号を書く蓮如
虎班之御号御絵図 西福寺の説明
(その時の様子の絵図)
他にも正信偈(しょうしんげ)、それは蓮如上人が島を去る
時にお別れの形見として残された寺宝、四句の御文、など
珍しいものが見学できます。
(上の写真:虎班の名号は私の撮影。他は同寺の西福寺略史から拝借)
同マップ拡大図(クリック)
ガイドマップー2
(当マップは近江八幡市観光部産協会冊子より拝借)
願證寺
沖島の住人 西居某が蓮如上人に帰依し、法名を釈願證と授け
られたことに始まります。(今回は訪問しておりません)
弁財天 赤い鳥居のところです
弁財天
長松寺(彦根)の僧が記した沖島弁天記に弁天を祀ったとの記
録が残されている。雨乞い弁天として信仰されている。 (今回は
訪問しておりません)
奥津島神社本殿
奥津島神社
藤原不比等(*)の創建といい、延喜式神名帳所載(**)の奥
津島神社の比定社(***)のひとつです。鳥居の社標は憲政の
神様という尾崎行雄(****)の揮耄による。宮世話は島で42
歳になった者が1年間行い、その交代式は大晦日の深夜に行わ
れます。
奥津島神社鳥居:この社標は尾崎行雄の筆
(*)藤原不比等(ふじわらのふひと):
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿・政治家。正二位右大臣。
藤原氏の始祖である藤原鎌足の次男であり、4人の息子らと共に藤原
氏繁栄の基礎を固めた。
(**)延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう):
延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当
時「官社」とされていた全国の神社一覧である。
(***)比定社(ひていしゃ):
延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社
のことを論社(ろんしゃ)・比定社(ひていしゃ)などと呼ばれる。
(****)尾崎行雄:
戸籍上は安政(あんせい)6年(1859)11月20日神奈川県生まれ。
号は咢堂(がくどう)。 国家主義自由主義的政党政治家。
すんません、柄にもなくえらい硬い文章、面白くもない構成になりました。
私も知らない事ばっかりなもんで、この際と思い調べまして記録しました。
おきしま資料館:空き家となった民家を再利用
おきしま資料館
築100年以上の民家を改築し、平成17年にオープンした。沖島の
生活資料などを収蔵、展示する。
おくどさん 展示室
このおくどさんなんて、私の小さい時の主要台所 装備でございまし
たんや! 他に今ではプラチックに変わった容器や被り物。そうなん
ですか! もはや資料館に置く生活用品ですか、複雑でございます。
小アユの佃煮などなど
小鮎の佃煮 琵琶湖、滋賀の名産です
沖島の小鮎の佃煮、大フアンになりました。勿論好みは人それぞれ
です。私のような左党の者にとっては水あめを使っていないんでしょ
うね甘過ぎず、ベトベトとせず、程よい硬さ(歯ごたえ)、そして山椒が
しっかりと効いています。 沖島港で売っていました。
結構多い乗船客
定期船、結構多いお客が降りてきました 喫茶店もあるよ
離島の指定を受けたこともあるんでしょうか、二組のツアー客と狭い
道路ですれ違いました。定期船が入ってきました。結構沢山のお客
さんが降りてきます。 この手書きの喫茶店の看板が嬉しいですね。
今日もご訪問くださいましてありがとうございます。
次の第三部では沖島を後にして周辺の名所の
ご紹介です。よろしくお願いします。