野洲市内の「地蔵信仰」
路傍や街角(辻)にお地蔵さんがいっぱい
4Ji の自転車を漕いで歴史探索
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記の掲載期間:8月8日~8月14日)
市三宅 三番口 撮影時、自転車で前を通られたご婦人が
Tさんの嬉しいお誘い、地蔵さんお参りしに行かない?
同じ団地に住んでもう40年、当初からお付き合いのあるTさん(ほぼ
同年齢)から前回の湖東三十三所観音霊場めぐり(このブログで掲載済)
のお誘いに継いで、今回は私達が暮らす野洲市にある お地蔵さん
めぐり、「地蔵信仰」に触れてみようかと再度声を掛けてくれました。
こんな事には特に目が無い私、二つ返事で今回も自転車を漕いで、
運動を兼ねて地蔵めぐりをしてきました。 (4Ji: 4人の爺さん)
市三宅 三番口のお地蔵さんは立派なお堂に入っておられます。 地元の方々の力で
(背後は三上山)
ありました、ちょっと走ればここかしこ、お地蔵さん
なんとそのお地蔵さんは道端、あぜ道、お寺の一角、公園などなど、屋
根つきもあれば、雨ざらしも。 そうやなー、半々でしょうか。 そしてお地
蔵さんのある場所は日頃私も自転車や車でよく通っている所なんです。
2Jiが見てきた地蔵さんのお姿 (他の2Jiは所用で今回は欠席)
おおよそこの4つのタイプのお地蔵さんでした
お地蔵さんとは?
仏堂に安置されるより各地の寺院境内、村の入り口、峠、あぜ道、
四辻、墓地の入り口や墓地内などの野外に安置され、堂内安置よ
り野山、路傍に多い。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通
安全の神として信仰されている。 これは地蔵信仰、庶民信仰の表
れだろう、と。 (ネット検索の情報です。なお、更なる詳細は末尾をご参照
くださいね)
その地蔵さんのことはどうやって知ったの?
Tさんが見つけられたのですが、野洲市歴史民俗博物館発行の
「地蔵ー仏教美術と信仰」の中に、野洲町の地蔵信仰というペー
ジがあります。 平成9年に編集の記事です。
万葉台自治会内の生活道路に
その中で紹介されている町内のお地蔵さん
当時、野洲市の計46の区、自治会(これで旧野洲町の全部なのかどうかは
確認しておりません)の資料協力委員さんの調査報告に基づき約65の
お地蔵さんを紹介してあります。今回はそのうち8の区、自治会の
14の地蔵さんを見て(お参りして)きました。
万葉台自治会の三角公園
野洲、十輪院 市三宅 安楽寺境内
(木造立像でお堂の中に安置)
地蔵祭り、地蔵盆の行事がある地区のお地蔵さん
先に紹介した書物には地蔵祭りやお盆行事が行われている地蔵さ
んに限り掲載されています。 なるほどです、今回見て来たお地蔵
さんは100%、地元の皆様によって清掃され、赤い前掛けも付け、
お花も供えられていました。
地蔵盆、地蔵祭り (三井寺のHPより拝借)
ところで、これらのお地蔵さんは元々ここに?
ある地蔵は民家の川の傍にあります。お聞きすると、河川改修時に
川の底から出てきたものを引き上げてここにならべたとの事です。ま
たある新興団地の公園の地蔵は近くの工事現場から出てきたもの
を譲り受けたと。
四ッ谷 川べりに 川から上げて安置したんですよ、と。 この建物内の地蔵さん
大抵のお地蔵さんは風化が激しいです、さては?
こんなネット記事を見つけました。「地蔵信仰は平安時代に高まり、
鎌倉時代には下火になり、室町時代で修験者・山伏 によりまた盛
んになりますがどうしても ... 地蔵信仰の変遷はなかなか複雑で、
簡単に書く といろいろと誤解が・・」。 今、工事現場などから出て
くる地蔵はその鎌倉時代に憂き目にあった可愛そうなお地蔵さん
なんでしょうか? ならば風化はあって当然でしょうね。
和田 公園内 桜生 真福寺 ここは木造立像
(ご本尊は野洲市の博物館に保存)
小篠原 お池グランド
印象的でした
2Ji(二人)で自転車でうろうろして地蔵さんを見つけます。 傍のお
家の方に教えも戴きました。 あるお母さんは日々この地蔵さんの
お世話をしている。 おばーさんから受け継いだと。「今まで病気
はしたことはない。おばーさんがよく言っていました、皺のある手
を合わせると幸せになれるのだと」、決してだじゃれで仰ったのは
ありません。
行畑 野洲高校前 四ッ谷 顕了寺境内
桜生 宝樹寺境内 四谷 作業場横
行畑 背くらべ地蔵 右がお地蔵さん 左は阿弥陀如来立像
三井寺の地蔵信仰に関するHPは ここを
4Jiの湖東三十三所観音霊場めぐりの過去の日記は ここを
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ちょっとメモしとこうっと (ウィキペディア、その他ネットより引用)
地蔵盆:
地蔵盆は一般には寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭り
ではなく道祖神信仰と結びついた路傍や街角(辻)にある地蔵が対
象だそうです。
道祖神(どうそじん、どうそしん)とは、
路傍の神である。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三路
などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世
では旅や交通安全の神として信仰されている
地蔵祭り:
旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、
地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)期間
中であり、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。現代では、
参加する人々の仕事などに合わせ、多少日程をずらして土日に行う
ところも増えている
日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子
供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えら
れている。
もう少しだけ、地蔵さんとは・・(ウィキペディアより部分引用))
地蔵菩薩 (じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。
サンスクリット語ではクシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ [kSiti gharbha])
と言う。クティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳し
て「地蔵」としている。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧
耶形は如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、錫杖。
種子(種字)はカ(ha)。大地が全ての命を育む力を蔵するように、
苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付
けられたとされる。日本における民間信仰では道祖神としての性格
を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜
ぶお菓子が供えられている。一般的に、親しみを込めて「お地蔵さ
ん」、「お地蔵様」と呼ばれる。
今日もご覧下さいましてありがとうございました
台風で大変なことになってますね。
予定されていたお城シンポジウムも中止になってしまいました。残念です。
そこでゆっくりとKennyさんのお地蔵様のブ
ログを拝見しました。
やはり信仰心の厚い近江の国、こんなにたくさんのお地蔵様が
あるのですね。お地蔵様といえば、道端、あるいは小さな祠に
1体というイメージでしたが、団体でまつられているところもあるんですね。
銘とかもないのでしょうが、風化の度合いから古さを感じ取れると思います。
風化しながらもあと何百年、何千年とそこに祀られて
いくのでしょうか。ぜひ、続いていってほしいものです。
今回ご紹介いただいたお地蔵様は野洲市(旧野洲町)の5分の1くらいでしょうか。
まだまだまわるところがたくさんあるようです。
これからも楽しみにしています。
ご当地の話題にも関わらずコメントを頂きありがとうございます。でもご指摘の通り、信仰心の厚い近江の国を私も実感しております。それも身近な地元のお地蔵さんでこのことを知りました。 それ以来通りがかりの地蔵さんが目に入りますが、殆どの(これまで100%)お地蔵さんには綺麗なお花が供えられています。 大変貴重な体験、機会に恵まれました。これからも間違いなく続いていくのでしょうね。
残りの30程も全部お参りして行きます。 またこの前に歩いた湖東三十三所観音霊場もあと25箇所ほどあります。全部お参りしょうと・・、元気な4Ji友です。
ありがとうございました。
同じ趣味を共有できる友達が近くにおられるのがいいですね。
お地蔵さまって、今でもこんなにたくさん、あるのですね。驚きです。
地域の人に守られ、地域に根付いているのがよく分かります。
私達の地域では、今年の地蔵盆は8月23日です。
孫と一緒に、お供えを持って行くのが毎年の恒例行事です。
そうなんです、友のお陰で貴重な体験、勉強が出来ました。 今度は9月の第一週です。 観音霊場かお地蔵さん参りのどちらかになります。
めりいさん、ありがとうございます。