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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの城跡歩き:八幡山城

2012-01-09 19:23:27 | 城址

こんな大規模な城やったんや!
=八幡山城跡、何度も訪ねていたのに=
      
私達を案内して下さったの
は:
いつもの
滋賀県文化財保護課の研究員さんとそして今回は地元
近江八幡市の
研究員の皆様です。びっくりです、以下のような解説
を頂くまではこの城を砦のほんの少し大きめ位と思っていましたが、
なんと大規模なお城だったことを知りました。それは今まで知らなか
った築城の歴史的背景から考えると当然のことだったのですが、や
はりこうやって専門の方々に案内してもらう有難さを痛感しました。


      秀次館跡  算木積みの石垣が430年後の今もしっかりと

豊臣秀次が18歳で
秀吉の姉の子である秀次は天正13年(1585)近江湖東地区に43万
石を与えられた八幡山城主です。ところが秀吉に実子秀頼が誕生する
や秀次が邪魔となり文禄4年(1595)謀反という理由を付けて高野山
に追放、切腹させられて一家も京都三条河原で処刑されます。城主とし
て君臨したのは5年でその後尾張国清州城に移封。さらには高野山に

という若くして悲しい運命を辿ります。この八幡山城はわずか10年で
廃城となります。 秀頼の母は秀吉の側室浅井三姉妹の長女茶々
(淀君)
です。秀々と同じような名前が多くて・・、忘備記録です。

何度も訪ねていたのですが・・・
この八幡山そのものが全部城でした。今までは麓の公園には行きまし
たがせいぜい秀次公の像を眺めるだけで後は登山ロープウエイに直行
です。ところがこの山の麓から大規模の、そして贅を尽くした城があった
のです。まったく今まで気が付きませんでした。

  
                     大手道に続く長い石垣と大手道の入り口付近

先ずは城の石垣でその壮大さが分かります
TOPの写真は6000㎡の平坦地を石垣を積んで築いた秀次館です。
その石垣はコーナーに長方形の大型の石を積んで耐久性持たせた
算木積みです。研究員さんの背丈との比較でその高さが分かります。
こんな石垣があったんですね。

 
            野づら積みの石垣                               櫓門

城内にはいくつもの虎口(入城門)が

  
     枡型虎口(内部で鍵型に折れる)            虎口


                            沢瀉(おもだか)紋飾瓦

        
                     秀次の旗印・沢瀉紋  

       参考: 沢瀉とは水田などに自生の多年草(ウイキペディアより)

秀吉
は敢えて信長の安土城を利用しなかった
一説に、秀吉は信長の後を見据えて忠誠(例えば信長の死を聞き
大泣きしたとか・・)を貫き通したとどこかでお聞きしたことがあります。
信長亡き後、織田家からの独立を考えると当然とは思えますが安土
城を(信長を)意識した形跡の顕著な物が金箔瓦です。秀吉(秀次)
の城は瓦の突起部分に金箔が、安土城(信長)は凹部に金箔が張り
巡らせてあります。これらの瓦は秀次館から大量に発掘されたそうで
す。また安土城からかき集められたと思われる瓦が城内から発掘さ
れているそうです。

 
       八幡山城の瓦、凸部に金箔       安土城の瓦、凹部に金箔(参考)

殺生関白、秀次
秀次はとっても粗暴な性格だったそうです。しかし八幡城主時代からは
堅実な統治を実施していたと、手元のブックレットにあります。それは琵
琶湖の水を取り込んだ堀、八幡堀です。 この堀は本来の城としての機能
と更には琵琶湖を航行する船舶に八幡浦への寄港を命じて町の発展に
繋げたとの事です。また安土から楽市楽座など町全体を八幡に移し

格好となり現在の大きく発展した近江八幡が出来上がったようです。
なお、殺生は摂政をもじって秀次を語る時に常用されている事もこの講座
で知りました。


       昭和40年後半の八幡堀          現在の八幡堀
現在の八幡堀は市民の奉仕で今に引き継がれた姿だそうです。上の写真
は堀の傍に建てられた看板を撮影したものです。左の写真の堀の姿では
観光客
も近づけないですよね。


      

                   
ロープウエイから見た現在の近江八幡市街

 
                              当日は百数十名の参加者が

  参考資料: 「八幡山城跡」 滋賀県教育委員会編
  金箔瓦等の写真:近江八幡図書館、安土城(安土町)関連資料

    この日記の掲載:主催者(滋賀県教育委員会、現地責任者)の了解を
              頂いております

   
お願い: この日記は私個人の記録が目的です。当日教わった内容を
        私の言葉で表現、また先生方のご説明に私の聞き間違いや
        短絡的なところなども多々あるかもしれませんがお許しください。

   今日もご覧くださいましてありがとうございました           

             ************

m                   歴史探訪の情報です 
         姉川合戦と城郭
      
  (講義と横山城址見学)
             主 催: 
滋賀県教育委員会文化財保護課
      
日  時: 1月28日(土)、2012 13:30~16:30
     集  合: 13時15分 石田会館(長浜市石田町576)
          問合せ: 電話:0748-46-6144 
            FAX:0748-46-6145

                   縄文人の祈りと造形
              (講座)

       主 催: 滋賀県教育委員会文化財保護課
      
日  時: 2月18日(土)、2012 13:30~16:30
      会 場: 東近江市埋蔵文化財センター

     ②日 時:2月25日(土)、2012 13:30~16:30
      会 場: 米原市伊吹山文化資料館

            問合せ: 電話:077-528-4674 
               FAX:077-528-4956
      

      *ご参加の場合は事前に必ず主催者にご確認ください

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4 コメント

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じっくりと・・・ (ポエム)
2012-01-21 18:43:18
歴史に残された悲哀、知恵、権力の裏にある色々な人間ドラマなど、判り易い解説で歴史に疎い私にも流れが掴めて面白く拝見させて頂きました。城主の咎めが家族にまで及ぶ無慈悲な断罪に胸が痛みました。色々な知識を得て見学に行くと面白みが増えていいと思いました。
八幡堀は何度か歩きましたが、のどかないい所ですね。
当地の近くでKennyさんが参加された薪ストーブのイベントですが、それを近くを通りかかった主人が見ていたとのことです。大勢の人が楽しそうに火を囲み「何があるのかな?」と見ていたそうですよ。
返信する
ご同様です。 (茲愉有人)
2012-01-21 23:09:59
八幡山には下から歩いて登ったことがありますが、その時はあまり「城」を意識していないときでした。

ブログを拝見して、改めてその目で八幡山城を眺めて見たくなりましたね。
いい刺激になりました。ありがとう!

返信する
恐れ多くも・・・ (kenny)
2012-01-22 09:27:40
今日もポエムさんの嬉しいコメントで清々しい朝を迎えました。暇つぶしにちょっと城歩きでもと始めましたが県や自治体の研究員の皆様(ほんとうに素晴らしい方々です)との出会いや行事に参加して知り合った多くの仲間との郷土史談義(最近やっと少しは付いて行けるように)を楽しめることですっかり趣味の一つに定着してしまいました。

八幡堀、本当にのどかなところですし絵になりますね。ただ写真では構図が定番になり、まだ一枚も写真がありません。八幡堀についても今回初めてしっかりとその経緯を知りました。

そうでしたか、あの薪ストーブの行事の日。このイベントで横手山頂ヒュッテの薪ストーブに目が行きました。ずーっと以前からあの場所にあったのですが。暖房の原点ですものね。

冬の星座、冬の夜共にネットからダウンロードして共演しています。特に冬の星座は大好きなカントリーミュジック調で学生時代ちょっとやっていた時に戻っています。

ありがとうございました。 Kenny

返信する
Unknown (Unknown)
2012-01-22 09:49:59
茲愉有人さんありがとうございます。こんな事が出来たら・・・と常々。帰省時に通過する安土城址で今はその生徒の一人になっていますが、集団を見て車を止めてなんの集まりですか? から始まりました。 続けていて本当に良かったと思います。Kenny
返信する

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