加太越え 昭和46年3月(その1)
タイトルは昭和40年代前半の鉄道写真であるが、残る2回は、正確には40年代後半になる。
撮影記録としてはこの日が最後である。この後も加太越えを撮影しているが、現像前のフィルムを紛失した。
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日付の記録がなく定かではないが、おそらく受験浪人を終えた46年3月と思う。3回目の加太越えの写真である。
名古屋から下り京都、奈良行201D急行"平安"、"かすが"1号の併結で亀山まで行き、湊町行331Dに乗車した。
いつもの列車で加太到着は9:40。この日は、大築堤手前の直線の上り勾配区間と大築堤での撮影を計画していた。
前回の44年9月から一部の貨物列車のダイヤが変更されていたが、朝のスタートは変わらない。
加太に停車している下り荷物列車の発車は9時58分。大築堤で撮影予定の下り貨物は10時20分の発車である。
大築堤の下り貨物に間に合う地点まで行って先発の下り荷物を待つ。1キロ半程歩いて屋渕川橋梁で撮影した。
気温が低く、期待どおり素晴らしい煙でD51が姿を見せた。
写真の勾配標の地点から25‰上り勾配が始まり加太トンネル内まで延々と続く。
D51-835[奈]牽引の下り荷物41レ
板屋川橋梁を渡り、数百m連続する直線区間に向かう
この後、大築堤に向かった。大築堤での写真は次回(その2)まとめて掲載する。
正午頃まで大築堤で撮影してから加太方に戻り、25‰に差し掛かる辺りからD51の力行が見渡せる場所に来た。
丘に登り、柘植から草津線を行く下り不定期貨物列車を待ち構える。加太の発車は12時23分。
最初に来た43年、大築堤で待ちながら運休で痛い目にあった因縁の列車。この日は短編成ながら後補機付であった。
直線区間に向いて25‰を上ってくる。本務機の煙が風に流され、一時、煙で隠れていた後補機が姿を見せた。
D51牽引の下り貨物6785レ
後を追うと、煙で霞むなか大築堤を登り詰めていった
この後、再び大築堤で撮影して15時頃戻って来た。上り普通気動車が大築堤方向から下ってくる。
キハ35系上り亀山行340D
上り340Dと交換して次の下り貨物が加太を15時7分に発車する。少し場所を変えて待つ。先程と風向きが変わっていた。
遠くD51が姿を見せ、板屋川橋梁を渡って直線に向く。これも柘植から草津線に入る貨物、やや長い編成であった。
後補機が一段と素晴らしい煙で押してきた。ここでは撮る度毎に煙が異なる趣を見せ、毎回興奮させられた。
D51牽引の下り貨物787レ
ベストポジションに来ると、本務機の煙で後補機が隠れてしまった。
1971.3 加太・中在家信号所
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