加太越え 昭和44年9月(その2)
昭和44年9月28日、2回目の加太越えの続編。
大築堤を行く下り貨物を見届けてから、国道とは名ばかりの25号線の山道を1時間程歩いて加太峠を越えた。
トンネルの柘植側で加太越えを撮影したのは、この時のみである。
蒸気機関車が来ない時間帯に柘植側へ移動できた。山道を下り25‰区間に出て、線路伝いに加太トンネルに向かう。
11時30分頃に柘植を発車した上り不定期貨物がやってきた。トンネルまで後300m程の地点である。
D51-623[亀]牽引の上り貨物6786レ
上り貨物列車の後を追って加太トンネル坑口に到達した。
加太トンネルは、明治23年、当時の関西鉄道によって建設された。延長928m(現929.6m)の重厚な造りである。
坑門上部に加太の扁額がある。遮蔽幕の開閉装置及びシェッドがある加太方の坑門では見ることができない。
12時20分過ぎ、下り貨物がトンネルを抜けてきた。トンネル内は加太方から上り勾配になっている。
煙とともに出てくるシーンを期待したが、加太方の遮蔽幕操作で煙はしっかり後方に流れるようである。
D51-211[奈]牽引の下り貨物261レ
下り貨物と柘植で交換した上りDC急行が突入、トンネル内に残る排煙が流れ出てきた。
上り奈良発名古屋行2204D急行"かすが"2号 柘植発車は12:32 後部から
急行の通過待ちの上り貨物が、急行の10分後に柘植を発車する。そのまま坑口手前で待った。
前照灯を点灯したD51が25‰の勾配標の終点まで完全燃焼で登り詰める。後補機なしの貨物が続いた。
D51-145[亀]牽引の上り貨物264レ
上り貨物と中在家で交換した下り湊町行335Dが峠を下った。柘植で交換待ちの上り荷物が13時5分頃発車する。
フイルムの残量が少なかったようで普通気動車は全く撮っていない。
柘植から加太トンネル坑口までは約2キロ半である。加太側に比べると上り勾配の区間は格段に短い。
上り列車は、柘植を出てまもなく20‰勾配を1キロ弱進み、続く25‰勾配を1キロ強登ってトンネルに入る。
上り貨物から次の上り荷物列車まで20分程。トンネルを後にして柘植に向かって1キロ少々歩いた。
やがて、上り荷物が20‰区間を登ってきた。晴れ渡って気温が上昇し煙に迫力を欠いた。
D51-882[奈]上り荷物44レ
柘植13:20発の上り名古屋行338Dを間に挟み、13時35分頃発車する上り貨物列車が続行してくる。
後補機を入れて撮影できる場所を探して再びトンネル方向に戻ったが、迷っているうちに列車がきてしまった。
採石場の麓、20‰から25‰の上り勾配になる辺りで撮影した。
D51-750[亀]牽引の上り貨物788レ
D51-940[奈]の後補機
結局、線路端での撮影場所が選定出来ず、上の写真の左手の丘に登った。逆光になるが、見晴らしは良好である。
柘植14:00発車の上り京都発紀伊勝浦、鳥羽行714D急行"くまの"、"志摩"2号の併結が峠に向かっていった。
その後はしばらく時間が空き、下り湊町行339Dと交換して柘植を14時35分頃発車する上り貨物を待ち構える。
今度こそ後補機を入れて撮ることに集中。やや長い編成でなかなかの迫力であった。
D51牽引の上り貨物790レ 左手は国道25号線
後追いでトンネル方面を展望。右にカーブして行くが、この先、左に回り込みトンネルに入る。
編成が長く後補機は入らなかった。国道25号線の架道橋が見える。
次の上り旅客列車まで1時間近くある。柘植に向けて撮影ポイントを探しながら歩いた。
他によい場所がなく、柘植から数百mの20‰上り勾配が始まる辺りで待った。まずは下り貨物列車が下ってきた。
D51-841[竜]牽引の下り貨物263レ 右手奥は名阪国道
下り貨物と交換して草津線からの上り旅客列車が来る。柘植は草津線の分岐駅である。
柘植の発車は15:32。発車の汽笛が聞こえ、まもなくD51が速度を上げて力行してきた。
これを最後にして柘植から列車に乗って名古屋に帰った。
D51-302[亀]牽引の上り京都発亀山行724レ
1969.9 柘植・中在家信号所
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