5人の爺さん、自転車を漕いで
北村館(城)
滋賀県野洲市北
(第6回:全8回)
今は 城址巡り をしています
Kennyの滋賀から情報発信
野洲市とその近郊の城址:
六角氏家臣の城がほとんど、と言ってもいいな(Kennyの解釈)
市内のお城(址)はほとんどが六角氏の家臣の城(館)です。 という
か、滋賀県、特に江南(近江の南半分)がそうなんです。
安土城考古博物館で企画展 「近江の城を掘る」 が9月18日まで開
催中です。 紹介されている城址も多くは、(佐々木)六角氏に纏わる
お城です。
今日(10日)ブログの最終章に追加記載しました。
今残る木村館(城)は県道から見えるこの住宅地にある森です
県道2号線 北 の信号を JR野洲駅方向からだと左折
今日訪ねる城址、北村館 実はこの森の前でおお探しでした・・・
おお探し? と言うのはまさか集落のこんな森は神社か何かとの先入観
が邪魔をしましてね。 お城跡とは思ってもいませんでした。 民家の庭に
土塁らしき物が残っているくらいに。
神社ではなくてこれが木村館(城)の森でした
昔、侍が住んでいたらしいよ、と・・・
近くの家のおじさんにお尋ねすると、その森ですよ、 昔侍が・・と!
5爺、改めてネットで入手の解説書を見ると集落の中に大きな森が
見えて来るとありました。 なんや~、そうかいな、と大笑いの5爺
長屋門 400年前の当時の門だそうです
そこで森をぐるりと回るとこの門の前に辿りました
5爺 長屋門の前で資料を元に、おお、これがその門か~、と
もう一人の爺は記録係りでこの背後におります (^^)/~
今も残る水堀でしょうね
これも水堀
カメラ仲間に言い訳け:上の写真
持参カメラの広角が28で被写体との距離がなくて、仕方なく携帯電話の
カメラで。それも調整せずに(やり方が?で)、こんな見事な一枚が撮れ
ました・・。
屋敷の裏側にも水堀(でしょうね)が
土塁、水堀でしょうか
資料では、北村館(城)は昔は北村集落全域に外堀も廻らされてい
たとの事です
ここは民家です (見学にはご配慮をお願いします)
当日はお留守で外からの見学でした。 屋敷には明智光秀が座った
と伝わる大石も残っているそうです。 (ネット検索の資料)
北村氏
六角氏の重臣です。 信長の観音寺城(六角氏の城)攻撃で六角氏
が滅亡後、この地に定住したと資料にあります。
Kennyの疑問
信長に滅ぼされ、それが六角氏の家臣、被官、重臣であっても戦い
の後、北村氏のようにその地に住める、居を構えるなんてことがどう
して出来たのかと? 同じく六角氏の被官だったと記憶していますが、
馬渕氏は、信長に攻められて一族は離散したと聞き及んでいます。
馬渕という地名として近江八幡市に残っていると友人からメールを
貰いました。馬淵さんというお名前の方はどうかな?
嬉しい情報を頂きました: 有難うございます (8月10日追記)
馬淵さんは今でもこの地域に存在していますよ。
(野洲市内の写真仲間Sさんから)
六角氏の家臣だったけれど、その後侵攻してきた信長に従い、お家
を安堵されたのですね。
(守山市内の歴女でブログ仲間Tさんから)
今日もご覧下さいましてありがとうございました
2017年8月7日UP