多治見・中津川間 瑞浪電化と多治見
多治見・中津川間の写真は、主に昭和42年春から43年秋の中津川電化までである。
多治見から先、土岐市・瑞浪と続く。
41年7月の電化開業で瑞浪まで電車運転を開始したが、列車は瑞浪で付替えができない機関車を多治見で交換した。
そのため旅客、貨物列車ともに多治見から瑞浪の約14キロ間は、中津川電化完成まで架線下をD51が走行した。
旅客を牽引した名古屋機関区の7両のD51は、瑞浪電化で3両が北海道に転出、4両が中津川機関区に転属した。
稲沢第一機関区からも4両が転属して多治見・中津川間は中津川機関区のD51に統一され、在籍は30両を数えた。
42年3月19日、多治見駅で撮影。
D51-686[中]牽引の下り長野行829レ 多治見発車
多治見機関区 キハ35系気動車とD51(当時は多治見機関区の配属なし)
瑞浪電化開業時に一部の旅客は多治見以北も無煙化され稲沢第一機関区DD51が牽引。多治見でEF60から付替えた。
多治見以北担当のDD51-47、機関車交換待ち
1967.3 多治見駅
待機していたDD51が下り旅客を牽引してやって来た。20‰の上り勾配で市街地を抜けて新虎渓トンネルに入る。
DD51-47牽引の下り塩尻行833レ
1967.3 多治見・土岐市
多治見構内で待機するEF60と暖房車マヌ34
D51-549[中]牽引の上り中津川発名古屋行628レの到着
ぶどう色のEF60-95(4次量産車)に付替えた628レ 多治見の停車時間は7分
釜戸から先の急勾配区間に備えて、定期貨物列車に多治見でD51の後補機を付けていた。
この時期は、下り列車の補機は逆行で連結されていた。いわゆる双頭列車である。
重油併燃装置を付けたD51-636[中]牽引の下り貨物 多治見停車中
風向きが悪く、この後は大変なことになったが、写真の出来より何よりも煙が大事であった。
先程、上り旅客を牽引してきたD51-549[中]が下り貨物の後補機を務めて逆行で出発
下り中津川行DC 最後尾キハ52
1967.3 多治見駅
同年の夏、D51が牽引する急行"きそ"を撮るため多治見を目指した。列車の到着は5時47分である。
家から行く手段は自転車のみで30キロ以上走ってぎりぎり駅近くに到達。カメラを出した途端に列車が滑り込んできた。
目的はこの列車のみで、見事に失敗した。重連の先頭は準戦時型の煙室扉上部切欠き、長野工場式デフのD51-862。
木曽福島機関区の名物機である。"きそ"の牽引に限られたのか、同区のD51のこの区間の仕業は初めて知った。
D51-862[木]とDD51の重連、上り急行"きそ"
1967.7 土岐市・多治見
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